スタジオジブリ・鈴木敏夫のラジオ番組『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』

日本を代表するアニメーション制作会社「スタジオジブリ」の代表取締役プロデューサーを務める鈴木敏夫さん。映画プロデューサーとして、数多くのジブリ作品を手掛けてきました。

当記事では、鈴木さんがメインパーソナリティを務めるラジオ番組『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』(TOKYO FM)をご紹介します。

アニメブームの立役者・鈴木敏夫

鈴木敏夫さんは、慶應義塾大学文学部を卒業後、徳間書店に入社。「週刊アサヒ芸能」を経て、「月刊アニメージュ」の創刊に携わり、1986年11月から1989年9月まで編集長を務めました。「アニメージュ」時代は、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』など、当時若者に人気の作品を積極的に取り上げ、アニメブームに貢献しました。

宮崎駿さんの作品『風の谷のナウシカ』連載開始にも尽力し、映画化が決定すると、高畑勲さんとともにスタッフの一人として映画製作を手掛けました。その後も『となりのトトロ』(1988年)、『火垂るの墓』(1988年)、『魔女の宅急便』(1989年)など、高畑さんと宮崎さんの作品に多く関わり、1989年10月にはスタジオジブリへと移籍します。

スタジオジブリでは、経営者及びプロデューサーとして、ジブリ作品の製作を一手に引き受け、興行の大きな支えとなります。2005年に、スタジオジブリが徳間書店から分離独立する形で株式会社となった際、代表取締役社長に就任。2008年には代表取締役プロデューサー、2023年10月には代表取締役議長に就任しました。

鈴木敏夫出演 TOKYO FM『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』

2007年10月からTOKYO FMをキーステーションに、JFN系列38局ネットで毎週日曜23時から放送している、鈴木敏夫さんの冠ラジオ番組。鈴木さん自らがメインパーソナリティを務め、鈴木さんの隠れ家とされる部屋「れんが屋」に、スタジオジブリの関係者や鈴木さんにゆかりのある人たちをゲストに迎えてお届けします。

基本的に、一つの企画を前後編の2回に分けて放送されており、イベントでの公開録音や講演会の音源をオンエアすることも多い番組です。

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ
放送局:TOKYO FM
放送日時:毎週日曜 23時00分~23時30分
出演者:鈴木敏夫
番組ホームページ
公式X

X(旧:Twitter)ハッシュタグは「#ジブリ汗まみれ」

出演番組をラジコで聴く

※放送情報は変更となる場合があります。

『君たちはどう生きるか』米アカデミー賞受賞! 宮崎監督の反応は…?(2024年3月17日放送)

2024年3月17日(日)の放送では、宮崎駿さんが監督を務めた最新作『君たちはどう生きるか』が「第96回アカデミー賞」で長編アニメーション映画部門賞を受賞したことを受け、3月11日(月)にスタジオジブリ内のスタジオで鈴木さんが受けた記者会見の模様が放送されました。

日本作品での受賞は、同じく宮崎さんが監督を務めた『千と千尋の神隠し』以来、21年ぶり。記者から宮崎さんの反応を聞かれた鈴木さんは「日本男児として嬉しい顔は見せちゃいけない」と言いつつも、笑顔がこぼれて喜んでいた様子を明かしました。

アメリカでの評価が高かった件について問われると、「ある種、旧約聖書なんですよね、内容が。旧約聖書の最後の方、つまり「黙示録」。「宮﨑駿の黙示録だ」と思ったんです。映像を見ていくと分かるんですよ。それはアメリカの人には受け入れやすかったんじゃないかな」と、大ヒットとなった要因を分析しました。

受賞が発表された際、記者会見を控えていた鈴木さんは、アトリエにいた宮崎さんと電話で会話を交わし、宮崎さんに「受賞おめでとうございます」と伝えたところ、「お互い様です」と返されたとのこと。「彼に対して、いつも基本的な態度として「ありがとうございます」って、つい言っちゃうんですよ。そうすると機嫌が悪くなるんです。「2人で一緒にやったじゃないか」って」と宮崎さんの人柄を語りました。

