自動車が部品不足で作れない!待たれる半導体の国内生産

飯田泰之・明治大学教授

世界的な半導体不足や、新型コロナ感染拡大による部品工場の稼働率低下で、自動車の国内生産が減っている。今まで「自動車が売れない」という問題があっても「作れない」ということはなかった。明治大学教授でエコノミストの飯田泰之さんはRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』の中で、外交上関係が強い国に生産拠点を置くことの重要性を説いた。

関連企業へいくら「部品を!」と叫んでも、出ない状態

飯田泰之・明治大学教授(以下、飯田):国内の自動車業界は通常1~3月期は“大商い”なんです。それなのに商品を供給できないことが問題になっています。4月から新生活を始める人など、車を必要としている人は今、中古車に流れています。これは日本だけでなくアメリカでも新古車・中古車の需要が高まっています。

坂田周大アナウンサー(以下、坂田):いろんなところに影響が出ていますよね。

飯田:自動車産業は裾野が広いと言われています。メーカー本体だけでなく、部品や素材など様々な産業が関わっています。いろんな産業区分がありますが、とりわけ「輸送機械」とよばれる部門は経済に及ぼす影響が大きい産業と言われています。波及効果が大きい自動車産業が成長すると、そのまわりの産業も成長する、だから日本経済も成長するという流れだったんです。

坂田:まさに、自動車が日本の産業をけん引し、支えているということですね。

飯田:その自動車の生産が落ちるとなると、日本経済の影響も大きいわけです。実際、昨年の日本の自動車国内生産台数は45年ぶりの低さになりました。さらには、トヨタが4月以降の国内生産台数を2割引き下げると発表しました。部品調達ができない状態で、関連企業へいくら「部品を!」と叫んでも、出ない状態なんです。その状況を見て、完成品の生産ペースを落とすことになりました。

サプライチェーンの多様化は、世界が平穏な状況に限る

飯田:これまで世界の工業を見ると「サプライチェーンの多様化」つまり世界中にサプライチェーンを張り巡らせて、一番有利な企業と取引をして、効率の良い生産をしていこうという流れだったんです。ただ、ここ2年間、新型コロナやロシアによるウクライナ侵攻という状況だと、急にそのサプライチェーンは脆弱になってしまいました。「多様化」は世界が平和で平穏な状況に限ることだと実感しました。

坂田:半年ぐらい我慢すれば、世界の供給網も追いつくのではないかと思っていました。

飯田:実際のところ、今年1~2月の生産台数はかなり回復を見せていました。約2年かけて新型コロナに対応したサプライチェーンが出来上がりつつあったのに、そこへきてのウクライナ情勢の悪化でした。今まで海外生産を進めてきた部品、中でも半導体のような、ほかで代えがきかないタイプの部品に関しては、国内生産や外交上強い関係のある国で作ったほうが良いのではないかという「オンショア」の考え方にシフトしてきました。世界的な「オンショア」化で一定の量を自国で作ろうという動きの中で、欧米では生産力のある中国に頼むよりも、強固な関係にある日本、カナダ、オーストラリアに生産拠点を確保しなければならないとなってきています。その流れで、日本でも半導体の生産活動の活発化につながるのではないかと期待します。

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:坂田周大、武田伊央
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※放送情報は変更となる場合があります。

大阪から東京まで56日間の“長距離ハイキング”、忘れられないおにぎりの味

先日、大阪・関西万博が開幕しました。今回は、東京と大阪を結ぶ「東海自然歩道」のお話です。

東海自然歩道の起点(東京・高尾山)(写真提供:トレイルブレイズ ハイキング研究所)

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本初の長距離自然歩道「東海自然歩道」を知っていますか? 郊外の自然を守るグリーンベルトとして、自然や歴史文化に親しみ、健康と安らぎを楽しむ場として、1969年(昭和44年)に当時の厚生省が構想を立ち上げました。東京の起点・高尾山から、神奈川、山梨、静岡、愛知、岐阜、三重、滋賀、奈良、京都、そして大阪の起点・箕面まで、11都府県を結ぶ自然歩道が開通したのは、1974年(昭和49年)のことでした。

東海自然歩道のルート。赤色は主線、黄色は複線(資料提供:トレイルブレイズ ハイキング研究所)

自然と人を結ぶ「トレイル文化」を日本に根付かせようと活動しているのが「一般社団法人 トレイルブレイズ ハイキング研究所」、通称「トレ研」。所長で長距離ハイカーでもある長谷川晋さんにお話を伺いました。

