宇多丸『そして僕は途方に暮れる』を語る!

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』月~金曜日の夜18時から放送中!

1月20日(金)放送後記

「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、1月13日から劇場公開されているこの作品、『そして僕は途方に暮れる』。

はい、いま流れているのは皆さんご存知、大沢誉志幸さんの1984年の大ヒット曲、『そして僕は途方に暮れる』ですね。これが今回の映画版用にリアレンジされて、新録されたものがエンドロールに流れますけども。ただ、ここから発想された作品とか、そういうことじゃなくて。舞台版の台本を書く時に、仮タイトルでつけていたものがしっくりきたからこれにした、というぐらいの距離感だそうですが。ということで、『何者』などの三浦大輔作・演出、Kis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さん主演で2018年に上演された同名舞台を、映画化。

自堕落な生活を送るフリーターの菅原裕一は、同棲している恋人に浮気がばれ、家を飛び出す。そして友人やバイト先の先輩など、知り合いを訪ねてはトラブルを起こし、逃げ出す日々を繰り返していく。監督と脚本、そして主演は、舞台版に続き、三浦大輔さんと藤ヶ谷太輔さん。共演は前田敦子さん、香里奈さん、豊川悦司さん、中尾明慶さん……中尾明慶さんとあっちゃんが舞台版から引き続き、というキャスティングですね。

ということで、この『そして僕は途方に暮れる』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。

賛否の比率は、褒める意見がおよそ7割。主な褒める意見は、「観ていていたたまれなくなる映画。だが、これはまさしく自分の映画だ」「痛い主人公を演じる藤ヶ谷太輔くん、素晴らしかった。脇を固める俳優陣もいい。特にトヨエツ(豊川悦司)がよかった」など。一方、否定的な意見は、「ストーリーなのか、演出なのか。なにかが物足りない。退屈だった」「演劇的な芝居演出が多く、映画としては違和感がある」などございました。

「言葉では表現できない複雑な感情に、演技を通して豊かな輪郭を与えてみせた」

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「松本侃士」さん。

「はじめまして。音楽ライター/映画ライターの松本侃士(つよし)と申します。タマフル時代から含め10年ほど聴かせて頂いており、今回初めてメールを送らせて頂きました。『そして僕は途方に暮れる』をウォッチしてきました。大傑作だと思います。2018年に上演されたオリジナルの舞台はチケットが即完したということで、おそらくほとんどの観客が、今回の映画で初めてこの物語に触れたのではないかと思います。僕もその内の一人です。

ただ、今作を観て、この物語は数ある三浦大輔さんの舞台作品の中でも、突出して映画化と相性が良かったのではないかと思いました。まるで『リコリス・ピザ』のように、自転車で走り回って逃げまくる躍動的な前半。北海道・苫小牧の豊かなロケーションと、昼のシーンと夜のシーンの鮮やかなコントラストを活かした後半。何より、藤ヶ谷太輔が演じる主人公・菅原裕一が、何度も何度も、観客のほうに向けて“振り返る”シーンにおける寄りのカットは、舞台では表現困難な、極めて映画的な演出であったと思います」。はい、これは私もね、後ほど言いたいと思いますが。

「……最も印象に残ったのは、主人公・菅原が、ある人物たちに対して謝罪するシーンです。『なんか、ごめんなさい』の『なんか、』という言葉は、本来、人に謝る時に絶対に付けてはいけないはずの言葉なのですが、今作における『なんか、』の、得も言われぬ深みは本当に凄まじかったです。言葉では表現できない複雑にこんがらがり散らかしまくった感情に、演技を通して豊かな輪郭を与えてみせた名シーンだったと思います。

『愛の渦』『何者』『娼年』と、映画監督としても傑作を連発している三浦大輔さんの、今後の映画づくりへの期待が更に高まるような素晴らしい作品でした」という松本侃士さんです。

