【ラジオな人】ラジオのガイド! 「ラジオソムリエ」RNB南海放送白石優子さんインタビュー(前編)

会社プロジェクトになった「ラジオソムリエ」

ーー「ラジオソムリエ」は、どうやって会社のプロジェクトになったんですか?

「ラジオソムリエ」は、社長(南海放送株式会社代表取締役社長・田中和彦氏)発案の会社のプロジェクトの形です。田中社長は元々ラジオDJで、ラジオドラマを現在も制作しています。ラジオを愛するラジオマンなんです。

ーー『ソローキンの見た桜』(RNB南海放送制作・放送のラジオドラマ)の作者でいらっしゃいますよね?

そうです。つい最近も新作のラジオドラマ『ソローキン女史の憂鬱』を制作しました。

アイデア溢れる、とても楽しい社長です。社長に就任した時に「社員全員と面談する」って言われました。前例のなかったことなので驚いていたら、「好きなことを喋っていいんだよ。雑談とかで。なにかしたいこととか、今、楽しいと思っていること、10年後の夢とか、なんでもいいから気楽な感じで」と!

ーーとてもフランクな方なんですね(笑)。

面談で「今、ラジオを担当していて、ラジオのことは今までよく分からなかったけれど、徐々に好きになってきていること、「ラジオソムリエ」って名乗ってブログを立ち上げてるんです」と言ったら、「それいいね!」って言われました。

『ソローキンの見た桜』についてはこちら

本社へ転勤後に本格始動!

その後、人事異動で本社(愛媛県松山市)へ転勤になり、半年後に「ラジオソムリエ」は会社のプロジェクトとして発足しました。

ーー「ラジオソムリエ」は、白石さんと玉岡梨那さんの2名で活動されていましたよね。

玉岡さんは本社広報の担当で、会社の方針で2人で活動していました。

1116は南海放送のAMの周波数なんですけど、「1116名ラジコダウンロード企画」を2015年11月16日に寺尾英子アナウンサーと玉岡さんと私の3人で街に出て、朝から晩まで「ラジコダウンロードしてくれませんか?」って声かけて一生懸命活動しました。その様子をラジオで中継もしました。懐かしいです。

イラン問題から探る、シーア派とスンニ派の違い

ニュースキャスターの長野智子がパーソナリティを務める「長野智子アップデート」(文化放送・月曜日15時~17時、火~金曜日15時~17時35分)、3月11日の放送に毎日新聞論説委員でノンフィクション作家の小倉孝保が出演した。イランの新最高指導者モジタバ・ハメネイ師がイスラム教シーア派の聖地・マシャドで生まれであることに関連し、イラン問題、シーア派とスンニ派の違いを語った。

鈴木敏夫(文化放送解説委員)「イランの最高指導者を選出する権限を持つ『専門家会議』は、殺害されたハメネイ氏の後継に、その次男であるモジタバ師を選出した、と発表しました。イラン革命防衛隊もモジタバ師への忠誠を表明しています。そのモジタバ師、シーア派の聖地であるマシャドという街で生まれた、という情報も伝わっています」

長野智子「シーア派について改めて教えてください」

小倉孝保「僕は2000年から2005年までカイロを拠点に、モロッコからイランまでカバーして。イランは大きな国で、およそ5年弱の間に10回ぐらいは取材し、長期滞在していました。エジプトはスンニ派の国なんです。イスラム教徒が多いけど、シーア派の人はほぼいないと思います。でもイランに出張すると8割がたシーア派の人たちです。スンニ派とシーア派の人たちって、同じイスラム教なのにこんなに違うのか、と感じさせられます」

鈴木「どういう点で?」

小倉「なぜシーア派とスンニ派がいるのか、ということから言うと、預言者ムハンマドがイスラムをつくって、亡くなったあとに後継者争いになる。ムハンマドの教義をよく理解した人間で、あとを継いでいこう、と考えたのがスンニ派。これがいまの世界の多数派です。シーア派はどういう人かというと、ムハンマドの家族、血を重視して、その血を継いでいく考え方を重視した人たち」

長野「はい」

小倉「ムハンマドの娘婿でいとこでもあるアリという人が中心となって、その人の子どもたちや子供のきょうだいなどで継いでいったものがシーア派なんです。一方でスンニ派が血は関係ない、ムハンマドの考えをいかに理解しているか、ということを重視して。自分たちが後継者だ、と。いまスンニ派、シーア派と呼ばれている人たちの跡目争いが対立を生んだ」

長野「はい」

小倉「そこで7世紀初めぐらいからだと思うけど、かなりの戦争状態になる。イランを見るとき『あれ、イラン人ってこういうマインドがあるんだ』と思わされた出来事がいくつかあって。カルバラ、というシーア派の聖地がイラクにある。カルバラで、ムハンマドの後継者とされていたアリの息子、フサインの軍がウマイヤ朝、いまのスンニ派につながる朝の軍とぶつかって虐殺されるんです」

長野「フサインさんがね」

小倉「フサインのぶつかった場所、遺体の埋められている場所がカルバラで。シーア派の人にとっては非常に思い入れのある、聖地になっているんです。簡単に虐殺というけど、フサインは(軍に)70人ぐらいしかいなかった。それで4000人の軍に挑んで、女性と子供以外は全員、殺されたといわれています。フサインは体をいったんダマスカスに送られて。殺された、というのを確認してカルバラに戻されて、埋葬されたといわれます」

長野「うん……」

小倉「カルバラの悲劇、カルバラの戦いといわれます。西暦680年のことですが、いまもいろいろなところでイラン人がこの話をするんです。するというのは、雑談ではなく、モスクに行ったときのモスクのイスラムの聖職者(法学者)たちが、この話をもう日本人でいえば『平家物語』ってこうだったのかな、というぐらい滔々と上手に物語にしていく。そこで聴いている人が、ものすごく真剣なわけです」

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