野球少年のプレーを魔法で…?『若奥様はゆるめの魔女』第6話

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HBCラジオがラジオとYouTubeでお届けしているドラマ『若奥様はゆるめの魔女』。第6話の再放送を終え、HBCラジオ公式YouTubeチャンネルに映像ドラマを公開しました。今回は野球がテーマ。スポーツの秋にぴったりな、野球少年が主役の物語を振り返りましょう!

第6話の出演者とストーリーは?

第6話出演者
汐入 愛(25)…室谷香菜子アナウンサー
新婚ホヤホヤで可愛い若奥様。とても優秀で威力のある魔法を使えるが、夫・誠と魔法は使わないと約束している。旧姓・上大岡。

汐入 誠(40)…渕上紘行アナウンサー
広告代理店に勤務する優秀なプランナー。魔法嫌い。

南海翔太…世永聖奈アナウンサー
ナレーション…田村美香

第6話に出演したのは『After Beat~アフタービート』水曜アシスタント、『Sunday Music+』パーソナリティの世永聖奈アナウンサーです。普段よりも低い声のトーンで、プロ野球選手を夢見て入団テストに挑戦する少年「南海翔太」を演じきりました。

ちょっとクールな翔太くん。愛は彼のことが気になって仕方ありません。誠の忠告そっちのけで練習を見学しに行き、思わず…というストーリーでした。翔太のプレーが愛の魔法で自由自在⁉そしてラストはこれまでの放送回には無かった展開だったのではないでしょうか。翔太君、なかなか鋭いですね。ぜひ、タイムフリーやYouTubeでお楽しみください。

第6話をタイムフリーで聴く
 

第7話情報~♪

第7話では、愛さんがはじめての健康診断に挑みます。身長、体重、聴診…魔法を使わないわけはないですよね。ゲストはラジオニュースや『アフタービート』のニュースコーナーでもお馴染み牧野秀章アナウンサー!出演者・スタッフ一同「似合いすぎです!」と大絶賛な役を演じます。また第2話以来再び森結有花アナウンサーも登場です。前回は57回目の転職先で奮闘する不動産屋の担当者を演じました。役柄の変化にご注目ください!
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【若奥様はゆるめの魔女】 
北海道の東みゆき町に新婚2か月の夫婦が暮らしていました。若奥様の名前は愛。旦那様の名前は誠。普通の結婚式をして、普通の新婚旅行をし、普通の暮らしを始めたふたりには、たったひとつだけ秘密がありました。若奥様は、少しだけ魔法が使えるんです―

毎週土曜 HBCラジオ『美香と香菜子のおさんぽ土曜日』12:15ごろ
 (再放送)HBCラジオ『気分上昇ワイド ナルミッツ!!!』金曜9:35ごろ
★金曜11時にHBCラジオ公式YouTubeチャンネルで映像ドラマを公開!
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美香と香菜子のおさんぽ土曜日
放送局:HBCラジオ
放送日時:毎週土曜 9時00分~13時00分
出演者:室谷香菜子、田村美香、建山義紀
番組ホームページ

※該当回の聴取期間は終了しました。

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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