ミルクボーイが大爆笑の同窓会!空気階段・鈴木もぐら&俳優・前野朋哉と学生時代を振り返る

ABCラジオでは、ミルクボーイが学生時代を振り返る特別番組を今年も放送。第4弾となる今回は、空気階段・鈴木もぐらさん、俳優で映画監督の前野朋哉さんをゲストに迎えて、同窓会トークを繰り広げました。(ABCラジオ『全員大阪芸大やないか!ミルクボーイの同窓会ラジオ!』2023年11月18日放送分)

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大阪芸大の思い出を振り返る特別番組

「M-1グランプリ2019」の優勝者で、ABCラジオの冠番組『ミルクボーイの煩悩の塊』(毎週月曜24時30分~)、『ミルクボーイの火曜日やないか!』(毎週火曜12時~)を始め、多数のレギュラー番組を持つお笑いコンビ・ミルクボーイ。彼らの母校・大阪芸術大学(以下:大阪芸大)で過ごした学生時代の思い出を語る特別番組が今年も放送されました。

2020年から年1回のペースで放送されているこの特別番組は、ミルクボーイの駒場孝さん(放送学科卒業)、内海崇さん(映像学科卒業)をメインパーソナリティに、大阪芸大にゆかりのある著名人をゲストに招いて、ラジオで同窓会トークを繰り広げます。第3弾からは、大阪芸大の先輩で『兵動大樹のほわ~っとエエ感じ。』(毎週金曜12時~)でもお馴染みの宇野ひろみさん(放送学科卒業)がパートナーを務めています。

第4弾となる今回は、空気階段・鈴木もぐらさん(映像学科出身)、俳優で映画監督の前野朋哉さん(映像学科卒業)がゲストで出演。駒場さんがスケジュールの都合により欠席のため、もぐらさんはオープニングからの登場です。オープニングトークでは、3人の学生番号の話で盛り上がる中、もぐらさんは下ネタやギャンブルに因んだワードを発するなど、過去3回とは違った雰囲気で進行していきます。

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もぐらさんは大阪芸大を中退しているものの、ミルクボーイの3学年後輩でともに落語研究会(落研)の出身。「彼女が欲しかった」、「夢を叶えにきた」と、入学当時を振り返ったもぐらさんは、新入生歓迎会のビラ配りがきっかけで、落研が月1回のペースで催していた寄席「芸大漫才」を見学。お笑い好きの余り「大学生のお笑いなんか見てらんねえわ」と、冷やかすつもりで寄席を観に来たもぐらさんでしたが、同じく落研に所属していたななまがり(もぐらさんの2学年先輩)、そしてミルクボーイのネタを観て「こんなに面白い人たちがいるのか。一気に僕の考えが全部破壊されまして…」と衝撃を受け、「この人たちの近くにいたい」という理由で落研に入部したことを明かしました。

当時の落研は1学年で10人前後、男女比がほぼ9:1の規模だったと振り返る中、内海さんは番組のロケで落研の部室を訪れた際のエピソードを披露。現在の落研は全学年で約80人、男女比も5:5になっていること、裏方志望の人も在籍していることなどを告げると、もぐらさんは「生まれる時代、間違えたわ~」と、時代の流れから来る環境の変化に驚くばかりでした。

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番組の後半からは、前野さんもスタジオに合流。内海さんと前野さんは映像学科の同級生という関係性ながら、学生時代は接点が全く無かったらしく、お互いに学生時代の摺り合わせから同級生トークへと展開していきます。1回生のとき、映像制作の授業で「坂道」をテーマにした作品を制作することになり、内海さんの班は校内を飛び出て、外部から役者も雇って、童話「うさぎとかめ」の実写版を制作したことを語りました。

設定だけでもインパクトの強さが窺える一方、別の班だった前野さんからは「憶えてないです」と返され、もぐらさんには「たぶん、ネタじゃないですかね?」と疑われる始末。話している最中に当時の作品の記憶を鮮明に思い出した内海さんは、音が全く録れずテロップを入れていたエピソードを語りました。

「学生時代の映像制作」を3分お試しで今すぐ聴く↓

映画監督だけでなく、バイプレーヤーとして数多くの映画、ドラマに出演している前野さん。映画監督として「内海さんともぐらさんをどんな役で出したいか?」という宇野さんからの質問に答えました。もぐらさんに対しては普段のイメージからなのか、「ゴリゴリの犯罪者をやってもらいたいです」と回答し、もぐらさんから「そのままじゃないですか!」とツッコまれます。内海さんには「ハゲてる役」で、演者として一緒に出たいと回答。お互いに頭髪の薄さを気にかけながら「今の過程は貴重だと思います。薄らハゲは…」、「言い過ぎやろ。前野くん、そこまでは言い過ぎや!」と、学生当時は接点が無かった2人もすっかり打ち解けた様子を見せました。

「映画に出すならどんな役?」を3分お試しで今すぐ聴く↓

全員大阪芸大やないか!ミルクボーイの同窓会ラジオ!
放送局:ABCラジオ
放送日時:2023年11月18日 土曜日 18時00分~19時00分
出演者:内海(ミルクボーイ)、宇野ひろみ ゲスト:鈴木もぐら(空気階段)、前野朋哉

※放送情報は変更となる場合があります。

この記事を書いた人

radiko編集部

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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