一方、ダメだったという方。「Mr.ホワイト」さん。

「舞台を映画的に変換するに巧みな監督という印象でしたが、本作は演技演出がけっこう舞台的で、作品そのものも映画に上手くコンバートされていないと感じました。特に後半の二大見せ場である主人公の家族への心情吐露と、その彼女の衝撃的な告白の演出と演技は、とっても舞台っぽかったです。映画としては違和感があり過ぎます。

主人公の家族への心情吐露については、長いし、やたら大仰シリアスに撮ってるのもどうなんだろう、と思いました。自堕落で人の気持ちを分かろうとしないスラッカー──怠け者、ものぐさの意味──なんぞ、笑い飛ばす視点で観るしかないのです。間借りの(ヌルい)地獄巡りの面々はクセ者揃いでなかなか笑えるのですが、肝心の主役の藤ヶ谷太輔が空虚な中心以上の推進力が無く、映画が躍動しないのです」みたいなことを書かれていて。

「……昨年度、日本映画は余りの豊作で、数多の秀作と数多の俊英監督が輩出されました。それらと比べても『今この話? この演出?』という感想です。観る前は大変期待した作品だったので残念です。」というMr.ホワイトさんでございました。ということで、皆さん、メールありがとうございました。

演劇界で評価を得る三浦大輔監督。作品に共通するテイストは、「一皮むけば……」な悲喜劇

『そして僕は途方に暮れる』、私もTOHOシネマズ日比谷で2回、観てまいりました。(お客の)入りはまあ、ぼちぼちといった感じでしたけどね。前の番組の時代、2016年10月20日に扱った『何者』以来……これだけは書き起こし、今も読めますけども、その『何者』以来、久々にガチャが当たりました三浦大輔さん脚本・監督作品。

改めて言っておけば、ポツドールという劇団を主宰され、演劇界ではもう確固たる高い評価を得ている方。映画・映像作品も既に多数、手がけられてます。まあ原作物だったり、原作を舞台化したものをさらに映画化したものだったり、あるいはもちろん、オリジナルの舞台を映画化したものだったり、形はいろいろあるんですが……唯一まだ、完全オリジナルの映画作品はない、という。なぜならそういうオファーがないからだ、というようなことを、『MOVIE WALKER PRESS』というところでね、宇野維正さんがしているインタビューでおっしゃってたりしましたが。

とにかく、たとえ原作物であっても、はっきりオリジナルとも共通するテーマというか、共通のテイストがあるのが、やっぱり三浦大輔さんの作品で。ざっくり言ってしまえば、「人間どいつもこいつも、表面上いくら取り繕っていても、一皮むけば、そんなご立派なもんじゃないでしょう? 一皮むけば、とても人様に見せられたようなもんじゃない面が出てきたりも、するもんでしょう?……というようなことを、偉そうに見切ったつもりでいる俺自身、いやお前こそが、まさにその典型なんですけども!(泣)」という、そんな「一皮むけば」の悲喜劇……その中でも、自分こそがやっぱり一番しょうもない!ということを突きつけられるような、悲喜劇。

それを特にやはり、多くの作品で、「性」というですね、「一皮むけば」が最も際立つファクターを触媒にして、時に鋭く、時に露悪的に、しかし本質的にはすごく優しく……と僕は思ってますが、ネチネチと、ヒリヒリと、描き出してみせる。そんな作品群、という風にまずは言えるかと思いますね、三浦大輔さんの紡ぐ物語は。

なんにしても常に、どこかしら通じる性質を持ってですね、言っちゃえばダメな男……それもですね、どっちかといえばむっつり型っていうか、基本、物事に対して一歩引いたスタンスで、なんかあんまりはっきりした意思を普段はあえて見せないような、まあモゴモゴした男が主人公なことが多くて。あまつさえですね、三浦大輔さん、オリジナルストーリーではですね、そういう主人公の名前がもう共通して、「菅原裕一」だったりするんですよね。全部、菅原裕一、っていう。で、今回の『そして僕は途方に暮れる』っていうのが、まさにそうなわけですけども。

