TOMOOからのメッセージを毎日紹介!TOKAI RADIO『GrooVE929』

TOKAI RADIO『GRooVE929(グルーヴ ナイントウナイン)』(月~金6:30~9:00 DJデイル)8時35分頃からは、1週間を通して1組のアーティストからのメッセージを紹介している。今週(10月30日~11月3日)は、シンガーソングライターのTOMOO(トモオ)が登場。

まず初日30日は、9月27日にリリースされたMAJOR 1ST ALBUM『TWO MOON』の話から。TOMOOは「これまで配信のみだった代表曲のようなシングル曲から最新の書下ろしまで13曲集めたアルバム。アッパーでエネルギッシュな曲もあれば、静かで落ち着いている曲もあったり、無邪気な情緒の歌もあれば、ずしっとした歌もあったり。かなり違うカラーの13曲が揃うと、今、私が出せるフルカラーを出し切ったみたいなアルバムになった」

そして「『TWO MOON』というアルバムタイトルは、ある意味ばらばらの曲たちの共通点として、本当のこと、本当の気持ち、本当の姿、そういったものを見ようとするような眼差しというか、願いを感じるなあ気づいたところから、見つめる眼差し、そのもののイメージとして。また、本当を突き詰めようとすればするほど浮かび上がる物事の割り切れなさとか、矛盾、その象徴として、実際は存在しない『ふたつの月』と敢えて呼ぶ『TWO MOON』と名付けた」

「どの曲にも共通しているのは、生楽器がメインになっているサウンドなので、大人数編成の曲もあれば、ピアノ弾き語りの曲もあるんですが、それぞれ生楽器ならではの、人の温度とか、彩とか、奥行きにも、ぜひ注目していただけたら嬉しいなあと思っています」そして最後に、9月27日にリリースされたTOMOO MAJOR 1ST ALBUM『TWO MOON』の1曲目に収録されている『Super Ball』をオンエアした。

続く2日目31日は、朝の番組なので「これが最強!朝ごはんメニュー」について。TOMOOは「子供の頃には気づかなかった、お味噌汁の偉大さ、素晴らしさに年々気づいてきた。お味噌汁は、体を温めてくれるし、腸の調子を整えてくれる。具材は、食物繊維も摂れる乾燥わかめとか、簡単なものでいいと思う」

そして「メインは、白米と言いたいところだが、そこは、最近オートミールに置き換えている。乾燥したオートミールに水をかけて、レンジで1分温めるだけ。オートミールは、食べた後に眠くなりづらい。たぶん血糖値の上昇が急じゃないっていう、そこがすごく重宝している。また梅干しがよく合う」

「あとは、余裕があれば、ゆで卵でタンパク質も足せたらいいよね、みたいな。油を使わないから、朝から胃が疲れないだろうし。これが、私が思う最強の朝ごはんメニュー」そして、新アルバムから「ご飯ではないが、パンをモチーフにした曲として『ベーコンエピ』をオンエアした。TOMOOからのメッセージは、明日11月1日から3日まで、同じ時間に聴けるTOMOOの全国ライブツアー『TOMOO LIVE TOUR 2023-2024』〝TWO MOON″は11月スタート。名古屋は2024年1月5日(金)DAIMOND HALL(名古屋市中区新栄)で開催。

GRooVE929
放送局:TOKAI RADIO
放送日時:2023年10月30日 月曜日 6時30分~7時54分
公式X

※該当回の聴取期間は終了しました。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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