日向坂46金村美玖「恒例行事にしたいですね」河田陽菜、森本茉莉、山口陽世との“4人旅”を回顧

日向坂46の埼玉県出身メンバーがお送りしているTOKYO FMのラジオ番組「ベルク presents 日向坂46の余計な事までやりましょう」(毎週金曜 20:00~20:30)。ラジオならではのトークはもちろん、「やらなくてもよい!?」余計なことまでやってみる! がコンセプト。今後のアーティスト活動、タレント活動、すべてがつながる……未来を見据えたラジオ番組です。4月19日(金)の放送は、パーソナリティの金村美玖が、メンバーといった“スキー旅”の思い出を振り返りました。


パーソナリティの金村美玖



金村:(先月のブログに)スキーに行ったときの写真を載せたんですけど、(行くと決まったのが)本当に急で。前日に、後輩の山口陽世から「この日って空いてますか?」って聞かれて、「空いてるよ」って言ったら「スキーに行きませんか?」って。私、後輩から誘われたのが初めてぐらいだったから、それがめっちゃうれしくて! すでに河田陽菜(以下:ひなちゃん)と森本茉莉と山口陽世の3人が(スキーに)行く計画を立てていたみたいで、そこに私もスケジュールが合ったので4人で行くことになりました。

そこで、ケガをしたら危ないので、スクールで1~2時間ぐらい(先生のレッスンを)受けてから滑ろうということになって、小学生のとき以来のスキーだったんですけど、足を(ビンディングに)ガチャってハメる方法も忘れていたぐらい“全部が初めて”のレベルに戻っていて。最初は怖さもあってこけたりもしたんですけど、(先生の指導を受けてからは)“緩やかなコースだったら滑れるかな”みたいな感じにまでなりました。

森本茉莉と山口陽世の後輩2人は、最初から結構スルスルと滑っていましたね。ひなちゃんは人生初のスキーで、私たち4人に対して先生が1人ついていただいていたんですけど、(途中から)先生がずっとひなちゃんにつきっきりで手取り足取り教えていて、私たちはもう滑れるから先に(コースに)行って、ひなちゃんの様子を伺いながら滑っていました(笑)。

それから、ひなちゃんとも(一緒に)何本か滑って、だんだん滑れるようになっていましたね。どれだけ本数を滑るかによって上達度合いも全然違うと思うので、多分、来年の冬にも滑りに行ったら(ひなちゃんは)すごく上達すると思う。

(4人旅は)すごく楽しかったですね!(現地まで)新幹線でスッと行けたし、ご飯もおいしかったし、手軽に楽しめたのでまた行きたいです! 恒例行事にしたいですね。


パーソナリティの金村美玖



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4月19日放送分より(radiko.jpのタイムフリー)
聴取期限 2024年4月27日(土) AM 4:59 まで
※放送エリア外の方は、プレミアム会員の登録でご利用いただけます。

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<番組概要>
番組名:ベルク presents 日向坂46の余計な事までやりましょう
パーソナリティ:日向坂46(金村美玖、丹生明里)
放送日時:毎週金曜 20:00~20:30
番組Webサイト:https://www.tfm.co.jp/yokei/
ベルク presents 日向坂46の余計な事までやりましょう
放送局:TOKYO FM
放送日時:2024年4月19日 金曜日 20時00分~20時30分

※該当回の聴取期間は終了しました。

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「あんな歌5回も聞いたら悪夢になる」280万枚の大ヒット曲『帰って来たヨッパライ』秘話

4月26日の『大竹まことゴールデンラジオ』は大竹まことがお休み。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとして一世を風靡し、現在は精神科医の、きたやまおさむさんをお招きし、著書『「むなしさ」の味わい方』について、青木理さん、金子勝さん、室井佑月さんの3人でお話を伺った。

青木「僕、きたやまさんのお名前はもちろん知ってるんですけど、金子さんは深夜放送のラジオで聞いたとか」

金子「『帰って来たヨッパライ』が、高校生の頃に深夜放送で流れてきて、もうびっくり仰天。こんなものがあんのかという感じで(笑)。これはフォークソングか?とか思いながら、すごい驚いた。そしたら『イムジン河』って歌が発禁になったんですよ。昔は、発禁なんてかっこいいんですよ。なんかこうビートルズとかあの世代が権力に抵抗してるみたいな。その後、サトウハチローさんが作詞した『悲しくてやりきれない』っていう歌がバーンと出て。『あの素晴らしい愛をもう一度』って知ってる人いる?」

室井「知ってる! (歌い出す)」

金子「あれが、きたやまおさむさんの作詞。(作曲した)加藤和彦、きたやまおさむっていうのは、日本のポールマッカートニー、ジョンレノンみたいな感じだった」

きたやま「(笑)いやいや、ちょっと買い被りすぎ」

室井「ええっ、金子先生より年上でいらっしゃるの?」

きたやま「年上ですね」

室井「うそー!」

青木「きたやまさんの経歴を拝見すると、医学部の大学在学中にザ・フォーク・クルセダーズに参加したので、もともとは医学の道を目指そうとしていたんですか?」

きたやま「まあ、もともとはね」

室井「医大生なんて忙しくないですか?」

きたやま「でも、名前を出すのは不遜なのかもしれないけれども、手塚治虫さんとか、西野バレエ団の西野皓三先生とか、北杜夫先生とか、みんな精神科医であったり、医者だったりしてるんですよね。だから、大学の管理がそんなに…あえて言うなら緩かった。学生運動で締め付けがひどくなるんだけど、僕たちはその前だったんよね」

室井「精神科の先生はものづくりに向いてますよね。病んでる人が多いですもんね」

きたやま「それは確かに。この「むなしさ」の本を書いたのは、やっぱり音楽活動からなんですね。例えば『帰って来たヨッパライ』は280万枚売れたというんです。でもそれってなんか、むなしいことだったんです」

室井「えーなんで?」

きたやま「やっぱり早回転で、口パクで合わせなきゃいけない。あんな歌、これやれって言われて5回も聞いたら、もう悪夢になってくるっていうかね。僕らはアマチュアだったから、あっちこっちで好きな歌を歌える状態だったのに、今度はこれ一曲をテレビ番組に出て歌わなきゃいけなくなった時に、もうみんながしらけていったのを覚えてるんですね。だから相当悩みましたよ。こんな口パクで、みんな喜んでくれるんだけれども、マスコミに関わってることそのものも「むなしく」なったんですよね。だから引退したんです。僕ら1年でやめてしまったんですよ。えらい長くご記憶に残っていますけど、でも「すごかった」って言われると、どんどん「むなしく」なってる。(笑)」

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