新型インフルエンザ特措法は改正すべきである

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(7月27日放送)に中央大学法科大学院教授の野村修也が出演。新型インフルエンザ等対策特別措置法改正の必要性について解説した。

新型コロナ対策キャンペーンで、東京・歌舞伎町の店舗訪問 吉住健一・新宿区長ら=2020年7月20日午後、東京都新宿区 ©産経新聞社

感染拡大の夜の街に保健所も調査

政府は7月26日、新型コロナウイルスの感染が拡大している東京都などの接待を伴う「夜の街」関連の飲食店を対象に、食品衛生法に基づく保健所職員による調査を行う方針を固めた。現行法を総動員してクラスターを潰す構えである。

飯田)25日、西村経済再生担当大臣は、建築物衛生法に基づいて立ち入り検査をするのだということを言っています。いろいろな法律が出て来ましたね。

野村)感染予防がきちんと行われているかということが、いちばん大事なポイントです。ただ、「やっている」と言っていても、本当にやっているのか確認する術がないので、こういうさまざまな法律を使ってなかに入ろうとしているのです。

新宿・歌舞伎町の歓楽街へ向かう人達=2020年6月4日夜、新宿区 ©産経新聞社

つまみ食い的な立ち入り検査ではなく、きちんとした法整備が必要

飯田)法律によって、それぞれ着目点が違ったりするのでしょうか?

野村)そうなのです。それぞれの法律にはそれぞれの目的があるので、店のなかに入ることはできますが、厳格に法律を適応しようと思ったら、その法律で見ることができるところは限られているのです。建築物衛生法を使おうと思えば、本来は換気について見に行くことになるのです。それ以外は見ることができないはずなのだけれども、「アクリル板はあるか」など、そういうものが「たまたま見えてしまいました」という建て付けです。これは、行政法規のあり方としてどうなのかというところはあります。勝手に人のところに入って行くわけだから、法律に基づいているかどうかということを考えると、こうしたつまみ食い的な立ち入り検査ではなく、きちんとした法整備が必要なのだと思います。

飯田)確かに、法律の解釈を拡大して権限を拡大するということは、一歩間違うと自由が脅かされることになりかねない。警察国家になるかも知れません。

新型コロナウイルス感染による死者数が国内で千人に達したことを伝える東京・渋谷の大型ビジョン=2020年7月20日午後 ©共同通信社

特措法の改正をしなければならない~権利は守りながらも、公衆衛生も守るということをどう実現して行くか

野村)まさにその通りです。そこは心配しなくてはならないところですが、逆にいまの新型インフルエンザ等対策特別措置法は、どちらかというと人権への配慮の方が大き過ぎて、何もできない法律になっているのです。

飯田)ほとんど罰則規定もない。本当に一部だけですよね。

野村)つくったときには想定外だったということもあると思いますが、これだけの経験を積んだ上で、「何ができるか、何が必要なのか」ということを再考するべきです。日本の議論は世界と比べると、抑制的過ぎるという面が出ています。頭でっかちで現実性がない。「何となく権利を守りましょう」という方向に傾いていますが、大事な権利は守りながらも、みんなの公衆衛生も守るということを、どうやって実現して行くのか。やはり特措法自体の改正をしなければならないということだと思います。

飯田)有事の際などは権限を強めるなり、罰則をつけるということが、ある程度は必要になる。

野村)戦争に対して安全保障というものがあるではないですか。安全保障は、戦争が起こるかも知れないということを念頭に置いて備えることが大事なのだけれども、「戦争を起こさない」ということが「戦争は起こらない」の話になってしまって、何も整えないという方向に向かってしまうのです。

飯田)また、整えようとすると、「戦争をしたいのか」となってしまう。

野村)そうです。そうなると結局、ものすごく弱い国になるのです。今回の感染症対策も同じで、「それをやれば結局は人権侵害になるだろう」という声が多かったために、何も備えをして来なかった結果が、いろいろなところに出てしまっているのです。これは日本の弱さだと思うので、議論の仕方をもう一度組み替えなければいけないと思います。

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THE ALFEE・高見沢俊彦~デビュー曲では白いスーツにハンドマイクで歌っていました

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)にTHE ALFEEの高見沢俊彦が出演。デビューから売れるまでの経緯について語った。

高見沢俊彦

黒木)さまざまなジャンルのプロフェッショナルにお話を伺う「あさナビ」、今週のゲストはTHE ALFEEの高見沢俊彦さんです。高見沢さんがリーダーを務めるTHE ALFEEは、結成されてどのくらいですか?

