九州派の中心 現代美術の重要作家「オチ・オサム」の世界

クリエイティブプロデューサー・三好剛平氏

福岡市美術館で3/24まで開催中の企画展「オチ・オサム展」。
オチ・オサムは福岡を拠点に活動した前衛芸術集団「九州派」の中心メンバーとして活動し、
その後2015年に亡くなるまで独自の表現を探究し続けた、福岡の現代美術の重要作家だ。
RKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」に出演したクリエイティブプロデューサーの三好剛平さんは
「地元にこんなすごい作家がいたのかと驚かされるに違いない」と評した。

オチ・オサムと九州派

オチ・オサムは1936年生まれの現代美術作家で、福岡を拠点として活動を続けました。

高校時代に美術部に在籍してはいましたが、以降大学などで専門的な美術教育を受けることなく、1955年に19歳となったオチは現在の凸版印刷に就職。その傍らで画業に勤しみます。そして同年9月に開催された「第40回二科展」に出展した作品が初入選し、なんとあの岡本太郎の目に留まります。ちなみにオチが本名である越智靖の漢字表記からカタカナの「オチ・オサム」と名乗るようになったのも、岡本太郎の勧めによるものだったと言われています。

この当時からのオチ・オサム作品の特徴のひとつとして挙げられるものは、通常は画材には使わないような素材も絵画に用いてしまう、独創的な発想でした。彼が二科展に出品した「花火の好きな子供」(1955)という作品には、通常では画材として使われない石炭由来の液体=コールタールが用いられていたように、恵まれない経済状況のなかにあっても、身近なものから面白い素材を見つけては試してみるような、既存の美術制度の型に嵌まらない自由な探究精神と、そのような素材でさえも美術として成立させられるだけの独自の美的センスを持ち合わせていました。

そして彼のキャリア前期を決定づける契機となるのが1956年、福岡出身の画家・桜井孝身(たかみ)との出会いであり、この二人の出会いこそが前衛芸術集団「九州派」結成のきっかけとなるものでした。

 

ここで「九州派」についてもご紹介します。「九州派」は福岡を拠点に1950年代後半から60年代にかけて活動した前衛芸術家集団です。「反芸術」「反東京」を掲げ、身近な生活用品を素材として用いながら、東京中心のアカデミックな芸術表現を批判し、活動しました。メンバーには桜井孝身やオチ・オサムをはじめ、菊畑茂久馬、田部光子らを擁し、以前この番組でもご紹介した、同時期に関西を中心に活動した前衛美術グループ「具体」などとも並び評されることも多い、戦後美術史においても重要な位置を占める美術集団です。

この「九州派」を特徴づける素材として挙げられるのが、アスファルトです。通常は道路の舗装や塗装に用いられる、わたしたちの「生活」にありふれた素材であるアスファルトなのですが、これを絵画に用いることで、当時の急速な都市開発や炭鉱の労働争議なども連想させる、九州派のシンボルとなっています。そしてこの素材を彼らが発見した背景には、オチ・オサムと桜井が交わしたある会話が背景にあったようです。

 

曰く、彼らは新しい絵画、その画面を実現し得る画材とは何かと模索するなかで、オチは、「桜井さん、総てのモノが色になりますヨ」、すなわち何も高価な絵の具なんて必要なく、砂だろうが紙だろうが何でもひっつけて画面上の「色」にしまえば良いと語り、しかしそれらをどうやってひっつけるのだと桜井が問えば、オチはアスファルトでもパテでも使えば良いと答えた。桜井はオチによるこの美術の枠にとらわれない天才ぶりに圧倒されつつも、まさしくここで現れたアスファルトこそが、その後の九州派を決定づける素材となっていったのでした。

圧倒的な「球体シリーズ」

その後、オチは彼のキャリア前期の代表作となる「出口ナシ」という作品を1962年に発表しますが、そこから一旦作家活動を停滞させます。その後、桜井の誘いで1966年から渡米し、当時全盛だったヒッピー文化などもインスピレーションとしながら、オチは徐々に新たなスタイルを手繰り寄せていきます。

 

その到達を見るのが、1970年代から晩年まで生涯をかけて追求するライフワークとなった「球体シリーズ」でした。現存する作品だけでも100点を超えるこの一大シリーズでは、宇宙空間のような仮想空間のなかに、色とりどりの球体が浮かぶ抽象的な絵画です。

 

無数の球体は一見ランダムに画面上に浮遊しているようで、実は画面に緻密なグリッドや円弧が引かれており、どの球体もその軌跡上に配置されています。ここにはオチ・オサムが見出した独自の世界認識が反映しています。

 

彼は「私は十字架がクロスした地点に立っている。私の母、娘は、私の十字架とは少しずつずれた十字架を背負って、この世の地平を見ています。となると、この世は網の目か碁盤ジマのようになってますね」と語ったと言います。それを踏まえると、この球体と軌道は、この世界における人間とその関係を示しており、またこのシリーズの絵ひとつひとつが、この世界を抽象的かつ理知的に凝集した曼荼羅のようなものとしても読めるのではないか、となっていきます。

