"還暦"出川哲朗、豪華ゲストと「男・出川哲朗還暦祭り」を振り返る!

ニッポン放送では、1月16日(火)に特別番組『出川哲朗のオールナイトニッポン』を放送。出川哲朗さんが、1月14日(火)に開催されたイベント「男・出川哲朗還暦祭り in 横浜アリーナ」を振り返りました。(ニッポン放送『出川哲朗のオールナイトニッポン』2024年1月16日放送分)

男・出川哲朗、還暦! 一夜限りのプレミアムライブ

2024年1月14日(日)、出川哲朗さんの還暦を祝う一夜限りのイベント「男・出川哲朗 還暦祭り in 横浜アリーナ」(以下:「出川哲朗還暦祭り」)が横浜アリーナで開催。きっかけは、2023年2月に放送された『オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポン55時間スペシャル』内の『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』に出川さんがゲスト出演した際、「出川哲朗還暦祭り」の開催をサプライズで発表。2023年8月には、出川さんが人生初の単独パーソナリティ務めた『出川哲朗のオールナイトニッポン』でイベントの詳細が発表され、出川さんが男泣きを見せる場面もありました。

出川さんには内容を一切知らせずに準備が進められた「出川哲朗還暦祭り」には、学生時代からの盟友・ウッチャンナンチャンを始め、有吉弘行さん、飯尾和樹さん、いとうあさこさん、狩野英孝さん、さまぁ~ず、三四郎、ダチョウ俱楽部、田村淳さん、ダンス☆マンさん、土田晃之さん、ナイツ、ナインティナイン、中岡創一さん、バカリズムさん、堀内健さんら錚々たるメンバーが集結。来月に還暦を迎える出川さんを、1万2000人の観客とともに盛大に祝いました。

「出川哲朗還暦祭り」を生放送で振り返り!

「出川哲朗還暦祭り」の興奮も冷めやらぬ中、『オールナイトニッポン』では1月16日(火)に、イベントを最速で振り返る特別番組『出川哲朗のオールナイトニッポン』を放送。出川さんをメインパーソナリティに、堀内さん、飯尾さん、中岡さんの3人がゲストで出演しました。

イベントの音源を交えながら振り返った今回の放送。スウェット姿の"チョコ山サク次郎"こと堀内さんが、ポテチを食べながら行った開会宣言のエピソードでは、即興ネタと思わしき内容も実は念入りに準備されていたことを出川さんが暴露。堀内さんはトップバッターだったこともあり、手が震えるほどに緊張していたことを明かす一方で、「出川さんの顔を見たら、恵比寿様みたいな顔をして笑ってるから、安心して落ち着いて読めた」と、当時の心境を語りました。開会宣言を終えて楽屋に戻った堀内さんは、さまぁ~ずや有吉さんたちからハイタッチの祝福を受け、飯尾さんも「楽屋がみんな大爆笑だった」と、堀内さんの開会宣言を絶賛しました。

「開会宣言」を3分お試しで今すぐ聴く↓

さまぁ~ずの出演後に行われた大喜利大会では、イベントの総合司会を担当した内村光良さんをMCに、さまぁ~ずとバカリズムさん、スタジオの4人が回答者として参加。『内村プロデュース』(テレビ朝日系、2000年4月~2005年9月)を彷彿とさせるやりとりに、会場も盛り上がりました。

大喜利大会の様子が収められた音源は、番組ディレクター・丹羽さんが出川さんたちのスベった回答を中心にピックアップしたため、スタジオから不満の声が飛び交う事態に。「1番流してほしくない」回答を流された飯尾さんは、観客にウケたベストな回答を自ら口にしてしまい、恥をかいてしまうのでした。

「大喜利大会」を3分お試しで今すぐ聴く↓

番組中盤では、淳さんがサプライズでスタジオに登場。イベントではお祝いコメントでVTR出演していた淳さんは、会場でもサプライズゲストとして登場し、出川さんの楽屋で荷物を漁ったり、スマホを勝手に覗き見たりと自由奔放な立ち回りを見せていました。

イベントのラストでは、ステージに立つ出川さんが落とし穴にハマるドッキリが仕掛けられていましたが、落とし穴が予想以上に深く、出演者たちも内心慌てていた様子が語られました。バラエティ番組の仕様ではない落とし穴にボヤキつつ、出川さんは「本当のリアルガチだよ!」と淳さんに助けを求めていたことを明かしました。

「落とし穴ドッキリの裏側」を3分お試しで今すぐ聴く↓

出川哲朗のオールナイトニッポン
放送局:ニッポン放送
放送日時:2024年1月16日 火曜日 25時00分~27時00分
出演者:出川哲朗
番組ホームページ
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X(旧:Twitter)ハッシュタグは「#出川哲朗還暦祭り」

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※放送情報は変更となる場合があります。

この記事を書いた人

radiko編集部

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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