高見沢)昨年(2019年)がデビュー45周年でした。

黒木)45周年。大学生のころ。

高見沢)桜井とは高校、大学と一緒でした。坂崎は高校が都立だったので、大学から入ったのですけれども、ほとんど友達付き合いで始めたようなバンドで、こんなに長くやろうなんて思っていませんでした。

黒木)3人それぞれが音楽をやっていらしたから結成して、それで……。

高見沢)そうですね。僕はロックをやっていたのですが、彼らが2人でアコースティックなフォークをやっていて、そこに僕が加入したという感じですね。それが大学1年のときです。

黒木)THE ALFEEの曲は、ほとんど高見沢さんが楽曲提供なさっているのですよね。

高見沢)そうですね。当時はオリジナル曲はありませんでした。外国のバンドのコピーばかりやっていましたから。サイモンとガーファンクルや、イーグルスなどの曲が多かったですね。ハーモニーのものをやっていて、デビューしたときも自分たちでつくった曲ではありませんでした。

黒木)そうなのですか。最初からオリジナルだと思っていました。

高見沢)違います。それでさまざまなことがあって、「これは曲をつくらなくてはダメだな」と気が付きまして、「じゃあ俺がつくるわ」ということで。

黒木)それでヒット曲をバンバンと出した。

高見沢)いやいや、9年かかりましたよ、「メリーアン」という曲まで。その間にムッシュかまやつさんのバックだったり、研ナオコさんのバックをやったり。人のバックバンドとして、いろいろとやっていました。

黒木)では、デビューしてから創作活動を始めたのですね。

高見沢)そうです。デビューして1年くらい経ってからですかね。曲をつくらなくてはダメだなと。僕はギタリストとしてこのグループに入ったのですよ。ところがデビューしたときに、「ギターは弾かなくていいから、リードボーカルになりなさい」と言われて、ハンドマイクで歌えと言われたのですよ。ハンドマイクですよ。やったことのないハンドマイクで、しかもメインですよね。僕たちには、桜井というボーカリストがいたのですけれど、僕に歌って欲しいと言われて、これがまず第1の失敗ですね。やっぱりオリジナルがないという悲哀でしょうか。自分たちの主張がないということが、いちばんバンドによくないなということに、ハタと気が付いたのです。そこから真剣に曲をつくり出しました。

黒木)最初の躓きのようなものがあったのですね。日本でいちばん長く愛されているバンドではないですか。

高見沢)そうですかね。長さだけは誇れますけれどね。

黒木)そのギャップは何なのでしょうか。

高見沢)3人とも性格的に、次男坊ということもあって。

黒木)3人とも、皆。

高見沢)3人とも。「俺が、俺が」というタイプが誰もいないのですよ。そういう意味では、周りの方々も「THE ALFEEはバックバンドとして使いやすい」ということだったのだと思います。個性があまりないですから。ギターもそこそこ弾けるし、そこそこコーラスもできるし、文句も言わないので、重宝に使われていましたね。

黒木)でも80年代には、とても個性的に映りましたけれども。

高見沢)そうですか。ユニフォームをつくらなかったですからね、僕たちは。デビューのときにユニフォームをつくってもらったのですが、大失敗しました。白いスーツでね。

黒木)曲と合わなかったのですか?

高見沢)曲とは合っていたのですけれど、着こなせない。普通の大学生のお兄ちゃんですから、スーツなんて着たことがないのです。着せられている感があって、そこからは好きなものを着ようということになりました。「メリーアン」のときは、ほとんど私服でテレビに出ていましたからね。

黒木)だからでしょうか、とても個性的に見えていました。ロッカーなのかなと思えるような。大人の方という感じがしました。

高見沢)ロッカーではないですね。もう28歳くらいですからね、当時。

黒木)でも、こんなに長く続くということは、ご本人たちは思っていらっしゃらないのですけれども。2019年が45周年ということもあって、あと数年で。

高見沢)50周年を目指そうと思っているのですよね。

黒木)予定はありますか?

高見沢)とりあえず50年は頑張ってみようかなと思っています。丁度そのときに古希ですから、僕が。

THE ALFEE

高見沢俊彦(たかみざわ・としひこ)/ミュージシャン

■1973年、明治学院大学キャンパスにて結成されたTHE ALFEEのリーダー。楽曲のほとんどを手掛ける。(高見沢俊彦/桜井賢/坂崎幸之助)
■1983年、シングル『メリーアン』がヒットして以降、現在に至るまで日本の音楽シーンを代表するバンドとして活躍。
■コンサート通算本数は日本のバンドとして最多の2700本を超え、現在も更新中。
■ソロ活動や楽曲提供、ラジオ番組などでも幅広く活動。
■2018年には『音叉(おんさ)』で作家デビューを果たす。
■2020年4月、小説第2弾として『秘める恋、守る愛』を出版。
<*2018年12月から「オール讀物」(文藝春秋刊)で連載>

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