2012年に他界した流通ジャーナリスト・金子哲雄氏の妻が訴え「“終活”は死ぬ準備ではない」

2012年に41歳の若さで他界した流通ジャーナリスト・金子哲雄氏の妻で、終活ジャーナリストの金子稚子が、1月27日(月)放送のニッポン放送「垣花正あなたとハッピー!」内のコーナー「ゲストとハッピー!」に生出演し、終活の考え方について語った。

金子の夫・哲雄氏は、死期を悟った約2カ月前から葬儀会社と相談。パンフレットを見て、納骨場所でもある斎場や、霊きゅう車、棺、参列者に振る舞う仕出し料理まで自ら選択するなど、“完璧な終活”をしてこの世を去ったことは当時、話題になった。妻の金子稚子は現在、“終活ジャーナリスト”として活躍しているが、哲雄氏の生きざまを支える中で、死がタブー視されることで起こる様々な課題に気づいたそうだ。

金子によると、「『終活』を『死ぬ準備』という考える人が多い」と語り、そのため「死」を受け入れられず、ついつい「終活」が先延ばしになってしまいがちになると指摘。「終活」は「死ぬ準備」ではなく、「生きることについて改めて考えること」だと熱弁した。

また、金子は「終活」をするには2つの事を決めることが大切と断言。

1つめは「自分の生き方」を決めること。金子は「突然死ぬというよりも、徐々に衰えて死ぬという方が多い」と前置きした上で、「家族と過ごす事を優先させるのか、それとも仕事を続けることを選ぶのか。」と語り、自分の「死」を前にした時に、残りの余生をどう生きるか考え、周囲にもその考えを伝えることが大切だという。

2つめは「お金・物の行方」を決めること。まず金子は「お金の行方」について、「貯金・資産などの相続を決めておくこと。」と語り、「物の行方」については、「例えばコレクターの方で、山のようなコレクションがあった場合。遺族は故人の大切なものと分かっているから、簡単には捨てられない」と、故人の遺品を全て残さざるを得なくなってしまうと指摘。さらに、「『物』はその人の『生き方』が表れているので、どうしたいかを伝えていくこと」と語り、事前に家族で話し合って、エンディングノートなどにまとめておくなど、準備しておくことが大切だと語った。

最後に金子は、夫・哲雄氏について「夫は命の限りが見えて、何を大事にしたいかという時に『仕事がしたい』という事だった。死ぬ寸前まで仕事をしたいという事を決めたんですね」と語り、その言葉通り、哲雄氏は亡くなる直前まで雑誌のインタビューを受けて他界したという。

自分の生き方を決めて、それを周囲に共有させる事で、自分にとっても家族にとっても“完璧な終活”をすることができる。まだ終活について考えていないという方は、一度家族で話し合ってみてはいかがだろうか。

補欠選挙の結果を分析。「保守王国」と呼ばれる島根に変化が?

4月29日「長野智子アップデート」(文化放送)、午後4時台「ニュースアップデート」のコーナーでは政治ジャーナリストの角谷浩一さんに、4月28日に行われた補欠選挙の結果を解説してもらった。この記事では島根1区に関する部分をピックアップする。

長野智子「選挙区ごとに分析などいただければと思います。まずは唯一の与野党対決となった島根1区です」

角谷浩一「亀井(亜紀子)さんは一度現職もやられていたので返り咲きということになりますが、島根が『保守王国』といわれますよね。1区はずっと細田(博之)前衆議院議長が地盤を守っていて」

長野「小選挙区制度の導入以降、ずーっと。勝ち続けた」

角谷「2区は、もう亡くなりましたけど竹下亘さんがずっと議席を持っていた。つまり保守王国というより、細田さんと竹下さんがずっとやっていたと。ある意味で当たり前だった。それがお二人ともご存命でなくなって、時代が変わってきて、新しい人が。それも自民党の人が引き継ぐものだと思っていたら、こんなことに、と。細田さんがお亡くなりになったための選挙ということで、自民党も候補者を立てました」

長野「はい」

角谷「ただ細田さんは(旧)統一教会との関係が取り沙汰されたり、じつはセクハラ問題というのがあったり。それに安倍派を細田さんはずっと守っていた、ということも。いま問題になっていることを全部抱えていた、みたいな問題があった。お亡くなりになったので自民党は候補者を立てたけど、そんなに簡単ではなかった、ということ」

長野「きちんと説明されないまま、亡くなられてしまったわけですね」

角谷「今回負けたけど、次はもう有権者は自民党に帰ってくる、という声も地元にはあるんだと思います。今回も県会議員がほとんど動かなかった、という話もありました。一方で世論調査、事前のいろんな調査ではかなり引き離されていて、亀井さんが強かった。でも(岸田文雄)総理は2度入ったんですね。最後の土曜にも入られると。総理が最後に入るのは、逆転できそうなとき、というのが不文律でした。数字の差が既にあるのに、総理は入った」

長野「はい」

角谷「これは岸田さんの独特なやり方というかな。突然、政倫審に出ると言う、派閥を解散すると言う……。岸田さんは誰かと相談して揉んで決めるというよりは、直感的に決められるんですね。島根1区は自民党が唯一出していたところだから、小渕(優子)選対委員長はずっと張り付いていました。国会開会中でしたけど、ずっと」

長野「はい」

角谷「岸田さんは2度も入った。茂木(敏充)幹事長は入らなかったんですね」

長野「それはなぜですか?」

鈴木純子(文化放送アナウンサー)「岸田さんとの仲が微妙だという話も……」

角谷「ただ選挙に勝てば微妙どころか、戦うところで『茂木さん、よくやった』となりますよ。一生懸命、入らなかったというのは、幹事長自らが諦めていたんじゃないだろうか、とか。もっと言うと第一声。泉健太立憲民主党代表は、初日に島根で第一声、声を上げているんですね。ところが茂木さんは行かなかったと」

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