「私たちはアメリカのトレイル文化を実際に歩き、体験し、学んできました。そこから着想を得て、日本の自然や地域性を楽しめる“長距離ハイキング”を広めたいと、2020年にこの組織を立ち上げました。歩く文化が根付き、育っていくことを目標に、活動を続けています」

昨年と今年、「トレ研」主催のイベント『つなぐ東海自然歩道』が、名古屋と大阪で開催され、会場には180人を超えるトレイルファンが集まりました。そのイベントに登壇し、実際に「東海自然歩道」を歩いたハイカーの山中二郎さんをご紹介します。

左:富士山を望み富士山を巡る、右:秋を感じながら三重県を歩く(写真提供:トレイルブレイズ ハイキング研究所)

愛知県在住の山中さんは42歳。神社やお寺、文化財の建築・修理に携わる宮大工として活躍されています。山中さんは、大学を卒業後、会社に就職しましたが、子どもの頃から手先が器用で、物づくりが好きだったことから、いつか靴職人や革細工など手仕事に関わる仕事をしたいと考えていました。

「そんなに物づくりが好きなら、宮大工になれや」と声をかけてくれたのは、宮大工をしていた山中さんの兄でした。26歳のとき、山中さんは滋賀県の工務店に転職しますが、宮大工の修行は時代によって建築の工法が異なるため、覚えることが多く、扱う道具も多く、いろいろと苦労したそうです。現在は独立し、宮大工一筋に歩んできた山中さんがなぜ自然歩道を歩くようになったのか、こんな話がありました。

伊豆大島で生まれ育った山中二郎さんは、自然の中のキャンプやハイキングが大好き。さらに手先が器用なこともあり、アメリカから取り寄せた生地や素材で、ハンモックや寝袋を自分で作っていました。

左:苔むしたトレイルを行く、右:トレイル上は人気も少なく静かだった(©山中二郎)

「アメリカでは、キャンプ用品を自分で作る人が多いんですよ。それをテストしながら、ロングトレイルを楽しんでいる人がいることを知って、長距離ハイキングに興味を持ちました」

2022年、山中さんはアメリカの「コロラド・トレイル」、750キロを踏破。トレイル全線を一気に歩く「スルーハイキング」の魅力に、すっかり魅せられます。帰国後、以前から興味を持っていた1200キロの「東海自然歩道」をスルーハイキングしてみようと、2024年10月6日、大阪の起点・箕面から、東京・高尾山を目指して歩き始めました。

「リュックには、ハンモックや寝袋、着替え、あとは食料を詰めました。道に迷わないようにスマホに地図アプリを入れて、モバイルバッテリーも携帯しました。ロングトレイルの魅力は、自分のペースで歩けること。ルートから外れて、寄り道をしてもいいんです。私は仕事柄、京都や奈良で寺社仏閣巡りを楽しみました。映画『男はつらいよ』の寅さんになった気分で、風の吹くまま、気の向くまま、そんな風来坊のような旅でしたね」

自然歩道を外れて街に出て、食料の補給をしたり、バッテリーを充電したり、たまに温泉につかり、名物料理を食べたり、何もしない日もあったり。それもロングトレイルの魅力のひとつだと、山中さんは言います。

左:キャンプ場でひと息、右:林の中にハンモックを吊るして野宿(写真提供:山中二郎)

静岡を歩いていたある日のこと。人里が近く、野宿できる場所が見つからないまま、気がつけばすっかり夜に……。ルートから3キロほど離れた場所にキャンプ場を見つけましたが、すでに夜7時を過ぎており、管理人さんは帰った後でした。看板に書かれていた電話番号にかけ、「東海自然歩道を歩いているんです」。そう伝えると、「年に一人か二人くらい、うちのキャンプ場に来るよ。いいから、泊まっていって」と、快く受け入れてくれました。

翌朝、キャンプ場に現れた管理人さんが、山中さんを車で東海自然歩道のルートまで送ってくれました。そして別れ際に「これ、食べて行ってよ」そう言って手渡してくれたのは、おにぎりでした。

「あのおにぎりの味は、一生忘れられませんね」

東京・高尾山に着いたのは11月30日……、56日かけて歩いた山中二郎さん。人のぬくもりも、道しるべになっていました。“現代版・東海道五十三次”とも呼ばれる「東海自然歩道」を、あなたも歩いてみませんか?

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