映画化された本作ならではの醍醐味、それはエンディングで判明する、「ある仕掛け」

で、ですね、その舞台版がありまして。2018年にですね、シアターコクーンで、同じく藤ヶ谷太輔さん、前田敦子さん、中尾明慶さんが出たものがありまして。大変申し訳ありませんが、私、やっぱりそれは観られておりませんでですね。まあよく考えてみれば、三浦さんの舞台、後に映画化される可能性大なんだから、やってる時に観ておくべきではあるんですけども。なかなかチケットも取れないというようなね、人気作品・公演でもあるというのはありますが。まあ、観ておいた方がやっぱりいいよね、というのは、ちょっと改めて今回、思っちゃいました。

ただですね、先ほど言った宇野維正さんによるインタビューで三浦大輔さんがおっしゃっているように、元々の舞台版と今回の映画版、エンディングが違うそうで。元はですね、主人公の裕一が、本当に途方に暮れた状態で、ビル群を眺めているところで終わるそうなんですが。今回の映画版はですね、観た人はわかるように、その後のですね、作品全体の締めくくりこそがキモっていうか……この映画、実はエンディングで、ああ、そういう仕掛けですか、そういう仕組みですか、っていうことがわかる。

言っちゃえば、藤ヶ谷太輔さん演じる主人公の裕一が、歌舞伎町のTOHOシネマズの方に向かう道を歩きながら、「振り返る」だけなんですけど。まさに先ほどのメールにあった通り、この「振り返る」という、劇中何度も違う形で繰り返されるアクション……特に最初のタイトルが出るところとか、非常に印象的ですけども。他のところでも、何度も何度も、「ああ、ここも振り返っている」「ここも振り返ってる」って……二度観るとより、余計にね、すごい細かいところでも、「ああ、また振り返っている」みたいな。同じような画角で、振り返っている。で、そうやって繰り返されてきた「振り返る」アクションが、最後の最後の振り返りで、一気に意味が反転する!というかですね。

あるいはその、ラストのラストの振り返りの手前で、望遠レンズでズーム、みたいなのをやる。それがもたらす、人工的な画だな、っていう感じであるとか。あるいは全編、シネマスコープ……横長の、いわゆるスペクタクル映画で使われるような画角のシネマスコープであることから来る、言っちゃえば物語のスケールと明らかにそぐわないようにも一見思える、不自然なまでのスペクタクル感というか、不自然なまでの大作感みたいなものを含めてですね、要は本作全体が、「映画」というフィクショナルな構造で、遡って丸包みされているような感じ。それこそが、この映画版の『そして僕は途方に暮れる』特有の醍醐味だ、と言えると思いますね。はい。

演劇という枠組みの中で一旦作り上げられたものだからこそ、映画的構造でメタ的に俯瞰・客観視してみせる

これ、映画監督として三浦大輔さん、やはりここが面白いところで。演劇というその異なる次元の表現を手がけ続けてきた方だけにですね、映画という容れ物の構造に、より意識的なところもある、というかですね。

たとえばですね、さっき言った『何者』という、これは朝井リョウさんの原作があって、で、それを直接、映画化してるんですね。この『何者』はね。要は、一旦舞台化というプロセスを経てない分、劇中にむしろ堂々と、「演劇」および「演劇的演出」を持ち込んでるわけです。これ、たぶん舞台が元になって出来てる作品だったら、こんなことできないと思うんだけど、舞台を経てない分、堂々とこの演劇的演出っていうのを持ち込んでいる。で、なおかつそれが、映画という枠組みの中でずっと語られてきたストーリーを、さらに客観視するような仕組みに使われていてですね。めちゃくちゃこれ、スリリングだったんですね。「映画の中に出てくる演劇的表現」の中でも、僕、突出した面白い使い方をするなと思ってるんですけど。

