避難所での“語らい”で深まる絆、七尾市を背負うバスケットボールクラブ【後編】 ~もう1つのB“群雄割拠B3リーグ”~ #4 金沢武士団

トップリーグであるB1・B2への参入を目指し、日本各地で活動を続けるもう1つのB、それが“B3リーグ”です。この連載「もう1つのB“群雄割拠B3リーグ”」は、バスケットボール歴16年・ニッポン放送アナウンサーの私、内田雄基が、地元を背負い、上を目指すB3リーグのクラブ活動や見どころをご紹介していきます。

連載4回目となる今回、私がご紹介するのは、令和6年能登半島地震により甚大な被害を受けながらも、2月3日(土)にB3リーグに戻ってきた「金沢武士団(かなざわ・さむらいず)」です。

前半では、金沢武士団・中野社長へのインタビューをお届けいたしましたが、後編ではキャプテン#11・田中翔大選手へのインタビューをぜひお読みください。

金沢武士団キャプテン#11・田中翔大選手

「七尾市の方たちが背中を押してくれました」――キャプテン#11田中翔大選手

内田:田中選手は災害直後はどのような状況だったのでしょうか?

田中選手:災害当日は大阪の実家に帰省していたので、石川県内にはいませんでした。石川に戻れたのは、発災1週間後でした。僕の家自体は大丈夫だったんですが、物が崩れ落ちていたり断水が続いていたりしました。周辺も、家が崩れていて、道路がぼこぼこになっていました。これまで見たことない状況だったので、驚きましたね。

内田:それは驚いてしまいますよね。

田中選手:自宅に戻って家の中を片付け、田鶴浜体育館での炊き出しに参加しました。避難所にいた地元の方は、自分のこと息子のようにかわいがっていただいていた皆さんです。そこで被災後、顔を初めて合わせました。

内田:田中選手は、語ろう亭ではどういった話を皆さんとされたのですか?

田中選手:ある90歳のおじいちゃんは、ずっとゲートボールをやっていて、また早くやりたいという話をしていました。少しでも早くゲートボールが出来る環境になったら、おじいちゃんの元気な姿見てみたいなって思いましたね。あとは2歳のお子さんがいるんですが、その子はみんなのアイドルです。その子は今回の震災は何もわからない状況だった思うんですけど、元気にあの遊んでる姿を見て、僕も元気に頑張らないといけないなって思いましたね。誰一人、暗い顔はしなかったですし、楽しんでいましたね。こういう企画を考えた中野社長や、語ろう亭の中心スタッフの原島さんは本当にすごいなって思いましたね。なかなか勇気のあることだと思うんですよね避難所でお酒を飲むって。

内田:とてもファンの方を想った取り組みをされているのだなと私も思います。田中選手もレギュラーシーズンが止まってしまった中で、選手としても色々なことを考え過ごしていらっしゃったのではないかと思います。

田中選手:試合がいつ再開するかも分からない状況でしたが、下を向いていては何も始まらないと思って、またいつか再開できた時に、最高のパフォーマンスをお見せ出来るようにと考えていました。僕だけじゃなくて他の選手もそうだったと思います。正直僕たちだけ、好きなバスケットをしていいのだろうかとか、住んでいた家や町を離れて金沢で練習していていいのかなっていう気持ちもありました。ただ七尾市の方たちが背中を押してくれて、頑張って来いと言ってくれたので、前を向いて練習に励むことが出来ました。

内田:そのような地元の方の後押しもあった中での2月3日(土)は、金沢武士団の復帰戦でした。

金沢武士団キャプテン#11・田中翔大選手

田中選手:対戦相手の岐阜スゥープスさんには、試合を見に来てくれるファンの方用に、七尾市から岐阜までの送迎のマイクロバスを出していただいて、「ダブルホームゲーム」と銘打って、色々なコラボや協力をしていただきました。本当に復帰初戦が岐阜スゥープスさんでよかったなと思いましたね。ファンの方は、本当に沢山の方が試合を見に来てくれました。中には涙する方もいて。普通の世界に戻ってきた感じがして本当に嬉しかった。試合は負けてしまいましたが、それ以上に価値のある復帰戦だったかなと思っています。

内田:久々の試合はどのように感じましたか?

