鈴木武蔵の代表選出にコンサ野々村も喜び!次の鹿島戦は五分五分以上…「選手は自信をもってプレーを」

武蔵の初代表に野々村さんも期待

HBCラジオ「気分上昇ワイド ナルミッツ!!!」(月-金 午前9時~正午)のレギュラーコーナー『野々村芳和のコンサドーレ情報』に生出演。前節の振り返りと次戦への展望を語るとともに、日本代表に選ばれた鈴木武蔵選手にエールを贈りました。

14日、日本サッカー協会は、22日から行われるキリンチャレンジカップ2019に出場する日本代表選手を発表。北海道コンサドーレ札幌の鈴木武蔵選手が初選出されました。コンサドーレから日本代表選手が選ばれるのは、吉原宏太選手以来、20年ぶりのことです。また、コンサドーレで育成選手として活躍した、現ヴィッセル神戸の西大伍選手も代表に返り咲きました。

野々村さんは、チームに関係する選手2人が代表に選ばれたことを喜びつつ、ここ数年のコンサドーレの取り組みに自信を深めていました。さらに、鈴木選手については「自分の得意な局面に持っていくために、チームの中でどうすれば良いかが(徐々に)分かってきている。それを代表でも発揮できれば」と期待を寄せました。

9日に行われた清水エスパルスとのホーム開幕戦では、アンデルソン・ロペス選手が1試合4得点と大活躍。コンサドーレは5-2で勝利しました。大量得点もさることながら、野々村さんは「上手くいかないゲームの中でも、自分たちが優位に運べるように90分通して考えられるようになったのは進歩」とチームの成長を称えました。

後半4分には、得点を決めたロペス選手が、ゴール裏のサポーターのもとへ駆け寄ろうとして、高さ約2メートルのホバリングステージから落下するハプニングがありました。これについて野々村さんは「札幌ドームで練習をしているので、本人は会場の構造を分かっていたはず。こういう選手がいるから何とかしないと」と苦笑いしていました。

あさって17日は、札幌ドームで鹿島アントラーズと対戦します。コンサドーレは2001年5月12日のリーグ戦以来、約18年間、アントラーズに勝利していません。野々村さんは「五分五分以上の試合は出来るはず。ちょっと運があれば、勝ち点3(勝利)を獲れるのでは?簡単ではない相手だが、自信をもってプレーしてほしい」と選手を鼓舞しました。

17日の鹿島アントラーズ戦は、午後2時キックオフ。札幌ドームでは、当日午前10時30分から当日券を発売する予定です。

 

気分上昇ワイド ナルミッツ!!!
放送局:HBCラジオ
放送日時:毎週月曜~金曜 9時00分~12時00分
出演者:水野よしまさ、森結有花、田村美香
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※該当回の聴取期間は終了しました。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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