「サッカーの神様が見ている」槙野智章、忘れられない試合は? ラジオへのレギュラー出演がスタート

市川紗椰がナビゲートするJ-WAVEの番組『ORIENT STAR TIME AND TIDE』が、この4月にパワーアップ。元サッカー日本代表の槙野智章をナビゲーターに迎え、ふたりで番組をお届けしていく。

同番組は、ゲストの「現在」「過去」「未来」を掘り下げていく。槙野の初登場となった4月6日(土)の放送では、槙野の「現在」「過去」「未来」に迫った。

この番組は、ポッドキャストでも配信中だ。

・ポッドキャストページ

現役を引退して変わったこと

槙野は1987年生まれ、広島県出身。元サッカー日本代表、解説者。2000年にサンフレッチェ広島Jr.ユースに入団し、11年間広島でプレー。その後ドイツ・ブンデスリーガのFCケルン、浦和レッズ、ヴィッセル神戸で活躍し、2022年のシーズンをもって現役引退を発表。現在サッカー解説者はもちろん、バラエティなどさまざまな番組に出演。それと並行して品川CCで監督としても活動している。

そんな槙野に、まずは「現在」について話を聞いた。

市川:ちょうど現役を引退されて2年目。一番変わったものはなんですか?

槙野:緑の芝生の上に行く機会が減りました。7歳からサッカーを始めたんですけど、当たり前のようにそこにグラウンドがあってサッカーボールがあったのが、今は目の前にカメラがあることが多くなりましたね。

市川:素人質問ですみません。現役のときは絶対に毎日ボールに触っていたんですか?

槙野:絶対毎日です。どんなことがあろうが練習場に行ってサッカーをして、トレーニングして治療を受けて帰る。プロ生活17年間、毎日そうでした。

市川:今はボールに触らない日もあるわけですよね。

槙野:全然ありますよ。

市川:それは変な感じですか?

槙野:変な感じがしますね。ただ監督業をやっているので、一応サッカーをする環境は整っています。ただ、自分がプレーすることはなくなりました。

市川:「やりたい」となりますか?

槙野:いや……やめたきっかけ、引き際として「ちゃんとやり切った」と思いがあるので、そこに対しての悔いや「やりたい」というのはまったくないです。解説者の方がよく言うのが「現場に行くとモヤモヤする」とか、気持ち悪くなる、やりたくてもんもんとするんですって。でも僕はそんなことはなくて、楽しく現場に行っています。

市川:解説のスタイルは解説者によってけっこう違いますよね。目の前のことをしっかり実況する方や、選手のバックストーリーを教えてくださる方がいると思いますが、槙野さんは?

槙野:僕はどちらかと言うと「未来型」です。今起きている現状から「じゃあ、こういうサッカーをする」「こういう展開だったらこうなりますよ」という未来型の解説をします。

市川:そんな預言者みたいな解説者いるんですか?

槙野:サッカーのやり方や時間帯を観ていると、この後の流れがどうなるか予測してしまうんです。

市川:すごい。

槙野:たとえば選手が今こういう風なことをしていますよね、こうなると点を取るのが難しいですよとか、逆にこういうことをしていると点を取られますよ、とか。あとはお茶の間で一緒にリビングでお酒を飲んでごはんを食べている感覚と同じように、横にいるようなワイワイする解説も。いろいろなタイプやコンテンツに応じて分けています。

続いて槙野が監督を務めている社会人サッカーチームの品川CCについて語った。

市川:指導はどういう風にやっているんですか?

槙野:現役でプレーしていたときに、次の目標や夢として、必ず監督になりたいと僕は思っていたんです。監督になるためにいろいろな作業をしなくてはいけなくて、まずは自分で指導する現場を持ちたいと思っていて。プロとはちょっと下のカテゴリーの社会人リーグを指導することをやっています。

ストイックな練習で、顔が腫れてしまったことも

続いて時をさかのぼり、槙野の「過去」について話を聞くことに。槙野は子どものときに「プロサッカー選手になりたい」という夢を抱き、プロサッカー選手になったあとは「ワールドカップに出たい」という目標のために過酷なトレーニングを続けてきたという。

槙野:僕は最初の落選からワールドカップに行くまで8年かかったんです。その8年間ほとんど朝から夜までほぼずっとトレーニングしていたんです。だって夢なので。

市川:そうですよね。

槙野:その夢がかなったワールドカップを掴んだときに、顔がパンパンに腫れて。頑張りすぎて自分の体の異変に気付かないぐらい、本当にストイックに休まない、とにかくトレーニングをする。ちょっとでも休んだら「周りの人はもっとトレーニングしている」と思うんですよ。だからずっとトレーニングしていて回復できていないんです。体をいじめるんです。そうなったときに、朝起きたとき顔がパンパンに腫れ上がっていて。

市川:それはなにか原因があったんですよね?

