コロナで「40万人死ぬ」試算は“根拠レス”だったのでは~辛坊治郎が持論

キャスターの辛坊治郎氏が6月25日(木)、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!~激論Rock&Go!」に出演。新型コロナウイルス感染症の専門家会議の廃止について解説した。

政府専門家会議の在り方について記者会見する尾身茂副座長(手前、地域医療機能推進機構理事長)ら=6月24日、東京都千代田区の日本記者クラブ ©時事通信社

専門家に責任を負わせるべきではなく、責任は政治家がとるのが当然

24日、西村経済再生担当大臣は会見で新型コロナウイルス対策を話し合う政府の専門家会議について廃止したうえでメンバーを拡充するなどして政府内に新型コロナウイルス感染症対策分科会として改めて設置する考えを明らかにした。専門家会議は政策を決めているというような誤解を避けるため政府との関係の整理を求めていた。

辛坊)たしかにいままで法的位置づけが不明解で、それゆえに例の議事録が残っているのかどうかという話になっていました。公式な政策を決定する会合であれば議事録も残さなければならない。しかし、そのような性格なものではないという話になる。ならばどういう性格なものであったのかという意見が出る。一般の人の受け止め方でいえばここが政策を実質的に決めていたと思っている人が大半でしょう。

ですが、この騒動が始まってから私が言い続けてきたのは最後に責任をとるのは政治家なのだから専門家の方はそれぞれが自分の知見に基づいていろいろなことを言えばいいのです。今回もウイルスから抗体から、様々な専門家と多く私も話をしていて、それぞれが言うことはバラバラなのです。そうしたときに、いろいろな意見があり、いろいろな研究成果もあり、論文もある。しかし、政治判断としてどうするのかというのを決めるのは政治家の責任です。それを専門家に責任を負わせるべきではないうえに、専門家の過去や現在の発言、行動その他に関して何か追及するようなことをしてはいけない。自由に発言してもらったうえで責任は政治家がとるのが当然だろうということをずっと言い続けてきました!

ですが、今回こうなるに至って専門家会議の座長が「リスク何とかは政治が行う」という。私もこういう立場なのでそうは言ってきたけれども「本人が言うなよ……」ということです。「あなたたちが実質、政策を決めていたようなものだろう」と思います。本人に言われてしまうと反発したくなるものですよね。

それにしても専門家会議の皆さんは一生懸命に行っていたと思いますよ。とくに副座長の尾身茂さんという方はいろいろな番組で私もご一緒させていただきました。この人は本当にいい人で人格者です。

岡田晴恵・白鷗大学教育学部教授  撮影日:2016年01月23日 ©産経新聞社

尾身茂副座長は人格者

辛坊)もう一人、今回のことで有名になったウイルス関係、感染症関係の有名人では羽鳥慎一君の朝のワイドショーに出ていた白鳳大学の女性の方がいらっしゃいましたよね。

増山さやかアナウンサー)岡田晴恵さんですかね。

辛坊)そうです。私は実は岡田晴恵さんと尾身さんとかなり早い段階で同席しているところを目撃しました。そうしましたら岡田晴恵さんが私に向かって「私は尾身さんの前で発言できるような人間ではありません。私たちにとって尾身さんというのは神様のような人です。私が口をはさむような余地はありません」と本音で尾身さんの前でいうのです。尾身さんは恐縮して「そんなことないですよ」というのです。この方が本当にすごいと思うのはそうした状況のなかで私も職業柄、浅い質問もぶつけます。どんな浅はかな質問をぶつけても尾身さんという方は丁寧に一生懸命に答えてくれます。普通の人であれば「何言ってるんだ、こいつは」とさらっと流してしまいます。こちらも正直流されてもよいと思い聞いていることでも答えてくださる。この人は本当にすごい人だと心から思いましたね。

新型コロナウイルスのクラスター感染防止策について、記者会見する北海道大・西浦博教授(中央)=2020年4月15日午前、厚労省 ©共同通信社

「40万人が亡くなる」というのは“根拠レス”では

辛坊)そうした意味ではそれぞれの人が一生懸命行っていましたが、結果的に先走ったことを言ってしまう人も続出しました。今回の専門家会議のメンバーではありませんでしたが、厚生労働省のクラスター班のどなたかは「このままでいくと40万人が亡くなる」と言っていましたね。

飯田浩司アナウンサー)“8割おじさん”ですね。

辛坊)しかし、根拠は何なのであろうかとよく考えてみると根拠レスだと思います。それを発言したのは4月中旬ですね。4月の半ばというのは当時から私はずっと言っていたので言う権利がありますが、後知恵で言うならば、3月末が感染のピークでした。しかし、これもどうもわからない。なぜならば3月末ごろまでPCR検査が伸びてきているのとほぼ感染者数がイコールで伸びてきています。そうなるとそれは本当に感染者が伸びていたのか、PCR検査の結果あぶり出されていたのかわからない。一応、今のところはどこが感染のピークであったというのを類推するに際してそれ以外のデータがない。ですのでPCR検査で出された感染者数のグラフを見る。実際に感染者だというように認定された時期というのは、それぞれの感染者はそこからさかのぼって2週間ほど前に感染しているだろうと考えたときに、3月下旬ごろがピークであったのではないかという推定が成り立つ。それはあくまでもこのPCR検査の結果に基づいての推量であるからです。グラフで落ちてきている部分の線はPCR検査数がかなりの数字になってきていて、そのなかで感染者の割合が減ってきているのでかなり信用できます。

