初の平成生まれ代議士・馬場雄基「福島の復興は自分たちの代で成し遂げる」

馬場雄基衆議院議員

去年10月の衆院選・比例東北ブロックで初当選した馬場雄基衆院議員は、初の平成生まれ・全国最年少29歳の国会議員として注目を集めた。通常国会が17日に開幕するのを前に、RKBラジオ『櫻井浩二インサイト』に出演した馬場氏は「責任を持つ世代として、なんとしても自分たちの代で福島の復興を成し遂げる」と決意を語った。

櫻井浩二アナウンサー(以下、櫻井):そもそも馬場さんが国会議員を目指した理由は何ですか。

馬場雄基衆院議員(以下、馬場):出身地である福島の復興を何が何でも実現していきたいという思いで(出馬しました)。議員になる前は、松下政経塾で政治と経営を学びながら「福島の復興をなんとしてもやりたい、まずは現場から」と訴えていました。今回、(出馬の)要請をありがたくいただき、政治の方から変えていこうという思いです。

櫻井:福島の復興について「変えていきたい」とはどんなことですか?

馬場:いろいろあります。まずは海洋放出の問題。そのあとには、2045年に節目を迎える中間貯蔵施設の問題もありますし、さらに燃料デブリの問題もあります。どれか一つというわけではなくて、関係した方々が1日でも早く、昨日よりも今日、今日よりも明日をしっかりと歩み続けることのできる環境を、政治的に作っていかなければいけないという思いです。

櫻井:汚染水の海洋放出に関しては、地元の漁業関係者は本当に不安でしょうからね。

馬場:そういう声もたくさん伺いますし、一方で貯まり続けるタンクを不安視する声もたくさん伺っています。何よりも大切なのは対話と、そして適切な情報公開。この2つをしっかりと両面セットで進めていかなくてはならないと思っています。ただ、対話といっても、具体的に相手は誰なのか。関係者、縁がある人といっても、福島から離れている方々もたくさんいらっしゃるわけで、さらに言うと、風評被害は福島1か所だけの問題ではなく、複数の自治体にまたがって影響します。「この場所だけがいい」ということで済まないのが、復興の難しさを表しているのではないかなと思っています。

櫻井:最後に、馬場さんが将来目指すところは?

馬場:復興は長くかかる問題ですから、責任を持って取り組める場所にずっといたいと思っていますし、志高く、皆さんと一緒に挑めるような環境を自分なりに作っていきたいと思っています。

櫻井:大臣を目指すとか、総理になりたいというのは?

馬場:志は高くいたいですがまずは復興に携わりたいと思っています。絶対に次の代には誤ったあり方で受け渡したくないので、しっかりと責任を持つ世代として取り組んでいきたいと思っています。

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櫻井浩二インサイト
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:櫻井浩二、本田奈也花、馬場雄基
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※放送情報は変更となる場合があります。

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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