田中選手:本当に楽しめたというか。なかなか勝ててないシーズンだったんです。でも復帰戦の負けは、負けをずるずる引っ張っている時の雰囲気ではなく、やりきった感じがしました。気持ちの面で全員がエナジーを出して戦えたことが何よりだったのかなと思います。

内田:私も試合を観ていて、金沢武士団のひたむきなプレー、ボールを最後まで必死に追いかける姿や、点差がついてもあきらめず声を出し続けている皆さんからバスケットボールへの想いを感じました。1ファンとして目頭が熱くなりました。

田中選手:ありがとうございます。

内田:復興はまだまだこれからという状況だと思います。大変な中と思いますが、残りのシーズンも頑張ってください。ひたむきな金沢武士団のバスケットボールを私も楽しみにしています。

そして最後に、田中選手からこの記事をお読みのあなたへのメッセージをいただきました。

まずは全国各地で公募金活動やご支援ご声援を下さった皆様に感謝をここで申し上げます。震災があって、どれだけ復旧に時間がかかるか分からないです。その中で私たちはバスケットボールが出来る幸せを忘れずにチーム一丸で今シーズン最後まで戦っていきますので応援何卒よろしくお願い申し上げます。

金沢武士団は第18節を終えて、4勝24敗。成績的には上位チームを必死に追いかけている状況ですが、地域のファンの方の想い、そしてバスケットボールへの熱い想いが今選手たち全員から感じられる素晴らしい試合をしています。残り6節となったB3リーグレギュラーシーズン。今この記事をお読みのあなたも一緒に金沢武士団の今後に注目してみてください。

避難所での“語らい”で深まる絆、七尾市を背負うバスケットボールクラブ【前編】 ~もう1つのB“群雄割拠B3リーグ”~ #4 金沢武士団

トップリーグであるB1・B2への参入を目指し、日本各地で活動を続けるもう1つのB、それが“B3リーグ”です。この連載「もう1つのB“群雄割拠B3リーグ”」は、バスケットボール歴16年・ニッポン放送アナウンサーの私、内田雄基が、地元を背負い、上を目指すB3リーグのクラブ活動や見どころをご紹介していきます。

連載4回目となる今回、私がご紹介するのは、令和6年能登半島地震により甚大な被害を受けながらも、2月3日(土)にB3リーグに戻ってきた「金沢武士団(かなざわ・さむらいず)」です。

金沢武士団

ホームアリーナは金沢市総合体育館ですが、今回の能登半島地震で甚大な被害を受けた七尾市に活動の中心拠点が置かれています。

2022年、経営難や練習場所の確保のため、練習場所と球団事務所を七尾市の田鶴浜という小さな町に移しました。1月1日の震災で甚大な被害を受け、金沢武士団のB3リーグの公式戦は中止となり、練習場所である田鶴浜体育館は避難所として利用されることに。そして先日2月3日(土)にOKBぎふ清流アリーナで行われた岐阜スゥープス戦でB3リーグ戦復帰を果たしました。

リーグ戦に戻ってくるまで、金沢武士団の選手やスタッフ、ファンの方はどのような日々を過ごしてきたのか。クラブの社長・中野秀光さん、キャプテン#11・田中翔大選手に、オンライン取材させていただきました。

記事前編では、中野社長、後編では田中選手へのインタビューをお届けいたします。

金沢武士団・中野秀光社長

「忌憚なく話が出来る時間を求めていたのだと思います」――金沢武士団・中野秀光社長

内田:被災直後、金沢武士団の皆さんはどういう状況だったのでしょうか?

中野社長:当時は、お正月でしたので3日間、選手には休みを言い渡していました。ですから、日本人選手はほとんど帰省していましたね。外国人選手は家族、奥さんやお子さんも一緒に残っていましたので、1日の地震で大変な思いをしたと思います。そこから、何かできないかと思い、練習会場の田鶴浜体育館に約500人の方が来てましたので、2日から炊き出しを早速始めました。朝昼晩、炊き出しを残っていた選手たちとフロントでさせていただききました。

内田:そうだったんですね。

中野社長:田鶴浜体育館は、実は運よく電気が来ていました。体育館の玄関で、鍋や色々なものを持ち込んで、ポータブルのコンロで炊き出しをしました。とにかく温かいものを、という一心でした。