その意味では今回の『そして僕は途方に暮れる』は、要するに『何者』における映画と演劇の関係と、ちょうどカードの裏表のような関係の作品、という風に言えるかと思います。つまり、演劇という枠組みの中で練り上げた物語や出演者たちの演技というのを、映画的な視点・構造で、メタ的に俯瞰・客観視してみせる、というような。そういうような構造を持っている。

「存在としてくすんだ男」、それを見事に体現して見せた主演の藤ヶ谷太輔さん

そもそも本作ですね、最初にスクリーンに映されるものを皆さん、覚えていらっしゃいますでしょうかね? 部屋の中で、前田敦子さん演じる彼女がドライヤーをかけている音がしてるんだけど、最初に画面に映るものはですね、後に主人公・裕一の持ち物であろうことが追って推察される、古い『キネマ旬報』のバックナンバー……それもしかも、いつか捨てるということを想定して、結束されているわけですよ。古いキネ旬のバックナンバーが結束されて、でも捨てもされずに、放置されている、みたいな。そんな感じで、部屋の隅に置いておかれている。

そして、その横をカメラがずっとパンをしていくと、8ミリカメラとか、おそらくは自主制作で一度はフィルムを回してみたこともあるんだろうな、というような痕跡、それが映される。つまり、裕一というこの主人公が、夢を見失った元映画青年であることが、一番最初のショットからもう示されているんですね。その、本棚とかを見てもやっぱり、「元々は映画が好きなんだろうな」っていう本たち、(映画青年だった)残り香みたいなものがちょっと見えたりする。

で、これはですね、その『何者』の主人公が元演劇青年であったことも重なりますし……そしてその実際、両者ともにですね、「まだ夢を諦めてない人」っていうのに、過剰に辛辣な言葉を吐いたりする。ここも『何者』の主人公と共通してますね。

で、とにかくこの裕一という主人公、実際のところは夢も見失って何をしていいかわかんない状態なんだけど、その自分のことだけは見えてないというか、見ようとしてない人でして。これ、いかにも三浦大輔作品的なですね、非常にその無自覚な、むっつりダメ男なんだけども……「むっつり」っていうのが本当に合うと思うんですけど(笑)。

で、これを藤ヶ谷さんがですね、びっくりするほど自然に体現していて。もちろん、お顔立ちそのものはね、もう本当にお美しい、本来はもう、立ってるだけで華があるような人なわけですけど、本当に存在としてくすんだ男っていうか、そういう根っから冴えない人に、ちゃんと見えるんですよね。もうなんか、全部が「曇って」いる。服装の色合いのスモーキー感というか……色とかがメリハリがついてない感じ、あれがまたくすんだ(感じを演出していて)、見事なスタイリングだと思うんだけど。「くすんでんなー」っていう感じ。

前半。主人公・裕一が転がり込む部屋たちのディテールが語るもの

しかもこの裕一氏はですね、出だしからしてもうかなりダメダメなのに、そこへの向き合わなさ……自分のダメさへの向き合わなさ、向き合えなさがちょっと異常、っていうか。後半、香里奈さん演じるお姉さんの言葉を借りれば、「あんた、すげえな! かっこいいわ!」っていう領域。あまりにもその向き合わなさ、逃げがすごぎて、「もはや、逆にかっけーな!」みたいな。という感じで、次々とその友人・知人、果てはその親族のところに転がり込んでは、半ば自業自得、半ばやむにやまれず、どんどんどんどん居場所をなくしていく。

で、前半のその東京編ではですね、まず文字通り「坂道を転げ落ちるような」その下降感、テンポよくて、すごく笑っちゃいますし。これですね、まず各人の受け答え、立ち振る舞いとかですね、何よりそれぞれの、部屋たちですね……その部屋の美術そのものが、その人となりとか、この人がどういう人生を歩んできたのか、っていうのを示す。そのリアリティーあるディテールが語るところが、すごく大きくてですね。それもすごく映画的な部分かな、という風に思います。

