松本隆特集 第3弾!「風街とデラシネ~作詞家・松本隆の50年」の著者がその軌跡をたどる

音楽評論家・田家秀樹が、日本の音楽の歴史に残る伝説のアーティストやアルバムにスポットを当てる番組『J-POP LEGEND FORUM』(月 21:00~22:00)。
10月は、番組スタート以来3度目となる「松本隆」にフォーカス。
番組案内人・田家秀樹の新刊「風街とデラシネ~作詞家松本隆の50年」(KADOKAWA・10月27日発売)と同時に発売される同名の2枚組CD 33曲を4週にわたり全曲紹介すると共に作詞家・松本隆の50年をあらためてその軌跡を辿ります。


■10/6放送:第1週は70年代前半~75年にかけて作詞家・松本隆が手がけた名曲の詞に着目。


●M1 暗い日曜日 / エイプリル・フール

アルバムの1曲目、作詞家・松本隆の始まりの曲。作詞・松本隆というクレジットが初めてレコード盤に刻まれたのがこのアルバム。1969年に出たエイプリルフールのアルバム『エイプリルフール』の中の「暗い日曜日」。エイプリルフールはボーカル・小坂忠、ベース・細野晴臣、ギター・菊地英二、キーボード・柳田ヒロ、ドラム・松本隆(零)。アルバムはこの『エイプリルフール』1枚だけで、音楽的な方向性の違いで解散。松本さんは細野さんから「日本語の詞を書けば? 君はいつも小説を読んだりしているし、詞を書けば?」ということで、勧められて書くようになったアルバム。

●M2 風をあつめて / はっぴいえんど

オリジナルアルバム3枚で解散した「はっぴいえんど」(ギター・ボーカル 大滝詠一、ベース・ボーカル 細野晴臣、ギター・ボーカル 鈴木茂、ドラム・松本隆)の1971年11月発売、2枚目のアルバム、ロック史上に残る金字塔『風街ろまん』から。ちょうど50年前の曲だが、全然古くないとあらためて思う。理由は2つ、余計な音が入っていない、加工された音がない、1番必要なもの、本質的な音だけがある。それともう1つは言葉、時代の流行語とか、時代をなぞったような作為的な言葉が全くない。詞として情景が浮かんでくる。「かっこいいなあ、この歌」はという、50年前と今で全く同じような感想を持つのは驚くべきこと。解散後、松本さんは作詞家になる前にプロデューサーとして生きようとした。

●M3 勝手にしやがれ / 南 佳孝

1973年9月発売、松本さんが初めてのプロデュースのアルバム『摩天楼のヒロイン』から。詞も書いていて〈風のナイフ〉という言葉は“松本印”とも言える言葉。ジャズロックなんだけども、歌詞の内容は日本。このへんが松本さんが当時から洋楽と邦楽について考えていた1つの証。
「はっぴいえんど」解散後にメンバー4人が次に何をするか、お披露目の場でもあった解散コンサート(1973年9月21日、文京公会堂)。そこで、松本さんがプロデュースするアーティストとして南佳孝さんはデビューした。

●M4 夏色のおもいで / チューリップ

1973年10月発売、チューリップの大ヒット「心の旅」の次の曲。松本さんが作詞家になるか迷っていた中で生まれたのがこのヒット曲。
チューリップのシングルで唯一、外部の作詞家が書いているので、彼らはこの曲を当時ライブで歌わなかった。松本さんは「財津さんには今でも申し訳ないことをしたと思っている」と話をしていました。

●M5 組曲「噫無常」嘆きの舞姫(バレリーナ)~イカリの水夫 / あがた森魚

1974年3月発売、松本隆さんのプロデュース第2作目、あがた森魚さんのアルバム『噫無常(レ・ミゼラブル)』から。前半は松本さん、後半はあがた森魚さんの詞。松本さんはこのアルバムをプロデュース、作詞、演奏、ミュージシャンの選択、リズムアレンジまでやっている。プロデュースしたアルバムは4枚で、南佳孝『摩天楼のヒロイン』、岡林信康『金色のライオン』、あがた森魚『噫無常』、そして1974年に岡林さんでもう1枚『誰ぞこの子に愛の手を』。しかし、プロデューサーとして生活ができなかった、だから、作詞家に専念することを決めたんだと言われてました。こういうことが1年足らずの間に起こっているというのが、1973年当時の世の中の出来事としても象徴的でした。

●M6 乱れ髪 / 柳田ヒロ

「エイプリルフール」のキーボーディスト柳田ヒロさんの1972年9月のアルバム『HIRO』から。大滝詠一さんの1stソロアルバム『大滝詠一』の「乱れ髪」は、大滝さんが曲をつけて歌っていて、違った曲に聴こえるのですが、実は詞は同じ。松本さんが大滝さんにも頼まれて、柳田ヒロさんにも頼まれて、間違って2人に同じ詞を渡してしまった。

