財津和夫、尖がっていた若いアマチュア時代はお金を払ってでも歌いたかった

TULIP・財津和夫が、時には福岡のアマチュア時代の記憶を遡るRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。2月23日の放送では、来月ついに閉館となる福岡市民会館の思い出話や、相手に怒るための下準備(?) にまつわる話をします。

罵詈雑言のための下準備とは

結婚後45年も経つと夫婦関係がギクシャクしているが、番組での財津のアドバイスを参考に、相手の良いところだけを見るようにして少々改善中、とのお便りを頂戴しました。
財津「いやー、嬉しいな。『(夫婦仲が)うまくいってます』だったらこれ(お便り)を読むのを止めようかと思ったけど」
人の不幸は蜜の味とも言いますが、財津の毒舌に下田アナが失笑します。
財津「ギクシャクっていうのはね、楽しい受け止め方をしたらいいんです。ずっとラブラブだったら、人って成長しないでしょ。ギクシャクする理由をよく考えていくと、ずっと相手が悪いって思っていたことが、実は自分の方が悪いのかなって思い始めたりする。自分が反省する事によって、ちょっと大人になれる。そう考えれば、成長のための材料として受け止めましょう」
話の途中に、「ウチ(我が家)の場合は、そう思っても相手の方が悪いんですけど」とさりげなく自分の正当性を訴えながら話をする財津ですが、奥様はこの番組をお聞きじゃないのかな、ちょっと心配しちゃいます。

財津「それと、ギクシャクした時には、ストレスを解消するかのように思いっきり罵詈雑言を投げかけることです。そうするとストレスが取れますから」
またまた毒気の含まれた提案ですが、大丈夫でしょうか。
財津「まず、それを受け止めてくれるような下準備をしておいてから言わなきゃ駄目ですよ。その言葉で、もう絆がプチッと切れてしまうことありますからね。切れない程度に下準備をして、罵詈雑言」
なかなかリスクを伴う方法ですし、かつあらかじめ周到な準備をしてから相手が切れない程度にこちらが切れる、うーん、計画的犯行だとしても加減が難しいような。

財津「もう一つ。自分の部屋に入ってからソファーなどを殴りまくる。そうするとギクシャクに対して客観的になれます」
壊さない程度でお願いします。
下田「罵詈雑言の下準備はどんなものだったら良いのかしら」
財津「相手を立てて、ここまで言っても怒らないだろうというレベルを察知した上で、罵詈雑言を言う。『(最初は声高に)なんでお前!(その後、トーンをやや下げて柔らかく)そんなことしてはいけないでしょ』ぐらいの感じです」
下田「なるほど」
財津「この人は怒ったけど、印象としては柔らかかった、ということになりますから」
その程度なら、罵詈雑言にはならないと思うのですが…相手との関係や受け取り方ってやはり千差万別なのですね。
下田「ご参考にされてください」
はい。

お金を払ってでも歌いたかった

今年3月23日、62年間の歴史に幕を降ろす福岡市民会館。2019年に閉館した九電記念体育館や、2007年閉館の福岡郵便貯金会館なども含めた「財津の思い出話」のリクエストのお便りに沿って、話を進めます。
財津「福岡のアマチュア時代ですから、本当に若気の至りで尖ってました。『尖って』っていうのがぴったりくる位にとんがっていましたね。自分のやっていることが絶対正しいんだと自信たっぷり。今となっては恥ずかしい限りでございます」
恥ずかしすぎるのか、尖がっていた実例は秘密のようです。

財津「市民会館の横に公園(須崎公園)がありました。もう無くなるのか、小っちゃくなるらしいんですけど」
下田「そうですね、そこに新しく『福岡市民ホール』が建てられました」
財津「そこに野外ステージがあったんですよ。練習しましたね、夜中。ギターをいつも持っていましたから、どこに行ってもギター弾いて歌って。お金を貰わなくても歌いたい、照和(しょうわ)というライブハウスにお金を払ってでも歌わせて欲しい、そんな時代ですよ」 
照和に関しての話題は、昨年11月17日の放送でも取り上げましたので、覚えている方もいらっしゃると思います。

財津「九電記念体育館、デカかったなあ…郵便貯金ホール、思い出すなあ。楽屋がね、奥の方にあるんです。本番前に楽屋から出た直ぐのところ、本番までもうちょっとかなとか思いながら、日当たりが良い陽だまりで風もなく、なんか時間が止まったかのような感じが好きだったな。あれもなくなっちゃったんですね」
下田「そうですね、その福岡市民会館を継承する施設として、福岡市民ホールが3月28日に開館します」

CMを挟んで、この新しい福岡市民ホールでの財津のソロコンサート日時のお知らせです。
下田「8月30日土曜日、午後5時30分開演です」
財津「8月、暑いですね。私も熱くならなくっちゃ。みんなで汗だくになりますね」
下田「冷房効かせて貰いましょう。新しいホールでの楽しみ、何かありますか」
財津「そりゃもう、新しいホールなんで隅から隅まで舐めるように観察しますよ」
下田「ですよね、音響も違うかしら」
財津「もちろん違うと思います、もうどんどん良くなってますから。最近できていく施設は本当に計算されて良くなっています」
下田「新しい場所で元気にやっていくぞ、っていうのは良いですね」
財津「年取ると、何か新しいことに触れると嬉しい。自分が新しくなっていくような気がするんで」

今日の一曲は、財津和夫『君の指』。1990年(平成2年)にリリースされた4枚目のソロアルバム『I must be crazy』に収録されています。「ナイフとフォークで溜息を切る一人の食事」。切なくそしてストレートな失恋の曲です。

