安住紳一郎、ラジオで結婚を報告「家庭を持つことになりました」

TBSアナウンサー・安住紳一郎さんがパーソナリティを務める『安住紳一郎の日曜天国』(TBSラジオ)。1月7日(日)の放送では、安住さんがリスナーに結婚を報告しました。(TBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』2024年1月7日放送分)

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安住紳一郎、ついに結婚!

2024年元日、一部メディアで結婚することが報道された安住さんは、1月4日(木)放送の『THE TIME,』(TBS系)で結婚を生報告しました。そして、今回の『安住紳一郎の日曜天国』は、2024年最初の放送ということもあり、ラジオでどのように語られるのか注目が集まりました。

番組中盤、安住さんは「年が変わりましたこの機に、私結婚をし、家庭を持つことになりました」とリスナーに報告。これまで、結婚に前向きな発言をしてこなかった背景から、「自分でもこの決断に驚いている」と打ち明ける一方で、結婚に至った経緯については「昨年、1年間で3度体調不良で仕事を休んでしまって、生活を変えないと駄目だ、と考えが変化したのが一番大きな理由だと考えています」と説明しました。

かねてから番組で「共同生活には向いていないタイプ」と語っている安住さんは、現在"別居婚"であることも明かすと「自分なりの形で出来ればいいなという風に思っていて、この辺でも早速揉めているというところはあります。なかなかね……難しいですね」と本音を漏らす場面も。実際に会うのは週1回程度とのことで、「自分の所に来るときには「早めに予約をしてから来てくれ」っていう話になってて。これはどうですか? 長続きするんですか? 分からないですけど」と自虐気味に語り、アシスタントを務める中澤有美子さんや番組スタッフらの笑いを誘いました。

お相手についても、安住さんの一回り年下で同じ北海道出身、数年前まで芸能活動をしていた一般女性であることが語られましたが、世間の反応に関しては「皆さん、無法地帯でネット検索し放題で。(情報が)合ってるものも合ってないものもネットにさまざま出ていて、驚きましたけども」とコメント。最後は「私の"人生ゲーム"、皆さんも楽しんで見ていただいているという自負がありますので。また次のマスを目指して進んでみたいと考えています」と想いを語りました。

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安住紳一郎の日曜天国
放送局:TBSラジオ
放送日時:毎週日曜 10時00分~11時55分
出演者:安住紳一郎(TBSアナウンサー)、中澤有美子
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※放送情報は変更となる場合があります。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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