●M7 想い出の散歩道 / アグネス・チャン

1974年3月発売『アグネスの小さな日記』の中から。このアルバムの中で、もう1曲松本さんが詞を書いていたのが「ポケットいっぱいの秘密」で、これがシングルになりヒットして、作詞家・松本隆が歌謡界、芸能界側にも知られていく。アグネス・チャンを書いたことで、「松本は歌謡曲に寝返った。芸能界に身を売った。あっち側に行ってしまった」というふうに言われていた。

●M8 雨だれ / 太田裕美

1974年11月発売、太田裕美さんのデビュー曲「雨だれ」。作曲は筒美京平さんで、松本隆、筒美京平コンビの実質的なデビュー曲。松本隆さんの起用を推薦したのが、「夏色のおもいで」で、この新しい作詞家はいいなと思った筒美京平さんでした。
デビューアルバム『まごころ』は作詞だけではなく、構成・松本隆、アルバム全体の構成をしているトータルアルバム。アルバム作家としても始まりが太田裕美さんだった。3枚目のアルバム『心が風邪をひいた日』に入っていた「木綿のハンカチーフ」が、大ヒットして作詞家・松本隆が世の中にも認められていく。

●M9 8分音符の詩 / 鈴木 茂

1976年12月発売、『LAGOON』の中の最後の曲。この頃の曲には当時の松本さんの心境が伺えるものがいくつもあり、「8分音符の詩」もそんな1曲。この曲は、竹内まりやさんが歌っていて、それが彼女のデビューに繋がっている。


 ※第1週の放送をお聴き逃しの方はコチラ⇒ 【”読む” J-POP LEGEND FORUM】Rolling Stone Japan

 

■10/11放送: 第2週は70年代後半から、80年代にかけて松本隆がアイドル、歌謡曲の音楽を変革してきた軌跡を辿る。

●M1 小さな歴史 / 森山良子

1976年7月発売、『日付のないカレンダー』から。森山良子さんの50年以上のキャリアの中で、たった1枚だけ全曲の詞を1人の作詞家に依頼したというのが、この『日付のないカレンダー』。松本さんが全曲の詞を書いていて、プロデュースも手掛けた。

●M2 ふるさとをあげる / 岡田奈々

1975年12月発売、ポニーキャニオンのアイドル岡田奈々さん2枚目のアルバム『憧憬(あこがれ)』から。松本隆さんは彼女の3枚のアルバムの全曲の詞を書いている。

●M3 てぃーんず ぶるーす / 原田真二

1977年10月発売。アルバムは1978年2月に出た『Feel Happy』に収録。原曲は、原田真二さんの詞がついていたが硬派な詞で、ポップスのシングルには向かないということで松本さんが書き直した。

●M4 セクシャルバイオレットNo.1 / 桑名正博

1979年7月発売、カネボウ化粧品のタイアップ曲。「セクシャルバイオレットNo.1」というのはメーカー、カネボウ化粧品の方からこの言葉を入れてくれという依頼だった。

●M5 五線紙 / 竹内まりや

1980年3月発売、アルバム『LOVE SONGS』から。「8分音符の詩」を歌ってくれたことに対してのお礼の気持ちでアンサーソングとして書いた

●M6 湘南ひき潮 / 加山雄三

1978年6月発売、『加山雄三通り』から。加山さんにとって1人の作詞家に全曲をお願いをしたたった1枚のアルバム。インストの1曲以外は全部松本さんが詞を書いている。

●M7 ルビーの指環 / 寺尾聰

1981年2月発売、シングルチャート10週間1位、ザ・ベストテンは12週間1位だった。松本さんが30代になって書いた、男のダンディズムがポップスになった意味で歴史的な曲。

●M8 ヨコハマ・チーク / 近藤真彦

1981年3月発売。「ルビーの指環」があって1位になれなかった曲。1980年の12月~1981年の12月まで52週間のうちの28週間、1位が松本隆さんの曲。「ルビーの指環」が10週で、「スニーカーぶる~す」が7週でとか、そういうような曲があって、イモ欽トリオとか、松田聖子さんの曲があって、28週間。1年間のうち半分以上1位だったという年。

●M9 赤いスイートピー / 松田聖子

1982年1月発売、作曲はユーミン・呉田軽穂。松本さんがその後、松田聖子さんという題材、舞台、戦場で何をやろうとしたのかということのいろいろな意味がこの曲に込められている。

※第2週の放送は「タイムフリー」でお楽しみください。(放送後1週間お聴きいただけます)

※第2回放送分全内容はコチラ⇒
【”読む” J-POP LEGEND FORUM】Rolling Stone Japan

 

 

J-POP LEGEND FORUM
放送局:FM COCOLO
放送日時:2021年10月11日 月曜日 21時00分~22時00分
出演者:番組案内人:田家秀樹

※該当回の聴取期間は終了しました。