有働由美子、“親友で恩人”小澤征爾の意外な素顔を語る

2020年9月1日、アメリカのボストン市がボストン交響楽団の音楽監督を務めた小澤征爾氏の功績を称え、小澤氏の誕生日であるこの日を「セイジ・オザワ・デー」に制定した。

これを受けて、4日放送のニッポン放送「うどうのらじお」の中で、小澤氏と“親友”だと語るパーソナリティの有働由美子が、その素顔を明かした。

小澤氏と有働由美子の関係は、1998年の長野五輪開会式で小澤氏が指揮をとった際に取材を通して出会い、今では家族ぐるみでのお付き合いをしているという。

そんな小澤氏との一番の思い出は2007年。当時、NHKの海外特派員としてニューヨークで勤務をしていた有働は、その頃に小澤氏がニューヨークヒルとボストン交響楽団で指揮をとるためにアメリカにやってくることを知り、インタビューを取ろうと「メトロポリタンオペラ」の関係者入り口に待ち構えていたという。
当時、取材を受けていなかった小澤氏だったが、寒い中、長い時間待ち続け鼻を真っ赤にした有働を見かけるなり、施設内に招き入れ、1時間ほどインタビューに応じてくれた。それまでニューヨークで結果を残すことができなかった有働にとっては、このインタビューを企画にすることができ、有働のキャリアの中で大きな成果となった。「今でも本当に感謝している」と当時を振り返った。

そんな小澤氏の素顔について、有働は「ただのレッドソックス好きの子供みたいな人」と暴露。どんな公の場にもレッドソックスのTシャツに帽子をかぶって現れることもしばしばだそうで、世界で3人くらいしか持っていない、レッドソックス戦のフリーパスを持っているという。またウィーンでロケをしていた際、小澤氏は道端で楽器を奏でていた老人の前で体育座りをし、メロディーに合わせて指で指揮をしていたというエピソードも披露。最後に有働は「“元気になってまた一緒にネグローニを飲む”というのが親友・小澤さんとの夢です」と語った。

この日の番組は、放送後1週間以内は「radiko」で聴くことができる。

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補欠選挙の結果を分析。「保守王国」と呼ばれる島根に変化が?

4月29日「長野智子アップデート」(文化放送)、午後4時台「ニュースアップデート」のコーナーでは政治ジャーナリストの角谷浩一さんに、4月28日に行われた補欠選挙の結果を解説してもらった。この記事では島根1区に関する部分をピックアップする。

長野智子「選挙区ごとに分析などいただければと思います。まずは唯一の与野党対決となった島根1区です」

角谷浩一「亀井(亜紀子)さんは一度現職もやられていたので返り咲きということになりますが、島根が『保守王国』といわれますよね。1区はずっと細田(博之)前衆議院議長が地盤を守っていて」

長野「小選挙区制度の導入以降、ずーっと。勝ち続けた」

角谷「2区は、もう亡くなりましたけど竹下亘さんがずっと議席を持っていた。つまり保守王国というより、細田さんと竹下さんがずっとやっていたと。ある意味で当たり前だった。それがお二人ともご存命でなくなって、時代が変わってきて、新しい人が。それも自民党の人が引き継ぐものだと思っていたら、こんなことに、と。細田さんがお亡くなりになったための選挙ということで、自民党も候補者を立てました」

長野「はい」

角谷「ただ細田さんは(旧)統一教会との関係が取り沙汰されたり、じつはセクハラ問題というのがあったり。それに安倍派を細田さんはずっと守っていた、ということも。いま問題になっていることを全部抱えていた、みたいな問題があった。お亡くなりになったので自民党は候補者を立てたけど、そんなに簡単ではなかった、ということ」

長野「きちんと説明されないまま、亡くなられてしまったわけですね」

角谷「今回負けたけど、次はもう有権者は自民党に帰ってくる、という声も地元にはあるんだと思います。今回も県会議員がほとんど動かなかった、という話もありました。一方で世論調査、事前のいろんな調査ではかなり引き離されていて、亀井さんが強かった。でも(岸田文雄)総理は2度入ったんですね。最後の土曜にも入られると。総理が最後に入るのは、逆転できそうなとき、というのが不文律でした。数字の差が既にあるのに、総理は入った」

長野「はい」

角谷「これは岸田さんの独特なやり方というかな。突然、政倫審に出ると言う、派閥を解散すると言う……。岸田さんは誰かと相談して揉んで決めるというよりは、直感的に決められるんですね。島根1区は自民党が唯一出していたところだから、小渕(優子)選対委員長はずっと張り付いていました。国会開会中でしたけど、ずっと」

長野「はい」

角谷「岸田さんは2度も入った。茂木(敏充)幹事長は入らなかったんですね」

長野「それはなぜですか?」

鈴木純子(文化放送アナウンサー)「岸田さんとの仲が微妙だという話も……」

角谷「ただ選挙に勝てば微妙どころか、戦うところで『茂木さん、よくやった』となりますよ。一生懸命、入らなかったというのは、幹事長自らが諦めていたんじゃないだろうか、とか。もっと言うと第一声。泉健太立憲民主党代表は、初日に島根で第一声、声を上げているんですね。ところが茂木さんは行かなかったと」

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