財津和夫、ザ・ビートルズ来日の時に「ミスター・ムーンライト」を聞いて思った事とは

※撮影時のみマスクを外しています

TULIP・財津和夫が、時には(いや、しばしば)自らのビートルズ論を語る『グランドメゾン プレゼンツ 財津和夫 虹の向こう側』。今回は、ビートルズのレコードデビューから60年となるタイミングに制作され、今週末1月27日から全国公開される邦画「ミスタームーンライト ~1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢~」にちなみ、ビートルズの来日に関する話を発端とした財津のビートルズ論をまた少しだけ紹介する。

演奏するよりもプロデューサーになりたい?!

番組冒頭では、「もしビートルズが活躍していた時代に戻れて、ビートルズと共演できたとしたら、いつごろに戻ってどんな曲を?」と言うリスナーの質問には、ちょっと迷った後、「デビュー直後、あるいはデビュー直前かな。最初、キャピタルレコードに音源を持って行った時、却下されたという話がある。その時に、僕が出て行って『これ是非やりましょう』とね」と財津が答える。
共演するよりも、ビートルズの生みの親になるのがタラレバの夢、のようです。

「あんたわかっとらんね」

「♫ミスタ~~・ム~ンライト」と曲冒頭の独唱部分を突然財津が大声で歌いだす。武田アナは、今回の映画に際して初めて聞いた曲のようだ。
この曲はジョンやポールが作ったものでなくカバー曲。武道館公演でビートルズが来日した時、既にビートルズに傾倒し詳しいと自負していた財津青年は、テレビのビートルズ紹介のBGMとして使用された「ミスター・ムーンライト」を聞いて、インパクトがあるかもしれないが、オリジナル曲ではなくカバー曲を使用した番組制作者に対して「あんたわかっとらんね、ビートルズば」と高校生(いや浪人生?)ながらに思った、との事。
財津の質問に、ビートルズ解散後のジョンの曲だが「イマジン」の歌詞も好き、と武田アナ。「欧米人はいつも戦いの歴史。日本は周りが全部海だから国境を意識することはほとんどない。陸続きで国境があるといろんなトラブルが生じてくるからこそ、『国境のない世界をイメージしてごらん』という歌詞が強く迫ってくるんじゃないですかね」と世界の現況に触れるかのように財津が語る。

今日の一曲は、ザ・ビートルズ「ミスター・ムーンライト」。
ビートルズがカバーしたこの曲は、英米では1964年(昭和38年)、日本では翌1965年にそれぞれレコードリリースされているが、ビートルズはデビュー前からライブで演奏していたらしい。

次回の放送1月29日も、通常通り18時15分(午後6時15分)から。
今年3月末から再開されるTULIP50周年コンサートに関して、リスナーのお便りを交えてお話しする予定。

グランドメゾン プレゼンツ 財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、武田伊央
番組ホームページ

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※該当回の聴取期間は終了しました。

菅井友香、振付家TAKAHIROと当時の思い出を語る!

サントリー生ビールpresents『菅井友香の#今日も推しとがんばりき』のゲストにダンサー・振付家のTAKAHIROが登場し、菅井と出会った時の印象からグループ最後の楽曲「その日まで」についてまで菅井との思い出を語った。

-TAKAHIRO「菅井さんは不器用なんです」-

菅井とTAKAHIROの出会いは2016年。欅坂46のデビュー曲「サイレントマジョリティー」の振り付けの時だったという。TAKAHIROは当時の菅井について、「菅井さんはいっぱい練習する子でした。いっぱい練習しましたね。『不協和音』の立ち方だけでとか、手の引っ張り方だけで、一時間ぐらいずっとやっていた」と当時のことを振り返った。

また、リスナーからの質問で菅井のグループ時代の最後の楽曲「その日まで」の振り付けにどんな意味を込めたのかについて問われたTAKAHIROは、「あの楽曲は全部が逆再生されるように作ってあったんですが、でも、過去のことだけではなく今の菅井さんが表現できることを大切に、前に進んでいけるように。菅井さんはいっぱい背負ってきましたので。だからそのリュックを一回置いて、ただただ走って風を感じられるように。そういう思いを込めて、振り付けをさせていただきました」と語った。

そんな「その日まで」はミュージックビデオの撮影中に釣りをしている人を待つために一時撮影が中断されることもあったという裏話も語ってくれた。

さらに、リスナーから菅井のパフォーマンスに関する裏話を聞かれたTAKAHIROは、「菅井さんは不器用なんです」と断言。しかし、その不器用さ故の長所があると語った。「不器用だけど、努力するという力を持っていた。感覚でみんながやれるところを努力で全部補おうとする。だから本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立った時に誰よりも輝く瞬間がある」

菅井は、その様にやり遂げられたのはTAKAHIROの存在が大きかったと語り、「少年のような大人でずっと誰より近くにいてくださった」と当時TAKAHIROに感じていたことについて振り返った。

その他、「キミガイナイ」の振り付けについての話やTAKAHIROが櫻坂46の振り付けを考えるうえで一番大切にしていることなど、様々な話が語られた。そちらについては是非タイムフリーで

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