田川寿美、デビュー35周年! 3日おき3キロのジョギングを3か月継続中

ニッポン放送のイマジンスタジオから演歌・歌謡曲・J-POPのライブショーをお届けする『中山秀征の有楽町で逢いまSHOW♪』(毎週日曜 朝5時30分〜/司会:中山秀征・アシスタント:石川みゆき)、10月25日放送分の収録が行われました。

石川みゆきアナウンサー、福田未来、田川寿美、Nahomi、中山秀征

今回のゲストは、田川寿美さん、Nahomiさん、福田未来さんです。

Nahomi

オープニングに登場したNahomiさんは、アラブの歌に魅せられ、チュニジアで修行。オーディション番組「アラブ・アイドル」に出演し、話題を呼び、2025年、『花冷えのかむろ坂』でメジャーデビュー。

昭和の名曲から、美空ひばりさんの『お祭りマンボ』をNahomiさんに歌っていただきました。

「もちろん私自身が大好きな曲です! 時代や文化圏、言語を超えて愛される名曲だと思っています。かつて出演した、アラブの全域で放送された人気テレビ番組『Arab Idol(アラブ・アイドル)』で、日本の歌としてアカペラで歌いました。すると、掛け声の『わっしょい! わっしょい!』に合わせて、現地の皆さんから『ワッシャー! ワッシャー!』という掛け声が自然と湧き上がり、とても盛り上がりました!」

デビュー曲『花冷えのかむろ坂』の舞台は、品川区の東急目黒線・不動前駅近くにあるかむろ坂。桜並木が美しい「品川百景」の一つで、毎年、さくらまつりも開催されています。

「かむろ」とは、江戸時代の高級遊女に仕えた少女たちのこと。かむろにまつわる物語が今も残る「かむろ坂の桜」を題材に、時代が変わっても変わらない、想う人への一途な女心が描かれています。

Nahomi

アラブの世界では、日本の歌謡曲や演歌よりもアニメソングが人気で、なかでも『UFOロボ グレンダイザー』の主題歌は誰もが知っているほど大人気になっているそうです。

日本の音楽をアラブにもっと知ってほしいと、Nahomiさんは「歌」と「尺八」のコラボを練習しています。そこで『浪花節だよ人生は』を披露していただきました。

「弾き語りならぬ“吹き歌い”です。歌声と尺八の音色がどのように響き合うのか、ひと味違った魅力を楽しんでいただけたらと思います」

 

福田未来

若手を応援するコーナーに登場した福田未来さん。昭和の名曲から、松崎しげるさんのヒット曲『私の歌』を歌っていただきました。

福田未来さんは、2015年にアイドルグループ「THE HOOPERS」でデビュー。2019年にグループを卒業し、ソロシンガーに。2024年には、日韓合同歌姫発掘オーディション「トロット・ガールズ・ジャパン」で初代女王に輝きました。

「2024年、『トロット・ガールズ・ジャパン』の決勝で歌い、初代女王へと導いてくれた大切な楽曲です」

デビューシングル『もっとサヨナラ』は、8月26日発売。作詞は前田たかひろさん、作曲は来生たかおさん、編曲・プロデュースは武部聡志さんです。

「懐かしくも新しい、令和のシティ・ポップです。大切だからこそ、さよならを…。大人の別れを歌っています」

福田未来

最近、人生で初めてジムに通い始めた福田未来さん。エアロビやズンバ、プールで泳ぐことにハマっているとか。いい汗をかいた後のお酒もおいしいそうですが、食べ過ぎが気になっているそうです。

「31歳ですし、食べてばかりじゃダメだよと言われたことも、ジムに通い始めたきっかけです。YouTubeでは韓国料理を食べたり、韓国では地域ごとに味が違うマッコリを飲み比べたり。生きたタコを食べることもありますよ(笑)」

田川寿美

今週の『ビッグステージ』に登場した田川寿美さんは和歌山県出身で、1992年4月1日に『女…ひとり旅』でデビューしました。代表曲の中から、1997年の発売から29年たった今も愛され続ける名曲『しゃくなげの雨』を歌っていただきました。

「この歌は、11月18日発売の『デビュー35周年記念ベストアルバム~あなたとともに~』にも収録されています。ファンの皆さんからのリクエストで、第2位に選ばれた人気曲です」

