世界中の難民支援に尽力~緒方貞子さんが我々に遺したもの

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(10月30日放送)に国際政治学者の細谷雄一が出演。元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんについて解説した。

2008年1月26日、世界経済フォーラム年次総会にて(緒方貞子-Wikipediaより)

元国連難民高等弁務官、緒方貞子さんが死去

日本人初の国連難民高等弁務官として難民支援に貢献された緒方貞子さんが、10月22日に92歳で亡くなっていたことがわかった。緒方さんは日本初の女性国連公使を経て国連難民高等弁務官に就任。その後は国際協力機構(JICA)の議長を務めるなど、国際社会を舞台に活躍した。

飯田)子供のころニュースで見たコソボ、旧ユーゴに入られている姿を思い出します。細谷さんは緒方さんとの関わりもあったのですか?

細谷)緒方先生は国際政治学者でもありまして、国際政治学会の会員として学会でお会いしたことがありますし、いくつかの研究会でもご一緒いたしました。私の世代だと、緒方さんに憧れて国際政治学者になった人はたくさんいます。学生のころに、緒方さんが女性として世界で活躍されているのを見て、自分ももっと世界のことを知りたい、貢献したいと思い、緒方さんに憧れて国際公務員になった方も国連にはたくさんいらっしゃいます。これは日本だけではなく海外でも、緒方さんに憧れて人道支援の世界に入ったという方がたくさんいらっしゃいます。

飯田)きょう(30日)も一般紙各紙に評伝が出ていますが、とにかく現場主義であったと。妥協なく、小さい体ではありましたが、「5フィートの巨人」と名前が付けられていたという話もあります。

ソ連の侵攻に対する抵抗運動の中心となったムジャーヒディーン(アフガニスタン紛争(1978年-1989年)-Wikipediaより)

現場主義で、難民に敬意を持って接した

細谷)何度も耳にしたことがあるのですが、緒方さんは「難民の1人1人に敬意を持って接しなくてはいけない」と言っていました。彼らもプライドを持っているので、大変な境遇にあるけれど、可哀想だから助けるのだということではなく、我々と同じ人間として敬意を持って、彼らが元の生活に戻れるように支援するのだということです。特に90年代は、世界中がアフガニスタンやルワンダを見捨てたときです。冷戦時代は米ソがアフリカなどを取り合っていました。世界中の国々が自分のことだけを考えて、外のことに関心を持たなかった。そんな時代に、特にアフガニスタンについて何度も緒方さんは、「世界中がアフガニスタンの人たちを見捨ててはいけない、もしも我々がアフガニスタンの人たちを見捨てたら、今度は世界が大変な目に遭うかもしれない」とおっしゃっていました。実際にアルカイダがキャンプをつくり、それが9.11テロに結び付くわけですが、そういった意味で常に警告を発していながら、我々はそれを十分に聞いて来なかったということです。

1993年、世界経済フォーラム年次総会にて(緒方貞子-Wikipediaより)

平和に対する国際機関の形骸化

飯田)緒方さんのお勤めになった国連が、どんどん形骸化していると言います。こういったことを、緒方さんはどのようにご覧になっていたのでしょう?

細谷)トランプ大統領は国連に対して敵対的な姿勢を示しており、WTOや核の不拡散など、多国間の国際機関が形骸化しています。緒方さんは亡くなられましたが、象徴的なタイミングであったとも思います。

飯田)身を挺して国際平和や人道を守ろうとされたのは、ルーツの部分もあったのでしょうか。

細谷)我々は、その精神を受け継いで行かなければいけませんね。

飯田浩司のOK! Cozy up!
FM93AM1242ニッポン放送 月-金 6:00-8:00

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笑福亭鶴瓶が驚いた、亜希の初対面の一言「“元嫁”って呼んでください」

元プロ野球選手・清原和博氏の元妻でモデルの亜希が、5月5日のニッポン放送『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』に出演、初対面時のエピソードを鶴瓶が明かした。

亜希、笑福亭鶴瓶

2人は「A STUDIO+」(TBSテレビ系)にて高嶋ちさ子さんの友人として取材を受けたことで知り合い、以来、鶴瓶は亜希のことを「明るくて面白い人やで」と周囲に話していたという。一方の亜希は、今回の出演オファーを聞いて「嘘かと思った」ほど、驚いたという。

初めて会った時に鶴瓶は、亜希の方から「“元嫁”って呼んでください」と言われたことに驚いたという。そのあっけらかんとした明るさに心を打たれた様子だった。亜希さんは「一時期は“清”すら耳にするのも嫌な時期もありましたけど、息子たちの成長と共に、話せるようになった」と心境の変化を語った。

「鶴瓶さんとお会いするタイミングが良かったんですね」

笑福亭鶴瓶、亜希、上柳昌彦

そんな亜希の心の支えとなっていたのが2人の息子。現在は2人とも野球での活躍が話題となっている。

亜希は、そんな息子たちに18年ものあいだ作り続けていた“お弁当”について書いた本『亜希の「ふたが閉まるのか?」弁当 ~母ちゃんと息子2人、笑いと涙の18年の弁当記録~』(亜希・著/オレンジページ・刊)を3月に出版。

鶴瓶も、ページをめくるたびに、亜希の持つパワーや明るさ、そして家族の愛情を感じているという。

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