【ネタバレ有】FM沖縄の源流はCM無しの宗教放送だった

1972年5月15日にアメリカ世から大和世へと施政権が変わり市民の生活が大きく変化した様子を、
政府が交付するライセンス・免許に注目し、復帰後に生まれた局員が公文書などからも調べ丁寧に描きました。

■極東放送とは・・・
復帰前1958年2月にアメリカ統治下の高等弁務官によってライセンスを与えられた放送局で、日本語と英語2つの言語でスタートしています。→極東放送の開局のきっかけについて、当時技術職で働いていた東伸三さんに伺いました。
開局当時は、キリスト教を布教する宗教法人が、教会や信者からの寄付で運営しているため
ノンコマーシャルで、クラシックやオペラなど長尺の音源もフルで流すことができたそう。
当時は物資の乏しい沖縄ですが、親局にあたるアメリカから新しいレコードが続々届いたそう。

■極東放送は3つの電波を出していた
日本語放送と英語放送の2波に加えて、中国語放送を出していました。
東西冷戦で、ソビエトは鉄のカーテン、中国はバンブー(竹)カーテンと言われていた時代。
宣教師はもちろん入れない。カーテンをこじ開けるには何が良いかで選ばれたのが電波。
沖縄本島北部・やんばるにある奥間から、中国大陸に向けて高出力で電波を送信し布教に活用していました。


■復帰を迎える極東放送に免許継続への障害が・・・
外国法人が持っている。宗教放送を行っている。米軍との距離が近い。
というトリプルな理由で、返還後の放送継続は困難になりました
→国会でも度々取り上げられ、番組内で瀬長カメジロー氏の発言にもあるように、密約事件として当時から有名な、外務省機密漏洩事件の電文にも記載があったことがわかりました。

■継続に至った理由
証言してくださった日本語局長の松川氏や東京支社の尽力が大きいが、
極東放送の本局があるカリフォルニア州のウィティアにいる役員が、当時のニクソン大統領が同郷でかつ親戚に当たることが有利にはたらいたのではないか?という説も有力であることがわかった

上記の極東放送の出自や復帰時の話以外にも、
医介補や布令弁護士といった沖縄の復帰だけに適用された免許も調べ、復帰前後の当時の市民の様子を感じられる番組です。

【当時を語る証言者たち】
極東放送技術スタッフ 後の、FM沖縄副社長 東伸三さん
極東放送プロデューサー 後の、極東放送日本語局長 松川久雄さん
琉球放送英語局 KSBKの局長 川平朝清さん 他

【キャスト・スタッフ】
スタジオ:大城勝太(FM沖縄)伊芸梓(FM沖縄)古波藏契(近代史研究)
作品内ミニドラマ出演 TEAM SPOT JUMBLE 末吉功治 小渡俊彰 比嘉恭平 蔵元利貴
インタビュー通訳:ニッキー

ディレクター:室賀啓希(FM沖縄)大城勝太(FM沖縄)

復帰50周年特別番組 ライセンス ~米国と日本のはざまで~
放送局:FM沖縄
放送日時:毎週日曜 21時00分~21時55分
出演者:大城勝太、伊藝梓、古波藏契、TEAM SPOT JUMBLE、末吉功治、小渡俊彰、比嘉恭平、蔵元利貴、ニッキー
番組ホームページ

※該当回の聴取期間は終了しました。

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