このベストアルバムは、オリジナル曲114曲の中から33曲を選んだ2枚組。田川さん自身が選んだ『MY BEST』17曲と、ファンの皆さんが選んだ『YOUR BEST』16曲が収録されています。『MY BEST』には、ボーナストラックとして『仮面ライダー音頭』も収録されています。

新曲『いのち陽炎』(作詞:石原信一、作曲:岡千秋)は、揺れる恋心を陽炎に重ねて歌う、デビュー35周年記念曲です。

田川寿美

今年デビュー35周年を迎えた田川寿美さんは、9月29日に浅草公会堂で開催されたコンサートに向けて、ジョギングを始めました。

「3日おきに3キロのジョギングなんですが、無理はせずに、自分のペースで楽しんでいます。コンサートを無事に終えた今も続けており、3か月が過ぎました。最近の発見は、着圧スパッツが一番走りやすいことですね。これから冬になるので、寒くなっても走れるか、それが心配です(笑)」

山本耕史、芸歴50周年を振り返る。「やめたいとも続けたいとも思ったことがない」

大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まことゴールデンラジオ」(文化放送・月曜日~金曜日11時30分~15時)、10月21日の放送に俳優で歌手の山本耕史が出演した。今月、芸歴50周年を記念した『KOJI YAMAMOTO 50th Anniversary Concert』を開催する山本が、そのコンサート、これまでの芸能生活などについて語った。

山本耕史「(芸歴50年であることについて)赤ちゃんモデルみたいなことをしていました。そこを入れると50年になります。記憶があるのはもう少しあとです(10月31日で50歳)。割と2歳ぐらいのことは憶えているんです。ベッドに寝かせられて上からカメラを構えて照明を当てられ、『目をつぶって、寝たふりをして』。そう言われて撮っていただいたのは記憶にあります。母に話したら『あれ憶えているの?』と驚かれました」

大竹まこと「2歳はすごいな。芸能界を目指したのはなんで?」

山本「母も父も歌をやっていて。その流れでというか。兄も芸能をしていたので、気づいたときにはもうやっていた、という状況でした。抵抗を覚える前に始めていたので、やめたいとも続けたいとも思ったことがない。不思議な感じです」

大竹「学校で噂は立つよね。何かに出ていて、みたいな」

山本「小学校のころ、舞台の本番のために早退しないといけないことがあって。みんな『どこ行くの?』と。周りと違うことをしているんだな、というのは、その辺からなんとなくわかってきました。でも後半はみんな『きょうもなの? 行ってらっしゃい』という感じで。特別なことというよりは普通の生活の一部でした」

大竹「この間『わたしの知らない子どもたち』という映画を観て。子役がみんなうまいんだよ。驚くぐらい。そういうので勝っていこう、といった気持ちはなかった?」

山本「全然なかった。いまでも同じような気持ちは続いています」

水谷加奈「若いころは尖っていた、と伺っています

山本「尖っていたというか。まあ自分の意志はすごく見せていたと思います。違うものは違う、気持ち悪いものは気持ち悪い、ということを区別していたのかもしれません」

大竹「とんとん拍子に続いてきたのか。それとも仕事がなくなった時期もあるのか」

山本「すごく大きな母体となるところもたくさんあって。でも僕はずっと個人でやってきました。時代劇や舞台など、若い人たちがやりたがらない、と言ったら変ですけど。スキマ産業みたいなふうにやってきたんだと思います。同世代が学園ものに出ている中、僕は京都で時代劇に出ていたり、舞台に上がったり」

大竹「ほう」

山本「そうしていたら、いつからか舞台やっている人がフィーチャーされたり、時代劇のできる若者を探されたり、というときに『そういえばやってきたな』と。そこがいまにつながるきっかけになっているかもしれません」

大竹「今回(『KOJI YAMAMOTO 50th Anniversary Concert』)は何するんですか?」

山本「50周年ということで。35周年のときもやりましたけど、いままでの作品、ミュージカル、影響を受けたアーティストたちの曲でコンサートを。お芝居も考えたんですが、瞬間、その数分だけでお客さんを誘(いざな)える、という意味で、いろいろな曲を並べてコンサートにしたらいいのでは、と思って。50周年アニバーサリーコンサートを10月24日に大阪(Zepp Namba)、10月31日に東京(LINE CUBE SHIBUYA)で開催します」

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