実際、このシリーズを目の前にしてみると、その迫力と緻密さに圧倒されます。そして、キャリア前期においては新しい質感・新しい画面の成立を素材から徹底的に問い直していたオチが、ここにきていよいよ、純粋な絵画によってひたすら完璧に美しい画面へと到達した、とも言えるし、あるいはそこには世界の実像が写し込まれているのではないか、とか、あるいはオチ自身の脳内宇宙を映し取っているのではないか、など、無数の読みを引き受けて堪えるだけの、強靭な絵画としてオチの芸術が完成していくのを目の当たりにします。

 

このあたりの感動は、一枚の絵画だけを見て得られるものではなく、今回のようにキャリア前期から彼の表現の変遷を順に経ていきながら、ついに球体シリーズがまとめて展示されるブロックへと至るまでを経験してこそ得られる感覚で、そういう意味でも本展は、オチ・オサムの凄さを真に味わえる充実の展示となっています。

 

これを機に、是非皆さんも福岡の重要作家であるオチ・オサムの作品と出会ってみてください。地元にこんなすごい作家がいたのかと驚かされるに違いない、素晴らしい作品と展示ですよ。

福岡市美術館 企画展 「オチ・オサム展」

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、田中みずき、三好剛平
番組ホームページ
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※放送情報は変更となる場合があります。

刑事ドラマのマエストロ・内藤剛志も苦悩する「私生活での危機管理」

野村邦丸アナウンサーが大将を務める「くにまる食堂」(文化放送・毎週月~金曜9時~13時)。1月23日(木)の最初のコーナー「ニュース一番出汁」では、邦丸アナとパートナーで俳優の内藤剛志が、長野市で起きた無差別殺人事件について意見を交わした。

野村邦丸アナ「昨日の夜8時頃、JR長野駅前でバスを待っていた男女3人が刃物のようなもので襲われ、長野市の会社員・丸山浩由さん49歳が左の脇腹を刺されて死亡しました。別の30代の男性が大けがをした他、40代の女性は軽いケガをしました。
男は刃物のようなものを持って現場から逃走したということで、警察は男が無差別的に襲撃したとみて、殺人や殺人未遂の疑いで行方を追っています」

内藤剛志「うーん……」

邦丸「物騒な事件が多いんで、気を付けないといけない。でも今回もそうでしょ? 無差別に襲撃という……どう気を付ければいいんだ。あの、福岡のファーストフード店で中学生2人が襲われて、女の子が命を奪われました。これにしたって、どう気を付ければいいんだと。昔は暗い道を歩くのは気を付けましょうね、これは今でもそうですけども。今回は夜の8時の駅前ですよ!」

内藤「バス停ですよねえ。8時って、『早い夜』といえる時間ですか、まだ。深夜ではもちろんないわけだから、背後から来られたらわからないしっていうのはありますよねえ。ただ、でもねえ、少し気を付けるってことは、敏感にならざるをえないんじゃないですか? 例えば、列に並んでいる時に、一番後ろにいる時は背後を気を付けるとか。それで全部防げるとは思いませんけども、何もない前提ではなくて、何かあるかも知れないと。いいことじゃないですよ? いい気持ちしませんけど、そう思うしかないような気がしますよね」

邦丸「例えば、電車に乗ろうと駅のホームにいた時に、今ホームドアがついている駅は多いですけど、何もない駅で一番前に立っていて、前もありましたね、後ろからドンと押されてそのまま線路に落ちちゃってっていう。俺も最前列に並ぶことがあるんですよ。『山手線、混んでんな~、じゃあ次の列車にしようかな』って一番前に並んでいる時に、変なことを思っちゃうんですよね。『もしも押されたらどうしよう』とか。そうすると後ろの人をジロッと見るわけにもいかないけども、『何でこんな気持ちになっちゃうんだろう?』っていう、イヤ~な感じがするなあ』

内藤「僕も横断歩道で一歩後ろに立とうとしますもん。もしかしたら車が暴走してくる可能性があるから。一番前で青を待つよりは、一歩下がっていた方が安全かなって気はしますね」

邦丸「ですね」

内藤「亡くなられた方は本当に残念ですけども、危機管理のレベルを上げていくしかないんじゃないですか? 『安全だよ!』っていうことに頼るわけにはいかないような世の中になった気はします」

邦丸「内藤剛志さんの場合役者で、刑事の役が多いじゃないですか。そうすると『身に覚えはありませんか?』とか、『恨まれていることはありませんか?』とか、そういうような刑事ドラマにおける展開がありますよね。実際に『捜査一課長』でもあったし」

内藤「基本的には人間関係の中で起きるものが事件だと思うんですよ。『恨む』とか『羨ましい』とか『憎む』とか。でも、今回のようにそういうのはまったく関係無いと。イライラしているから、目の前に来る人を……みたいな事件に関しては、動機がわかったとしてもそれをどう学びに展開できるかってなると、難しいですよね。だったらもう、守る側が、守る感度を上げていくという結論しか、無いように思いますね」

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