女子ホッケー日本代表・鳥山麻衣選手の母校・伊万里実業で競技を体験

パリオリンピックが開幕するのに合わせ、RKBラジオ『Toi toi toi』でキャスタードライバー・スナッピーがさまざまな競技を体験! 7月23日には女子ホッケー日本代表・鳥山麻衣選手の母校・伊万里実業高校(佐賀県伊万里市)におじゃまし、男子ホッケー部の練習に参加しました(報告・スナッピー神谷留菜)

ホッケーってどんなスポーツ?

佐賀県立伊万里実業高校の男子ホッケー部は1967年の創部。校内には生徒が自由に使える人工芝のホッケー専用コートがあります。現在、男子ホッケー部は16名で、インターハイに向けて日々練習に励んでいます。

ホッケーのルール

ホッケーのルールを簡単におさらいします。ホッケーとは、2つのチームに分かれ、先の曲がった杖のような道具(スティック)でボールを誘導し、相手チームが守っているゴールへ入れるゲームです。

フィールドに立てるのは、サッカーと同じく1チーム11人。国際ルールでは、15分の4クオーター制(計60分)で実施されます。

ホッケーで使用する道具とは?

スティックは、重さおよそ500g、長さおよそ1mほどの先の曲がった道具。スティックには平らな面と、丸い面があり、平らな面でしかボールを扱うことはできません。ボールは野球の硬球とほぼ同じ大きさ・重さで、硬球よりも硬いです。

スピードスターのFWと守護神のGK

ホッケー歴6年目の3年生、FW山口琉聖さんにはパワフルなシュートを見せてもらいました。山口さんの強みは足の速さとシュートのパワーです。打たれたボールは時速およそ100km。ボールが見えないほど速く、決まったときの「カコーン!」という乾いた音が気持ち良く響きました。

そんなFW山口さんから誘われて、高校からホッケーをはじめたのが3年生、GKの松原星さんです。中学時代はキックボクシングをしていたという松原さん。「184cmの大柄な体格と運動神経から、一緒にプレーしたいと思って誘いました。」と山口さんは話します。今ではチームの守護神として、ゴールを最後まで守り抜きます!

ボールコントロールが難しいホッケー

スナッピー前田もホッケーに初挑戦! スティックでボールを誘導し、ゴールまで運ぶ動作を体験します。まず、スティックでボールをつつきながらドリブルを行い、ゴルフのようにスティックでボールを打ってゴールへ運びます。

意外とコントロールが難しい! なかなか進ませたい方向にボールが転がってくれません。また、500gのスティックを素早く動かしながら走るので、想像以上にハード。すぐに腕が疲れ、息が切れてしまいます。でも、スティックで思いっきりボールを打ち、ゴールしたときの爽快感はひとしおです!

30度を超える炎天下の中、伊万里実業高校男子ホッケー部の皆さんは水分を十分に取りながら練習を頑張っていました。「インターハイではベスト8を目指します!」と意気込みを語ってくれたFWの山口琉聖さん。伊万里実業高校男子ホッケー部の皆さん、応援しています!

Toi toi toi
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 9時00分~13時00分
出演者:山口たかし、内村麻美
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※放送情報は変更となる場合があります。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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