文化人に刺さる!映画『BAUS 映画から船出した映画館』の魅力!

RKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」の大人気コーナー、クリエイティブプロデューサーの三好剛平さんが3日の放送で紹介したのは、映画『BAUS 映画から船出した映画館』。2022年に亡くなられた福岡出身の映画監督・青山真治さんが遺した脚本を、彼の教え子であった映画監督・甫木元空さんが引き継ぎ映画化した作品だという。ある街に映画館が生まれて閉館するまでの90年間を描く物語は、「このコーナーを聞いてくださっているような『文化』への想いがある人には間違いなく刺さる一本になっています!」と三好さんは語った。
青山真治、甫木元空
まずはこの映画のあらすじから。
物語は1927年の青森から始まります。活動写真に魅了され、「あした」を夢見て青森から上京したサネオとハジメ。ひょんなことから二人は吉祥寺初の映画館である「井の頭会館」で働きはじめ、兄・ハジメは活弁士として、弟・サネオは社長として奮闘。劇場のさらなる発展を目標に掲げた頃、戦争の足音はすぐそこまで迫っていた——。
映画はその後、終戦後には「ムサシノ映画劇場」の開館、さらに1984年には開館以来多くの観客と作り手に愛された文化の交差点「吉祥寺バウスシアター」と、同じ街で〈映画館〉という場所を守り続けたひとつの家族を巡る90年におよぶ三代記として展開しながら、ついに2014年その「バウスシアター」の閉館の日へと向かっていきます。
実在の映画館とその家族をめぐるこの物語の脚本を当初手掛けたのが、冒頭にもご紹介した通り福岡・北九州出身の青山真治監督でした。2000年のカンヌ国際映画祭で複数賞を受賞した「ユリイカ」ほか、国際的にも高い評価を集める映画監督でしたが2022年に57歳の若さで亡くなられましたが、そのご遺稿のひとつとして残っていたのがこの『BAUS 映画から船出した映画館』でした。
その遺された脚本を引き継いだのが、青山さんの多摩美術大学時代の教え子だった甫木元空さん。リスナーの皆さんももしかしたらまだご存知ない方も多いかもしれませんが、彼は今後かなりの注目株です。まず彼は映画監督としてこれまで2本の映画を劇場上映作品として手掛けていますが、1本目の「はるねこ」そして2作目となる「はだかのゆめ」といういずれの作品もロッテルダム国際映画祭ほか各国映画祭でも発表している実力派であり、「はだかのゆめ」という作品についてはその原作が小説として新潮社から発表されてもいます。さらに注目なのが、彼は実は普段バンドbialystocksのボーカルとして活動するミュージシャンでもあるんです。既に東京大阪、そして海外の音楽ファンからも注目集めているこのバンド、ここ数年ではTVドラマや「生茶」「ソフラン」といったCM等にも多数楽曲が起用されている注目のバンドです。そんなことで甫木元空さんは映画監督、小説家、ミュージシャンとマルチに活躍するアーティストであり(個人的には第二の星野源になり得る存在とも思っていますが)、そんな彼が恩師である青山監督の脚本を引き継いで完成させたのが今回の『BAUS 映画から船出した映画館』ということになります。
映画『BAUS 映画から船出した映画館』
ここから映画の中身にも少し触れていきます。この映画、先ほどあらすじでもご紹介した通り吉祥寺という街、そして90年にわたって映画館を守り続けてきた家族の物語にはじまり、ついには2014年「バウスシアター」閉館の日を迎えるまでの映画になっていきます。この映画がその「バウスシアター」の閉館つまり「終わり」へ向かって進む物語になることは、作品のプロローグに当たる冒頭箇所でもあらかじめ宣言されます。
ならばこの映画は、ただ時代の流れの中で、ついに失われていく映画館の「終わり」を見届けるだけのメロウでウェットな作品に終始するのか?ということがひとつポイントになっていくのですが、結論から言うと「決してそうはなっていない」点にこそ、この映画の真のメッセージがあると感じました。
そこお話しする前にもうひとつ。この映画の舞台は吉祥寺であり、その土地で営まれてきた映画館であるということからも、もしかしたらリスナーの皆さんには「自分とは関わりのない、どっかの映画館の話」と縁遠く思っている方もいるかもしれません。じっさい僕自身も見るまでは、行ったこともない街と映画館の話を果たしてどれくらい自分ゴトとして見れるかなぁと少し心配もしていました。しかしいざ見始めると、終盤には鳥肌を身体中に立てて「これは!これは、俺たちの話だよォ!!!」とシビレながら、劇中のセリフをメモ取る手が止められないほどでした。
そこに映っていたものは何だったか?ということについては、ぜひ劇場で皆さん自身で見届けて欲しいものですが、少しだけ予告しておくとそれは、たとえその映画館、あるひとつの現場が「終わり」を迎えたとしても、そこに集まった人々、そこで重ねられた無数の時間や体験、そしてそこに芽吹いた次なる表現や文化の種は決して失われはしない、ということだと思います。言い換えればそれは、いつの時代にも何かの「終わり」は必ず次なる「始まり」を呼び込む予兆である、ということです。
実際この映画のなかにおいても、戦争やそれぞれの時代の変化のなかで幾度となく映画館は「終わり」を迎えてはまた次なる「始まり」を繰り返していきますし、また本作自体も当時バウスに通っていた、僕よりも年下の若い世代が中心となったクルーで制作されたと聞いています。
「終わり」は次なる「始まり」を呼び込む。その確固たる意思は、かたちとしては失われた「バウスシアター」やその他すべてのこれまで失われていった劇場たちへの思いでもあり、あるいはもしかしたら亡くなった青山監督への思いとも言えるかもしれません。そして何よりそこには、そうした「終わり」をただの美談や思い出話としてだけ消費させてたまるか、という本作の制作陣の覚悟が宿っているのだと思います。
そう簡単に終わってはくれない僕たちの人生と世界のなかで、「終わり」の先に残された人間たちは、果たして何を成すことが出来るのか。その精神を継いで、やれることを精一杯やる。やり続ける。その誰かの新たな「始まり」が、また別の誰かの想いに種を宿し、次なるアクションを呼び込む。そうした連鎖が、ゆくゆくはその街の「文化」と呼ばれるようなものを形成していくのだ、ということです(自分自身もアジアフォーカス映画祭の終わりを受けて自分の映画祭を立ち上げた人間として、このあたりにはもう言葉にならないほどの共感があります)。
ということで、映画『BAUS 映画から船出した映画館』は4/11金よりKBCシネマで上映開始です。
4/12土には監督が来福し、お昼の上映ではKBCシネマでの舞台挨拶、そして19時からは福岡市総合図書館映像ホール・シネラにて甫木元監督らによるミニライブ付き短編上映も企画されています。ぜひKBCシネマ、そしてシネラのホームページであわせてチェックしてみてください。
※放送情報は変更となる場合があります。