槙野:あったと思います。まあオーバートレーニングですよ。僕も初めてです。ふと鏡を見たときに、僕は気づかなかったんです。それでワールドカップの自分が試合に出る前にチーム全員と顔合わせをしたときに「おまえ、顔大丈夫?」と言われて、「なんで?」と訊いたら「腫れているよ」と言われました。「腫れているかな?」と思ったんですが、5分、10分経ったらどんどんパンパンになって。次の昼ごはんのときには顔中がとんでもないことになって、これはやばいなと思いました。

市川:一番ストイックだったときなんですね。

「サッカーの神様が見ている」印象的だった試合

さらに槙野は、記憶に残っている忘れられない試合について語った。

槙野:「サッカーの神様が見ているな」と思った試合は、長く在籍した浦和レッドダイヤモンズの選手としての最後の試合です。ゴールを決めて優勝して、僕退団しているんです。

市川:かっこいい。

槙野:自分で言うのもなんですけど、もっているんです(笑)。浦和で退団を発表して最後の試合となって決勝戦に進みました。同点で迎えた試合終了2分前に僕がゴールを決めて優勝して「じゃあ」と退団するという。

市川:もう漫画じゃないですか。

槙野:脚本家も描けないようなストーリーがそこに待っていました。それは忘れられないですね。

プロリーグ監督までの道のり

続いて「未来」について語った槙野。現在プロサッカーリーグの監督になるための資格を取得するため努力をしている。しかし目標を達成するまでには険しい道のりがあるという。

槙野:野球と違ってサッカーは監督になるためにライセンスが必要なんです。今、日本サッカーが定めている資格は、順番でいくと、D、C、B、Aと段階を踏まないといけない。僕は今Aまで持っていて、Aの次がSです。Sを取らないとプロサッカーリーグの監督はできません。さらに、このSを取るのにはかなり時間がかかります。

市川:そんなに難易度が高いんだ。

槙野:時間もお金もめちゃくちゃかかります。でも僕はこのカリキュラムを3年で終わらせようとしています。

市川:もうAまできているわけですよね。

槙野:このSを取るのに1年間かかるんです。1年間このプログラムをやれば合格なんですが、このS級を取りにいけるのも日本で1年間に20人しかいなくて。狭き門なので、ここに受かるためのテストや面談、口頭試験、パソコンといった試験に合格してやっと受けにいけるという感じです。めちゃめちゃ難しいです。

市川:主にどういうことを試されるんですか?

槙野:まずはサッカーの知識のテストです。たとえば5分間映像を見せられて「今これがどういう状況なのか」という説明をします。

市川:それはできますよね。

槙野:得意です。どういう状況かを説明しながら、自分だったらどういう練習メニューを組んで改善していくか、そういうプレゼンもします。今度はそのプレゼンの映像を自分でパソコンで編集します。

市川:そういうことまで、できなくてはいけないと。

槙野:5分間与えるので、みんなの前で発表、プレゼンしてくださいと。ミーティングの練習ですね。そういうのもやります。栄養学、医学も全部やります。いろいろな分野をテストして勉強して、最後は海外研修に2週間行ったりします。国内のチームに1週間帯同して、実際の現場のプロレベルの空気感を知るとか、そういうのも全部テストします。

市川:それができてプロのチームの監督になると。でも、近い夢なんですよね。

槙野:近いと思います。僕は今年37歳なんですが、日本サッカーで30代の監督がいないんです。大体40代50代の方たちが今、指揮をとっているんですが、ヨーロッパの監督さんは20代や30代が当たり前にいるんですよ。若くして経験をした方が早く現場に戻ることが大事なんです。だから僕はそこをやりたくて、必死でもがいて現場に戻ろうとしています。

ほかにも「自分の番組がやりたい」とテレビ番組のMCへの意欲も見せた槙野は、今後番組で会ってみたいゲストについて語った。

槙野:僕がアスリートでスポーツ界のことはある程度わかっているので、自分がこれまで触れあったことがないジャンルの方たちにやっぱり興味があります。

市川:たとえば?

