コンサ鈴木武蔵が強豪コロンビアに挑む…野々村社長が激励!逆境の中でこそ「武蔵の力が活きる」

コロンビアに挑む武蔵を激励

北海道コンサドーレ札幌の代表取締役社長・野々村芳和さんが、HBCラジオ『気分上昇ワイド ナルミッツ!!!』(月-金 午前9時~正午)のレギュラーコーナー「野々村芳和のコンサドーレ情報」に生出演。前節の鹿島戦を振り返るとともに、日本代表戦に臨む鈴木武蔵選手にエールを贈りました。

13日の鹿島アントラーズ戦は、相手の堅守・速攻に苦戦し、前半に2点、後半に1点の失点を喫しました。後半40分に、アンデルソン・ロペス選手が得点したものの時すでに遅し。北海道コンサドーレ札幌は1-3で敗れました。

この試合について、野々村さんは「2年前に鹿島と対戦した時は、『勝つのは難しい』と思った。今回は、相手にコンサドーレ対策をさせる程のサッカーができた。これは2年間の進歩」と分析。悔しさを滲ませながらも、チームの成長を喜びました。

それでも、鹿島とコンサの実力差は大きいようです。前半23分の失点は、ルーカス・フェルナンデス選手がクリアしたボールが、相手選手に当たって、鹿島のチャンスになりました。このシーンについて野々村さんは「ボールを大きく蹴り出すか、ゴールキーパーに戻せば失点は無かった。ボールを奪って、すぐに攻撃したいという意識が強くて、リスクよりも攻めることを優先したことによる失点」と解説。

さらに、その前のプレーで、DFの進藤亮佑選手が相手選手を止めきれなかったことについても、「鹿島の選手ならば、プロフェッショナルファールをして失点を防いだかも知れない」と振り返った野々村さん。この試合は、鹿島を超えるために必要なことが確認できた、収穫の多い一戦になったようです。

そして、3/22(金)夜7時20分からは、神奈川の日産スタジアムで、日本代表とコロンビア代表の親善試合が行われます。コンサドーレからは、FWの鈴木武蔵選手が代表に選ばれています。

試合は強豪のコロンビア代表にボールを支配され、日本代表はカウンターに頼らざるを得ないだろうと語る野々村さん。しかし、「その方が鈴木選手の力が活きる展開になる。インパクトを残すには点を取ることだ」と逆境の中での鈴木選手の活躍に期待しました。

キリンチャレンジカップ2019「日本×コロンビア」戦は、3/22(金)夜7時20分キックオフ。そして次節、コンサドーレは、30日(土)に愛知県の豊田スタジアムで名古屋グランパスと対戦します。

気分上昇ワイド ナルミッツ!!!
放送局:HBCラジオ
放送日時:毎週月曜~金曜 9時00分~12時00分
出演者:水野よしまさ、森結有花、田村美香
番組ホームページ
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※該当回の聴取期間は終了しました。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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