たとえばですね、最初に転がり込む、中尾明慶さん演じる親友の伸二っていうのがいるわけですね。彼は、ネクタイしてね、スーツ姿が最初に出てくるぐらいで、まあちゃんとした人、ちゃんとした勤め人なんだろうな、っていうのがもちろんわかるんだけど。それだけじゃなくて、裕一が転がり込む……親友だから、そこまではまあカジュアルな感じかもしれませんけど、バイトを早退して帰ってきたその裕一が、もう早々にですね、テメーの家か?ってぐらい、帰ってきて早々にもう、部屋の主である伸二に背を向けて、いきなりテレビを見ながら弁当を食らいだすわけですね。

その間、後ろで、一応の会話をしながら……でも、すごくやっぱり裕一は、気のない会話。やっぱりモゴモゴむっつり男なんで(笑)。モゴモゴむっつりダメ男だから、「ああ、うん」みたいな(返事をしている)。「テメー、どういう立場なんだ?」って、この時点で蹴っ飛ばしてやりたいんですけど(笑)。その彼がそういう感じで、非常に失礼な態度を取り続けている中、中尾さん演じる伸二は、ずっと洗濯物を、手際よく、でも丁寧に……なんですかね? 要は、本当によくあんなうまく畳めるな、っていうぐらい、Tシャツとかを手際よく、丁寧に畳み続けてるわけです。つまり、普段から彼はこういう感じで、ちゃんと(暮らしている)……「彼の普段の暮らしの基準はこれぐらいなんだ」っていうのが伝わるわけです。それだけに、その手前の超だらしないやつとの落差が(笑)、ひとつの画面の中で、めちゃくちゃ際立っていて。まあ、僕とかは腹が立つわけですよ。「テメー! この野郎!」って……あ、今、床をガンガン蹴ってますけども(笑)。

で、続いて彼が転がり込む、先輩の家。これ、毎熊克哉さんが演じてますけども。先輩の家の……今度は、大学時代の映画サークルの先輩なんでしょうね。ちょっと前の、ちょっとワイルド気分強めな映画ファン感、というか。置いてあるものとか……ウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』のポスターとか、貼ってありますけど。置いてある本とか、ビデオのちょっと、B級映画みたいなのがいっぱい並んでる感じとか……まあ『映画秘宝』ファンとかなのかな? わかんないけど。とにかく、「ちょっと前のワイルド気分強めな映画ファン」感。これも、「ああ、この部屋、すごいな! こういう人、たぶんいるわ!」っていう感じだし。すごい面白い。

さりげないファミレスでの会話シーン。そこでの的確な映画的演出

あとですね、特筆したいのはやっぱり、後輩の野村周平さん。これが本当に何しろ、素晴らしい。出番はそんなに多くないんですけど、非常に要となる役割ですね。彼のまっすぐな瞳がむしろ、その裕一を追い詰めていく、という様。ファミレスで向かい合って会話してるんですけど、ぜひ皆さん、ここに注目ください。人物サイズの違い、みたいなものがもたらす……それもおそらく意図的な、会話のカットバック。要するに会話を、お互いにカットバック……こうやって、(編集で)切り返して。わかりますかね? お互いの顔を斜めから撮るんですけど。

野村周平さん演じる後輩の顔の方が、(カメラが)寄っていて、デカいんですよ。で、裕一は、その後輩の肩越しに、ちょっと向こう側に……要するに、切り替えなんだけど、お互いの会話の、顔の大きさが違うわけですよね。これによって……要するにその後輩はすごい熱量で、「先輩! すごいじゃないですか! もう完全に先輩は映画ですよ!」みたいな。で、言われてる裕一は、「いや、そんな立派なもんじゃ、本当はないんだけど……」っていう。この、なんというか気持ちの圧の差が、もうそれ(人物が映されるサイズの違い)で示されている、会話カットバック。