しかし、最初の伸びに関してはPCR検査自体をしていないので、PCR検査の伸び数と感染者の伸び数が2月3月はかなり一致していることを考えると実際の感染者はもう少し違う推移であったのではないか。となると、3月末よりもさらに前に感染のピークが来ていた可能性がある。今回の大阪の専門家会議で核物理の専門家がやってきて「緊急事態宣言は意味がなかった」と。ピークは3月末で下がり方が一定のスピードで下がっているので緊急事態宣言の前と後では下がっているスピードは変化していない。このグラフを見ると4月半ばでは、すっかり下がりきっている部分である。そのため、改めて「40万人」があの時点では起きなかったということは、現在証明されています。これ自体は後知恵ですから言ってはいけないとは思いますが、私は前々から言っていました。

辛坊治郎

日本ではいろいろなことが複合的に作用して幸運だっただけかもしれない

辛坊)つぎに第2波は必ず来ると私は踏んでいます。そのときに、緊急事態宣言を出すのか出さないのかというのは大きなテーマになると思います。私はもともと緊急事態宣言は今回に関してはいらなかったと考えています。それだけみる私のイメージで言えば、「つぎ来ても緊急事態宣言はいらない立場でしょう」と私に言う人がいます。しかし、そうとも言えないかもしれないという危惧は持っています。1回目のこの冬から夏にかけて、日本ではいろいろなことが複合的に作用して幸運だっただけかもしれません。そうしたことは当然考えておいたほうがよいです。

Creepy Nuts、数々の苦難を乗り越えて菅田将暉との1年越しのコラボ楽曲が完成!

6月23日(火)深夜、ラッパー・R-指定とターンテーブリスト・DJ松永による音楽ユニット・Creepy Nuts(クリーピーナッツ)がパーソナリティを務めるラジオ番組「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0(ZERO)」(ニッポン放送・毎週火曜27時~28時30分)に、俳優の菅田将暉が生出演。Creepy Nutsと菅田の初コラボ楽曲『サントラ』がついに初解禁されるとともに、その楽曲制作の裏側が明かされた。

昨年2019年8月、Creepy Nutsが「菅田将暉のオールナイトニッポン」にゲスト出演した際に、コラボ楽曲を制作すると明言していた。そこから何度か打ち合わせをして曲作りが始まったが、実は何度も行き詰まりを経験していたと語った。

DJ松永:3人でご飯に行っていろいろ喋って、そこから曲作りが始まり、その後、歌詞を書くにあたって、菅田さんとRさんはお茶に行ったんですよね。あの時はどんな話をしたんですか?

R-指定:どんな曲にするかを話す前に、年齢の話をして。27歳、“27クラブ”という……ミュージシャンとか、天才と言われる人が27歳で亡くなる――みたいな話を。「俺は28歳だから、 ぜんぜん生きてましたわ~」なんて話をして。

菅田:「ぜんぜん俺ら生きていますね」、「俺ら天才ちゃうんやな~」みたいなことでゲラゲラ笑って。

R-指定:お互いの話もして、俳優さんの話、ラッパーの話……、最終的になんか電子レンジの話をしませんでした?

DJ松永:?

R-指定:電子レンジの都市伝説の話で盛り上がった(笑)

菅田:電子レンジって急に現れたんですって。科学者たちの中でもよく分かってない、みたいな。その時代の発明としては、あり得ない技術だったそうで。

DJ松永:……よかったー。それ、曲に入っていなくて(笑)

R-指定:いや、電子レンジ、あり得たよ。

DJ松永:歌詞に27歳のことと、仕事のくだりはガッツリ入っているけど、電子レンジが入っていなくてよかったよ。

R-指定:入れるか悩んだけどな。

DJ松永:ふざけんなよ!(笑)

R-指定:まあでも、菅田さんと熱い話になって、俺がそれをメモして、そこから(歌詞を)書いていって。

DJ松永:実は俺たち、けっこう苦戦したんですよ。

R-指定:めっちゃ苦戦した……。

DJ松永:2人とも、途中でなんか頭が爆発しそうになって。

R-指定:菅田さんと2人で話した後、1番のド頭の歌詞を何となく作って、松永さんが元々用意していたビートに乗せて。でも、ちょっとサビがなかなか……って、2番目とサビが……って。1回、夜中の2時くらいに松永さんと泣きそうな顔になりながら「1回全部白紙に戻す? これ」って話になったりとか。「もう1回ゼロから作る?」って。

DJ松永:すごい、行ったり来たりしていたよね。今なら泣ける、っていう瞬間が何度もあったよね(笑)

R-指定:あった!(笑)

DJ松永:俺ら大人だけど、いま泣けるよね、みたいな。出来なさすぎて(笑)

菅田:ありがとうございます!

DJ松永:ちなみに、Rさんの歌詞が上がってきた時、どう思いました?

菅田:痺れましたよ! めちゃめちゃ痺れました! 読み物としてグッときて、メロディでグッときて。あと、これは僕らしか聞けないですけど、Rさんのデモの声がめっちゃいいんですよ!

DJ松永:そう! あのデモ、最高ですよね! この人、いい声してますよねー。

菅田:僕もRさんのハイトーン、高音域めっちゃ好きです。

R-指定:いやいや(笑)。レコーディングで菅田さんの声を入れてもらった時は、俺らは感動して、これで曲が出来上がったって感じがした。

また、『サントラ』というタイトルはDJ松永が名付けたそうで、「映画も音楽もエンターテインメントで、それぞれ、聞く人、見る人の感情を助長するものじゃないですか。それ自体が、リスナーの人生のサウンドトラック的なものでもあるんじゃないかな、というのがありまして」とタイトルに込めた思いを説明。そして、1コーラスだけではあるが楽曲がオンエアされると、菅田は大声で「どーよ!」と誇らしげに叫んだ。

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