ハセンの知られざるルーツ。そして久保田智子が語る特別養子縁組
TBSラジオからバービーがお送りする「週末ノオト」(毎週土曜13:00-14:55)
2021年初の生放送。1月9日から番組がリニューアルしました。
TBSアナウンサーが、週変わりのパートナーに!
1週目「国山ハセンアナウンサー」
2週目「山本恵里伽アナウンサー」
3週目「藤森祥平アナウンサー」
4週目「高畑百合子アナウンサー」
5週目がある月5月・7月・10月のパートナーについては未定。そのとき考えます!
国山ハセン「父親について考えてみた」
1時台の新コーナー、アナウンサーコラム「〇〇について考えてみた」。今回は、ハセンさんの「家族」についてのお話。
母は神戸出身。父はイラク出身。

ハセンさんは東京で生まれますが、仕事で世界を飛び回る父は単身赴任で、父親と一緒に暮らしたことは、ほとんど無かったんだとか。
さらに、父親は、日本語が話せず、アラビア語と、片言の英語。一方でハセンさんは、日本語。会ったとしても、父とコミュニケーションをとる術がない。
ハセン :自分で父と会話するために英検を取ったり、塾に行ったり。なんなら母が、アラビア語の通訳をしてくれて、僕と父はコミュニケーションを取っていたわけですよ。
バービー:へぇーーー
ハセン :でもそれじゃ足りないということで、大学になって短期留学をしたり。社会人になって英会話スクールにも通いました。
バービー:英会話スクール…!?
ハセン :そこでようやく、父とコミュニケーションがうまく出来るようになって。落ち着いて二人で話す時間…幼少期にできなかった事を今…

他にも、父と母の物語など、知られざる国山ハセンのルーツを詳しく知る時間となりました。
2時台は久保田智子さんをお迎えして
2000年、アナウンサーとしてTBSに入社。2016年、ニューヨーク駐在の夫と生活するため、TBSを退社されました。退社後は、大学・大学院で、戦争や被爆体験の伝承活動をされていたそうです。

先月、TBSのジョブリターン制度を利用して、TBSテレビの報道局に復職。それとともに注目されたのが「ニューズウィーク日本版」でお子さんを抱っこしている姿でした。
久保田さんは2019年、生後4日目の赤ちゃんを「特別養子縁組」で養子に迎え、母親になったのです。
久保田 :最初にバービーさんが言っていた「特別養子縁組で子供を迎えたことを、どういう風に質問していいのか分からない」っていう…
バービー:うん
久保田 :私も友だちに言って「なんと言っていいかわからない」と言う人がとっても多いなと感じたんです。「なんでかな?」と思ったら、やっぱりこんなに幸せなんですってストーリーがまだ社会にあんまりないのかなって感じたんですね。
バービー:ほんとですね…
久保田 :どちらかと言うと、「可哀そうなんじゃないか」って思われてるのか…。それで声がかけられないのかもしれないなぁという風に思いまして、『そうじゃない、こんな幸せな選択なんですよ』と分かってもらうためにも、こういうストーリーがあるんです、こんな幸せがあり得るんですっていう事が伝えられたとしたら、すごく良いなと思います。
「バスの運転士」の一言が、10年前の記憶を呼び覚ました―ラジオが結んだ、不思議な再会
先日、ニッポン放送では『上柳昌彦 あさぼらけ スペシャル ~あけの語りびと~』をお送りしました。実は8人の方を取材させていただいたのですが、皆さんのお話が、どれもドラマがあって、ご紹介しきれませんでした。
そこで、ご紹介できなかった4人の方を、4週にわたって、『あけの語りびと』でお届けしています。今週は3人目の方です。不思議なご縁で繋がるラジオネーム「すみちゃん」の物語です。
7月28日に発生した「令和8年熊本地震」。その翌日は水曜日だったので、いつもの『あけの語りびと』は、急遽お休みして、熊本からメールを送ってくださったリスナーさんに電話をつなぎました。
実はその方、10年前にもお話を伺っていたんですが、いただいたメールでは、同じ方だと分からなかったんです。お話の中で、『10年前、バスの運転士だった…』と聞いた瞬間、「あっ、あの時の!」
私の脳裏に、10年前の記憶が、鮮明に蘇ってきたんです。不思議なものですね。「バスの運転士」という言葉が、10年の時を経て、私の記憶の引き出しを開いてくれたんです。
熊本市にお住まいのラジオネーム「すみちゃん」は、50歳です。ラジオを聞くようになったのは、中学三年生の冬。受験前にインフルエンザで寝込んだ時、枕元で聞いたラジオが、とても面白かった。それが、ラジオとの出会いでした。
当時、熊本ではニッポン放送が聞けなかったので、窓際にラジオを置いて、向きを傾けたりして、雑音の中、聞いていたそうです。
「そうそう、上柳さんの声を初めて聞いたのは私が高校二年の時でしたね。こちらのローカル番組が始まる前の、夜7時10分から20分だけ、熊本放送(RKKラジオ)で、『花の係長 ヨッ!お疲れさん』がネットされていたんです。東京のラジオ局は、めちゃくちゃ面白い!と思って聞いていましたよ」
高校へ通う電車の中でもポケットラジオで聞くほど、ラジオ好きになったすみちゃんは、大学を卒業すると教員免許を取り、中学校の「技術」の教師になりました。本棚を作る木材加工や、電子製品のはんだ付けなどを教えていたそうです。
しかし、教師の仕事は勤務時間が長く、生徒や保護者への対応など、さまざまなことが重なり、別の道を考えるようになります。
子どもの頃から乗り物が大好きだったすみちゃんは、36歳のとき、市内バスの運転士になりました。始発バスを担当する日は、朝5時過ぎには発車前の点検作業を始めます。
「朝早く起きるのは、やっぱりつらいんです。眠い目をこすってラジオをつけると、あれ?上柳さんの声が流れてきたんです。『あ、うえちゃんの番組が始まったんだ!』と、朝の楽しみが生まれましたね」
ところが、番組スタートから3週間後、2016年4月14日夜9時26分、熊本地震が発生しました。その夜、地震の様子をメールで知らせてくださったすみちゃんに、翌朝、スタジオから電話をつないだんですね。
あの電話から10年が経った今、バスの運転士さんをされていないと伺って、どうされたのか、ちょっと気になって、お話を伺うと、体調を崩されたとのこと…。検査を受けると腎臓の機能が低下していて、今は週に3回の透析を受けています。昼間の仕事は難しくなって、夜、ガソリンスタンドの事務をされています。そこでは、ラジオが聞けます。
オールナイトニッポンから「あさぼらけ」へ…「明け方、ラジオから、うえちゃんの声が流れてくると、ああ、そろそろ今日も仕事が終わりだなぁ、って思うんですよ。今は、ラジオから聞こえてくる、うえちゃんの声が、ホッとする一日の締めくくりになっています」
ラジオネーム「すみちゃん」、今朝もお仕事、お疲れ様です!