あとはですね、その途中で、話が決定的にズレるわけですね。要するに、本当は裕一は単純に、泊めてほしいだけなんですよね。泊めてほしいだけなのに、後輩が、とある思わぬ返しをした瞬間、完全に話がズレるんです。その瞬間にカメラも、さっき言ったカメラ位置の、逆側に来るんですね。逆側に来る。それによって、「ああ、もう決定的に話がズレちゃった」って感じがする……などなどですね、このさり気ないファミレスでの向かい合った会話シーンを、これだけ的確に表現できるのはこれ、三浦大輔さん、映画作家としての演出力も見事なもの、という風に言えると思います。こういうさりげないところをどう撮れるのか。ここが重要なんですね。

あと、やっぱりここで、「いや、先輩はもう映画ですよ!」って言って、去っていくその裕一の後ろ姿……まさにその「振り返り」がまた出るところなんですけど、去っていく姿を撮る、野村さん(演じる後輩)。iPhoneで撮っているんですけど、そこで……その画は必ずしもアップになっているわけじゃないんだけど、そこで彼が手元で、画面をピンチして、「ズーム」してるんですよ。これ、完全に伏線なんで。皆さん、ここは絶対に見逃さないでくださいね。このズーム。これがポイントですよね。

原田美枝子演じる母親の、「お母さんそれはダメです!」なイート演出とは

そして、先ほど言いましたけどね、香里奈さん演じるお姉さん、これもいいですね。あの、正しさと辛辣さみたいなものが(感じられる)、この凛とした佇まい……非常にお美しい方でもあって、凛とした佇まい、これを本当に体現されてますし。なによりですね、お母さんの原田美枝子さんにもちょっと似てるっていうか、原田美枝子さんの娘に、見えるんですよね、すごいね。それもすごくいいなと思いました。

でですね、舞台はさらに、三浦大輔さんの出身地である苫小牧に移って。一気にここで、また空間が開けてですね、話のスケールに対して、ムダにシネスコが活かされるっていうか(笑)、「いや、そんなスケールの話じゃねえだろ?」みたいな。これ、ちょっと明らかに突っ込みどころというか、そこも込みで。さっき言ったように「ムダに映画っぽい」っていう、ここがこの作品全体のキモなんですよね。だから、「な、なんなん?」っていう感じがするんだけど、それはちゃんと意味があるんですね。

ここね、原田美枝子さん。これも……リウマチの演技もすごいし。あの「老いた母への視線」ってのいうのがとてもこれ、やっぱり身にしみるものですね。その母親が一生懸命、食事を用意する感じとかも、とても身にしみつつ……ここにも意外な落とし穴が(裕一を待っている)。先ほどね、金曜パートナーの山本匠晃さんも言ってました、本作の「イート演出」の中でも非常に印象的な、あの……もう一発で「ああ、お母さんお母さん、それはダメです! お母さんそれはダメです!」っていう感じが一発でする(笑)、ある飲み物。これ、見事ですね。もう、何の説明もいらないよね。「それはダメでしょう……」っていう感じがする、見事なイート演出。当然、バタバタと逃げ出していく裕一。

で、ここでついに、要するに実家さえ、居場所がなくなっちゃう。最後の居場所さえなくして……(裕一が)見上げる、あの工場の煙突。降りしきる雪。煙突の上でピカッ、ピカッと光る光。ここ、内橋和久さんの音楽も、所在のなさが詩情にまで昇華されている、というか、非常に……ここのね、「ああ、行く場所なくなっちゃった」っていう場面。ここ、すごくいい場面でしたね。

「ラスボス」豊川悦司さんが体現するメタ構造。「観客はもう飽きているから、そろそろ話を転がすんだ」

そして、そこに登場する、本作のいわばラスボス……豊川悦司さん!でございます。こういうですね、「辺境の地で図太く生きている、困ったお父さん」役っていうのは、これですね、豊川悦司さん、たとえば『サウスバウンド』、あるいは『子供はわかってあげない』などなど、わりとちょっと最近、ハマり役になってる感じかもしれませんが。