次回3月2日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
ソロコンサートのタイトル「忘れられない歌」にちなんだお話をお送りします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
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※該当回の聴取期間は終了しました。

大阪から東京まで56日間の“長距離ハイキング”、忘れられないおにぎりの味

先日、大阪・関西万博が開幕しました。今回は、東京と大阪を結ぶ「東海自然歩道」のお話です。

東海自然歩道の起点(東京・高尾山)(写真提供:トレイルブレイズ ハイキング研究所)

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本初の長距離自然歩道「東海自然歩道」を知っていますか? 郊外の自然を守るグリーンベルトとして、自然や歴史文化に親しみ、健康と安らぎを楽しむ場として、1969年(昭和44年)に当時の厚生省が構想を立ち上げました。東京の起点・高尾山から、神奈川、山梨、静岡、愛知、岐阜、三重、滋賀、奈良、京都、そして大阪の起点・箕面まで、11都府県を結ぶ自然歩道が開通したのは、1974年(昭和49年)のことでした。

東海自然歩道のルート。赤色は主線、黄色は複線(資料提供:トレイルブレイズ ハイキング研究所)

自然と人を結ぶ「トレイル文化」を日本に根付かせようと活動しているのが「一般社団法人 トレイルブレイズ ハイキング研究所」、通称「トレ研」。所長で長距離ハイカーでもある長谷川晋さんにお話を伺いました。

「私たちはアメリカのトレイル文化を実際に歩き、体験し、学んできました。そこから着想を得て、日本の自然や地域性を楽しめる“長距離ハイキング”を広めたいと、2020年にこの組織を立ち上げました。歩く文化が根付き、育っていくことを目標に、活動を続けています」

昨年と今年、「トレ研」主催のイベント『つなぐ東海自然歩道』が、名古屋と大阪で開催され、会場には180人を超えるトレイルファンが集まりました。そのイベントに登壇し、実際に「東海自然歩道」を歩いたハイカーの山中二郎さんをご紹介します。

左:富士山を望み富士山を巡る、右:秋を感じながら三重県を歩く(写真提供:トレイルブレイズ ハイキング研究所)

愛知県在住の山中さんは42歳。神社やお寺、文化財の建築・修理に携わる宮大工として活躍されています。山中さんは、大学を卒業後、会社に就職しましたが、子どもの頃から手先が器用で、物づくりが好きだったことから、いつか靴職人や革細工など手仕事に関わる仕事をしたいと考えていました。

「そんなに物づくりが好きなら、宮大工になれや」と声をかけてくれたのは、宮大工をしていた山中さんの兄でした。26歳のとき、山中さんは滋賀県の工務店に転職しますが、宮大工の修行は時代によって建築の工法が異なるため、覚えることが多く、扱う道具も多く、いろいろと苦労したそうです。現在は独立し、宮大工一筋に歩んできた山中さんがなぜ自然歩道を歩くようになったのか、こんな話がありました。

伊豆大島で生まれ育った山中二郎さんは、自然の中のキャンプやハイキングが大好き。さらに手先が器用なこともあり、アメリカから取り寄せた生地や素材で、ハンモックや寝袋を自分で作っていました。

左:苔むしたトレイルを行く、右:トレイル上は人気も少なく静かだった(©山中二郎)

「アメリカでは、キャンプ用品を自分で作る人が多いんですよ。それをテストしながら、ロングトレイルを楽しんでいる人がいることを知って、長距離ハイキングに興味を持ちました」

2022年、山中さんはアメリカの「コロラド・トレイル」、750キロを踏破。トレイル全線を一気に歩く「スルーハイキング」の魅力に、すっかり魅せられます。帰国後、以前から興味を持っていた1200キロの「東海自然歩道」をスルーハイキングしてみようと、2024年10月6日、大阪の起点・箕面から、東京・高尾山を目指して歩き始めました。

「リュックには、ハンモックや寝袋、着替え、あとは食料を詰めました。道に迷わないようにスマホに地図アプリを入れて、モバイルバッテリーも携帯しました。ロングトレイルの魅力は、自分のペースで歩けること。ルートから外れて、寄り道をしてもいいんです。私は仕事柄、京都や奈良で寺社仏閣巡りを楽しみました。映画『男はつらいよ』の寅さんになった気分で、風の吹くまま、気の向くまま、そんな風来坊のような旅でしたね」

自然歩道を外れて街に出て、食料の補給をしたり、バッテリーを充電したり、たまに温泉につかり、名物料理を食べたり、何もしない日もあったり。それもロングトレイルの魅力のひとつだと、山中さんは言います。

左:キャンプ場でひと息、右:林の中にハンモックを吊るして野宿(写真提供:山中二郎)

静岡を歩いていたある日のこと。人里が近く、野宿できる場所が見つからないまま、気がつけばすっかり夜に……。ルートから3キロほど離れた場所にキャンプ場を見つけましたが、すでに夜7時を過ぎており、管理人さんは帰った後でした。看板に書かれていた電話番号にかけ、「東海自然歩道を歩いているんです」。そう伝えると、「年に一人か二人くらい、うちのキャンプ場に来るよ。いいから、泊まっていって」と、快く受け入れてくれました。

翌朝、キャンプ場に現れた管理人さんが、山中さんを車で東海自然歩道のルートまで送ってくれました。そして別れ際に「これ、食べて行ってよ」そう言って手渡してくれたのは、おにぎりでした。

「あのおにぎりの味は、一生忘れられませんね」

東京・高尾山に着いたのは11月30日……、56日かけて歩いた山中二郎さん。人のぬくもりも、道しるべになっていました。“現代版・東海道五十三次”とも呼ばれる「東海自然歩道」を、あなたも歩いてみませんか?

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