元毎日新聞オリパラ室長・パリ大会開幕をひかえ「その意義」を考える

パリ・オリンピック競技大会が7月26日から始まる。コロナ禍で1年延期され、無観客で行われた東京大会から3年。2大会ぶりに通常の形で開かれることになる。毎日新聞のオリンピック・パラリンピック室長を務めた山本修司氏は、7月19日に出演したRKBラジオ『立川生志 金サイト』で、改めて大会の意義についてコメントした。

新型コロナ禍で延期・中止に揺れた東京大会

私は2021年東京大会の際、毎日新聞のオリンピック・パラリンピック室長を務め、社内でのオリパラへの取り組みを主導するとともに、組織委員会とのやり取り、各パートナー企業とコラボレーションしたイベントの企画や情報交換などを取り仕切っていました。

新型コロナの蔓延による大会の1年延期により、企画したイベントは軒並み中止になりましたし、何よりも大会そのものの中止を求める世論が高まる中で、大変つらい仕事にもなったのですが、どうにか大会を終え、ほっとしたことを覚えています。

当時、2年延期を主張する人もいましたが、そうなるとそれからたった2年ということで「もう次のオリンピックか」と新鮮味もなく、パリにしてみればとても迷惑な話ですから、いまになって考えれば1年延期とした理由がよく分かると思います。

「オリパラは必要か」究極の問いに出した答えは…

いまオリンピックの意義が問われています。そもそもオリンピックは必要ないのではないかという声もあります。特に東京大会はコロナ禍のまっただ中にあり「こんな状況下で開くのか」と批判が出ましたし、贈収賄事件、談合事件が東京地検に摘発され、オリンピックの歴史の中で最もマイナスイメージが膨らんだ大会でもあったと思います。

では、オリンピック・パラリンピックは必要なのでしょうか。こんな究極の問いに私は何度も直面してきたわけです。

空気や水、食べ物と違って、オリパラがないから死んでしまうということはありません。生きるために必ずしも必要ではないという面はあります。しかし、スポーツや文化、芸術、芸能がなくても生きていけるのかといえば、人間らしい豊かな生活をしていくうえでは欠かせないことも事実です。

スポーツでいえば、例えばサッカーやラグビーのワールドカップ、陸上なら世界陸上やダイヤモンドリーグ、ゴルフもワールドワイドなメジャー大会がありますから、それで足りるという面もありますよね。結局、さまざまなスポーツの一流アスリートが「同時期に」集うオリンピック・パラリンピックを開く必要はあるのかということになります。

私は東京大会が開かれるにあたり、こんなことを考えていました。国籍や肌の色、民族、性別、性的指向、宗教に関係なく、世界からあらゆる人が集い、街角でグラスを合わせ、握手をし、ハグをする。どんな国・地域の代表の選手も、どんな種目の選手も関係なく応援し、勝っても負けても声援を送り、選手同士もファン同士もお互いを尊敬し合う。オリパラはこうした多様性と平和を希求する全世界的なムーブメントの集大成なのではないかと考えたのです。東京大会でこれを示せれば、と燃えていたように思います。

「あるべき姿」とかけ離れたスポーツ界の実相

しかし、東京大会がコロナ禍の無観客だったことで、もちろんこうはなりませんでしたし、こうしたあるべき姿といまスポーツ界が抱える実相はあまりにもかけ離れているように思います。

例えば、南アフリカのキャスター・セメンヤ選手は、小さい頃から女性として育ってきたのに、あまりにも速い記録を出したために、女子の中距離陸上競技への出場を拒否されました。マルクス・レーム選手は、義足の反発力によって記録を伸ばしているとして、オリンピックをはじめ健常者への大会への参加を認められていません。

「障害者アスリートが健常者アスリートより優れていることは許されない』というヒエラルキーの意識があると感じる」と発言したこともあります。もともと義足は競技力を増すためでなく、足を失ったために使うもので、仮に強力な反発力があればもう一方の健常な足とのバランスは取れませんので、使うのは無理です。これはほんの一例ですが、多様性も何もあったものではありません。

あからさまに憲章に違反した運営

また、ロシアのウクライナ侵攻は、全く許されないことですが、ロシアの選手がオリパラに出場する権利はあるのかという問題もあります。ロシアが侵攻したのは北京オリンピックが閉幕した4日後でパラリンピックが開かれる前の2022年2月24日。

平和の祭典といわれるオリパラが何の役に立たず、むしろあざ笑うかのように戦争を始めた国。「政治とスポーツは別」という議論は、ボイコット合戦となったモスクワ、ロサンゼルス大会の例を挙げるまでもなく、現実にはなかなか難しいと感じます。

オリンピック憲章には「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と明記されています。しかし実態は、参加各国の国旗が掲げられ、国家間のメダル競争によって大会を盛り上げ、表彰式では金メダルを取った選手の国の国家が演奏されます。あからさまにオリンピック憲章に違反した運営がなされているわけです。

「感動ポルノ」として消費される側面も

そして指摘しなければならないのは、オリパラに過剰なストーリーが求められてしまうことです。特に、パラリンピックなど障害者スポーツでいわれるのが「感動ポルノ」という言葉です。身体障害者がスポーツなどに真剣に取り組み奮闘する姿が、健常者に感動をもたらすコンテンツとして消費されていることを指します。

「ポルノ」という言葉は過激ですけれども、これはオリンピックにも当てはまると思います。アスリートがどういう姿勢で、またオリパラをどう位置づけて競技をするかは全く自由なはずですが、これについてはオリパラをことさら強調する一部の報道のあり方にも、問題があると思っています。

ゴルフの全英オープンを前に、「オリンピックを占う大会」とする報道がありましたが、私は強い違和感を覚えます。その競技の最高峰の大会よりオリンピックが上位にあるような見方をするのは自由ですが、私は支持できません。

行きすぎた商業主義からの脱却を

こうしたオリパラ、特にオリンピックが抱える問題の根底には、1984年のロサンゼルス大会を起点とした商業主義の行きすぎがあることは間違いありません。この問題は話し始めると番組5回分くらい必要となりますので詳細には触れませんが、これまでオリンピックを支えてきたマクドナルドやトヨタ自動車といった世界的大企業がスポンサーから手を引く動きを見せていることは、特にオリンピックの影響力が低下している表れとみることができます。

東京大会を振り返れば、さまざまな問題を抱えながらも何とか終了できたのは、アスリートの力があったからにほかなりません。あらゆるイベントをビジネスチャンスと捉えることを私は決して否定しませんが、アスリートファーストといいながら、実際にはビジネスファーストに、もっといえばIOC=国際オリンピック委員会ファーストになっていたことが、東京大会では贈収賄事件や談合事件として顕在化したとみることもできます。

26日からパリ大会が始まります。いろんな種目で世界の一流アスリートのプレーに注目していくことはもちろんですが、今後のオリパラのあり方についても考えながら、そのレガシーを探っていきたいと思います。

◎山本修司(やまもと・しゅうじ)
1962年大分県別府市出身。86年に毎日新聞入社。東京本社社会部長・西部本社編集局長を経て、19年にはオリンピック・パラリンピック室長に就任。22年から西部本社代表、24年から毎日新聞出版・代表取締役社長。

立川生志 金サイト
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週金曜 6時30分~10時00分
出演者:立川生志、田中みずき、山本修司
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※放送情報は変更となる場合があります。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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