アカデミー賞に対しての想いを述べる場面もあり、鈴木さんは映画ファンの一人として「作品を選ぶ基準が面白い」とコメント。アカデミー賞では製作スタッフの受賞者が多いことに触れ、「日本アカデミー賞」にも影響を与えていることに「やっぱりすごいな」と口にしました。

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radiko編集部

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「バスの運転士」の一言が、10年前の記憶を呼び覚ました―ラジオが結んだ、不思議な再会

先日、ニッポン放送では『上柳昌彦 あさぼらけ スペシャル ~あけの語りびと~』をお送りしました。実は8人の方を取材させていただいたのですが、皆さんのお話が、どれもドラマがあって、ご紹介しきれませんでした。

※イメージ画像

そこで、ご紹介できなかった4人の方を、4週にわたって、『あけの語りびと』でお届けしています。今週は3人目の方です。不思議なご縁で繋がるラジオネーム「すみちゃん」の物語です。

7月28日に発生した「令和8年熊本地震」。その翌日は水曜日だったので、いつもの『あけの語りびと』は、急遽お休みして、熊本からメールを送ってくださったリスナーさんに電話をつなぎました。

実はその方、10年前にもお話を伺っていたんですが、いただいたメールでは、同じ方だと分からなかったんです。お話の中で、『10年前、バスの運転士だった…』と聞いた瞬間、「あっ、あの時の!」

私の脳裏に、10年前の記憶が、鮮明に蘇ってきたんです。不思議なものですね。「バスの運転士」という言葉が、10年の時を経て、私の記憶の引き出しを開いてくれたんです。

熊本市にお住まいのラジオネーム「すみちゃん」は、50歳です。ラジオを聞くようになったのは、中学三年生の冬。受験前にインフルエンザで寝込んだ時、枕元で聞いたラジオが、とても面白かった。それが、ラジオとの出会いでした。

当時、熊本ではニッポン放送が聞けなかったので、窓際にラジオを置いて、向きを傾けたりして、雑音の中、聞いていたそうです。

「そうそう、上柳さんの声を初めて聞いたのは私が高校二年の時でしたね。こちらのローカル番組が始まる前の、夜7時10分から20分だけ、熊本放送(RKKラジオ)で、『花の係長 ヨッ!お疲れさん』がネットされていたんです。東京のラジオ局は、めちゃくちゃ面白い!と思って聞いていましたよ」

高校へ通う電車の中でもポケットラジオで聞くほど、ラジオ好きになったすみちゃんは、大学を卒業すると教員免許を取り、中学校の「技術」の教師になりました。本棚を作る木材加工や、電子製品のはんだ付けなどを教えていたそうです。

しかし、教師の仕事は勤務時間が長く、生徒や保護者への対応など、さまざまなことが重なり、別の道を考えるようになります。

子どもの頃から乗り物が大好きだったすみちゃんは、36歳のとき、市内バスの運転士になりました。始発バスを担当する日は、朝5時過ぎには発車前の点検作業を始めます。

「朝早く起きるのは、やっぱりつらいんです。眠い目をこすってラジオをつけると、あれ?上柳さんの声が流れてきたんです。『あ、うえちゃんの番組が始まったんだ!』と、朝の楽しみが生まれましたね」

ところが、番組スタートから3週間後、2016年4月14日夜9時26分、熊本地震が発生しました。その夜、地震の様子をメールで知らせてくださったすみちゃんに、翌朝、スタジオから電話をつないだんですね。

あの電話から10年が経った今、バスの運転士さんをされていないと伺って、どうされたのか、ちょっと気になって、お話を伺うと、体調を崩されたとのこと…。検査を受けると腎臓の機能が低下していて、今は週に3回の透析を受けています。昼間の仕事は難しくなって、夜、ガソリンスタンドの事務をされています。そこでは、ラジオが聞けます。

オールナイトニッポンから「あさぼらけ」へ…「明け方、ラジオから、うえちゃんの声が流れてくると、ああ、そろそろ今日も仕事が終わりだなぁ、って思うんですよ。今は、ラジオから聞こえてくる、うえちゃんの声が、ホッとする一日の締めくくりになっています」

ラジオネーム「すみちゃん」、今朝もお仕事、お疲れ様です!

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