この彼こそがですね、先ほど言ったラストのラスト、全てを「映画的視点」で反転させる、人生という物語を客観的に読み替えてしまう、というワザというか、そういう構造を提示してくる人物……途中、「観客はもう飽きてるぞ」みたいなことを言った瞬間、ドキッとしますよね? 「観客はもう飽きているから、そろそろ話を転がすんだ」みたいなことを言い出した時に……たしかに、ダレていたなあと(笑)。だから、めちゃくちゃメタな構造みたいなものを体現する人物ですよね。はい。

で、ですね、驚くべきことにここまでが、やっと前半なんですよ、この話! 

ということで、徹底して逃げまくる人生の先に、何があるのか? あるいはクライマックスのね、藤ヶ谷さんの、非常になんていうのか、圧倒的な「謝り」シーン……ここが「演劇的だ」っておっしゃる方がいるけど、だから、そここそが仕掛けなんじゃないですかね。ここがちょっと「芝居がかって」見えるとしたら、それすらもこの映画全体の、仕掛けですよね。それはね。「面白くなってきやがったッ……!」瞬間なわけですよ、それが。

そして、これぞ三浦大輔!な身も蓋もないどんでん返しがあって……という感じでございます。そこの藤ヶ谷さんの演技も素晴らしくって、非常にテイクを重ねたようですが、結局テイク1を使った、っていうんですけど。要は感情が高まりすぎて、喉仏が痙攣してるんですよ。あれはもう、演技を超えた演技っていうか。すごいものでしたよね、本当にね。

ゆるい地獄を生きていくための魔法の呪文、それが、「面白くなってきやがったッ……!」

ということで、他にちょっと、意外とありそうでない、「ゆるい地獄巡り」物……しかしこのゆるい地獄巡り、誰でもこういう負のサイクルに陥ってしまうことは、特に若い時であれば全然あるんじゃないかな、と思わせるような作品でもあって。そして、そんな中でもですね……たとえば我々もいずれ、気がついたら一個一個の負が重なって、のっぴきならないところに来てしまった時。それでも何とか生きていくための、魔法の呪文。「面白くなってきやがったッ……!」。これ、使わせていただきたいと思います。ある意味、映画ファンの一番悪い考え方の典型、って感じもしなくもないが(笑)。

まあ、そういうところも含めて、意外と油断ならない全体の仕掛けも含めてですね、三浦大輔さん、やっぱり映画作品、面白いものを撮るなと思いました。めちゃくちゃ面白かったです。『そして僕は途方に暮れる』、ぜひぜひ劇場で……「映画」であることが大事なんで、劇場でウォッチしてください!

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(監修:東京・池袋占い館セレーネ所属・石川白藍(いしかわ・はくらん)さん)



■牡羊座(おひつじ座)
カード:女帝(逆位置)


創造性や豊かさが阻害されている可能性があります。母性的な愛情や思いやりの欠如を感じるかもしれません。自分自身を大切にし、内なる声に耳を傾けることが重要です。自然との調和を取り戻し、自分の価値を再認識することで、再び豊かさを感じられるでしょう。

■監修者プロフィール:石川白藍(いしかわ・はくらん)
天の後押しがあって、2018年、2019年のスキルシェアサイト「ココナラ」にて、高いリピート率で2万以上あるサービスのなかでランキング1位となる。第六感の精度・占いの技術だけではなく、SNSマーケティング、子どもたちに生き方を教える塾の経営、コミュニティ運営、資産の作り方、行動心理学の知識など、幅広く培った経験を活かして、抽象的なメッセージだけでなく具体的な指針を伝えることができる。
Webサイト:https://selene-uranai.com/
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