内田:金沢武士団の皆さんも大変な思いをされた中だったと思いますが、すぐに地域の方の為に動き出したのですね。

中野社長:私は今まで4回震災を経験しています。中越地震では家が全壊した経験もあります。その経験もあり、徹底的に避難場所を明るくしようということで、選手たちには、合宿所から避難所に通ってもらいました。選手の顔を見たことで、避難者の方にも少しは明るい気持ちになっていただけたのかなと思います。炊き出しの雰囲気はイベントのようでしたね。

内田:避難所での不安な生活の中で地元の選手たちが来て、炊き出しもしてくれる。避難された方のことを最優先に考えた行動だったのですね。

中野社長:そんな矢先に、そこの事務室の方が、「いや、実はあの、ゴミ箱の缶の中に缶ビールが結構捨ててあるんですよ」という相談を私にしてきました。中越地震の時のことを思い出して、おそらく「このような状況でお酒を飲むのは不謹慎だ」と思って、車の中でこっそり飲んでいるだと思いました。ストレスのかかる状況ですからね。でも結局一人で飲むと悪いことしか考えなくなっちゃうんで精神的に参ってくるんです。「これ、一番危険なんです」と言ったんですよ。

内田:中野さんはその相談を受けて、どうされたのですか?

中野社長:うちのスタッフが、語る場所が必要なのではなだろうか、と考えました。そこで避難所の2階の会議室を貸してもらえないか相談をしたんです。皆さんで語り合いながら、お酒を飲む人も飲まない人も集めて、武士団の選手も聞き役に徹しますので、一緒に語る場所にしませんかと提案しました。

内田:避難者の方で集まってお酒を飲むということですか?

語ろう亭の様子

中野社長:一人で飲むよりみんなで楽しく語りながら飲んだほうがいいと思ったんです。赤ちょうちんを付けて、「語ろう亭」という名前を付けて、みんなで話を出来る空間にしました。そしたら、これが避難所の皆さんに好評で、今は参加者がとても増えました。皆さん、忌憚なく話が出来る時間を求めていたのだと思います。お酒も飲むことができるのも一つのテーマですが、あくまで語る為の潤滑油です。泥酔してはいけないので毎日夜8時から9時までの一時間で開催しています。

内田:避難所でお酒、非常に斬新ですけれど、避難されていた方たちが求めていたということなんですね。
語ろう亭ではどういった話をするんですか?

中野社長:もう、たわいもない話ばっかりなんです。次どうしようかな、という話は一切出ないです。意外と同じ地域でも、お互いを知らない人って結構多いんですよ。同じ体育館のフロアで生活していても、実は普段ほとんど会話しないんですね。ただ、この語ろう亭に来て一杯飲んで喋り始めたら仲良くなって。 体育館の方でもよく喋るようになったって言ってました。

内田:知らない人と避難所で生活するのと、日常会話をする間柄の人と生活するのでは精神的なストレスが変わりそうですね。選手も一緒に輪になって会話が出来るという関係は、なかなかない地域とクラブの距離感だなと思いました。

中野社長:これはやはり七尾市の田鶴浜にチームの拠点を移したことが全てだと思います。今回の震災は本当に大変で、乗り越えなければいけない。被災したという事実は変わらないですが、同じ経験をしたことで、より深いきずなへと変わってきたと思います。物事は捉え方、感じ方次第だなと思うんです。事実、今回の震災で選手やフロントは人として成長しているなと思います。本来はバスケットボールで喜ばせられれば一番ですが、ファンの方を喜ばせること、地元の為に出来ることを改めて考えることが出来ているなと思うんです。全部が全部、悲しいことではない思います。

B3リーグは、地域と濃い関係を築き、愛されているクラブばかりです。中野社長は取材の中で、何度も地域の方への感謝と熱い想いを語っていらっしゃいました。地域にクラブが根差すこと、地域に愛されるクラブになること、金沢武士団が目指すクラブ像の原点がそこにはあると思います。
震災を乗り越えていくために手を取り合う七尾市を始めとした被災地の方々と金沢武士団というクラブの姿は、私には力強く映りました。

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