槙野:アイドルや声優の方たちとか。「どんなお仕事をしているのか」という。交通系の方たちも興味があります。

市川:本当ですか? 完全に裏方系の方々も来ますので、楽しそうですね。

槙野:IT系の方たちも面白いなと思います。

市川:今後いろいろな方をお迎えしていきましょう。

ゲストの過去・現在・未来に市川紗椰と槙野智章が迫る──J-WAVE『ORIENT STAR TIME AND TIDE』の放送は毎週土曜日の21時から。オンエア終了後からはradikoでも1週間、再生可能だ。

4月20日28時ごろまでは、編集者、ジャーナリストの鈴木正文さんのゲスト回が楽しめる。業界紙の英字記者を経て、1984年に自動車雑誌「NAVI」創刊に参加してキャリアをスタート。その後は「ENGINE」や「GQJAPAN」などで編集長をつとめ、フリーに転身。マルチプラットフォーム「ツァイトガイスト」を主宰するなど、ファッションのことはもちろん、ジャーナリストとして時代の移り変わりと共に、さまざまなカルチャーを目の当たりにされてきた鈴木さんの現在・過去・未来とは。
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補欠選挙の結果を分析。「保守王国」と呼ばれる島根に変化が?

4月29日「長野智子アップデート」(文化放送)、午後4時台「ニュースアップデート」のコーナーでは政治ジャーナリストの角谷浩一さんに、4月28日に行われた補欠選挙の結果を解説してもらった。この記事では島根1区に関する部分をピックアップする。

長野智子「選挙区ごとに分析などいただければと思います。まずは唯一の与野党対決となった島根1区です」

角谷浩一「亀井(亜紀子)さんは一度現職もやられていたので返り咲きということになりますが、島根が『保守王国』といわれますよね。1区はずっと細田(博之)前衆議院議長が地盤を守っていて」

長野「小選挙区制度の導入以降、ずーっと。勝ち続けた」

角谷「2区は、もう亡くなりましたけど竹下亘さんがずっと議席を持っていた。つまり保守王国というより、細田さんと竹下さんがずっとやっていたと。ある意味で当たり前だった。それがお二人ともご存命でなくなって、時代が変わってきて、新しい人が。それも自民党の人が引き継ぐものだと思っていたら、こんなことに、と。細田さんがお亡くなりになったための選挙ということで、自民党も候補者を立てました」

長野「はい」

角谷「ただ細田さんは(旧)統一教会との関係が取り沙汰されたり、じつはセクハラ問題というのがあったり。それに安倍派を細田さんはずっと守っていた、ということも。いま問題になっていることを全部抱えていた、みたいな問題があった。お亡くなりになったので自民党は候補者を立てたけど、そんなに簡単ではなかった、ということ」

長野「きちんと説明されないまま、亡くなられてしまったわけですね」

角谷「今回負けたけど、次はもう有権者は自民党に帰ってくる、という声も地元にはあるんだと思います。今回も県会議員がほとんど動かなかった、という話もありました。一方で世論調査、事前のいろんな調査ではかなり引き離されていて、亀井さんが強かった。でも(岸田文雄)総理は2度入ったんですね。最後の土曜にも入られると。総理が最後に入るのは、逆転できそうなとき、というのが不文律でした。数字の差が既にあるのに、総理は入った」

長野「はい」

角谷「これは岸田さんの独特なやり方というかな。突然、政倫審に出ると言う、派閥を解散すると言う……。岸田さんは誰かと相談して揉んで決めるというよりは、直感的に決められるんですね。島根1区は自民党が唯一出していたところだから、小渕(優子)選対委員長はずっと張り付いていました。国会開会中でしたけど、ずっと」

長野「はい」

角谷「岸田さんは2度も入った。茂木(敏充)幹事長は入らなかったんですね」

長野「それはなぜですか?」

鈴木純子(文化放送アナウンサー)「岸田さんとの仲が微妙だという話も……」

角谷「ただ選挙に勝てば微妙どころか、戦うところで『茂木さん、よくやった』となりますよ。一生懸命、入らなかったというのは、幹事長自らが諦めていたんじゃないだろうか、とか。もっと言うと第一声。泉健太立憲民主党代表は、初日に島根で第一声、声を上げているんですね。ところが茂木さんは行かなかったと」

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