神保彰さん「世界的ドラマーとの夢のセッションに邦丸アナが震えた!!」~12月23日「くにまるジャパン極」

日本が誇る世界的なドラマー・神保彰さんが12月23日放送の「くにまるジャパン極」(文化放送)に降臨!!神保さんのドラマーとしての遍歴を伺った後は、今年11月3日の浜祭で演奏するために腕を磨いた野村邦丸アナとの夢のセッションが実現し、その華麗でパワフルなリズムに浜松町が酔いしれた!


邦丸「神保さんが初めてドラムを叩いたのはおいくつぐらいの時ですか?」

神保「中学生の時ですね。最初はグループサウンズが物凄く好きになって、お茶碗をお箸でチャカチャカチャカチャカ叩いているような子供だったんです。で、父親が『この子はひょっとしてドラムの才能があるかも知れない』と思ったみたいで、中学に入学できたので、ドラムセットを買ってあげようということになりました」

邦丸「それ以降ずっと叩いていると思うでしょ?ところが、神様は押し入れにしまっちゃうんです」

水谷「ええっ!?」

神保「(笑)いや、先生についていたわけじゃないので、ちょっと叩いて『こんなもんか』と思ってすぐ飽きちゃったんですよね。あんまり楽しいとは思わなかったんですよ、その時は。で、結構オタク方向に走ってしまって、プラモデルにハマってました」

邦丸「そして高校に進まれてからまたドラムに戻るんですが、これは何かきっかけが?」

神保「ジャズとかロックとか色んな音楽を融合させる『クロスオーバー』というムーブメントがありまして、そういう音楽を聴いて『あ、面白いな』と思ってまたドラムの方に戻って行ったんです」

邦丸「人前で初めて演奏したのはいつぐらいですか?」

神保「高校3年の時ですね」

邦丸「今のようにインターネットで色んなドラマーの教則を見るわけにはいかないから、独学ですよね?」

神保「独学です。何も無かったですもんね、あの時代は。もうコピーコピーの毎日でした。スティーブ・ガットというドラマーが大好きで、最近ではエリック・クラプトンのバンドでも叩いてますし、もう70代後半なんですが、今でもバリバリの現役ですね。すごい独創的なアイデアのドラミングで、ひたすらスティーブさんを追いかける毎日でした」

邦丸「慶應大学に進まれて、1980年にカシオペアに加入しているんです。カシオペアってとんでもない高嶺にあるバンドじゃないですか」

神保「80年ですと、カシオペアが前の年の79年にデビューしたので、ちょうどバンドが昇り調子になっているタイミングでしたね。大学3年の終わりに加入したのですが、大学4年のまだ1年あるので、あんまりうまく行かなかったら就職しようみたいな小ずるい考えだったんです」

邦丸「その時点では、もう神への道を歩み始めてたんですか?テクニック的に」

神保「いや~どうでしょう(笑)。今聴くとね、でも当時の演奏を今やれっていっても出来ないというか、若さ爆発みたいな演奏してましたけれども」

スタジオではさらに神保さんのドラムに対する想いや、今年発売したアルバム曲のナンバーを聴いた後、邦丸アナとのセッション(あいみょんの「マリーゴールド」)が実現。夢のようなひとときに出演者・スタッフ一同が酔いしれた。
この模様はぜひ、radikoの方でお聴きください!

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補欠選挙の結果を分析。「保守王国」と呼ばれる島根に変化が?

4月29日「長野智子アップデート」(文化放送)、午後4時台「ニュースアップデート」のコーナーでは政治ジャーナリストの角谷浩一さんに、4月28日に行われた補欠選挙の結果を解説してもらった。この記事では島根1区に関する部分をピックアップする。

長野智子「選挙区ごとに分析などいただければと思います。まずは唯一の与野党対決となった島根1区です」

角谷浩一「亀井(亜紀子)さんは一度現職もやられていたので返り咲きということになりますが、島根が『保守王国』といわれますよね。1区はずっと細田(博之)前衆議院議長が地盤を守っていて」

長野「小選挙区制度の導入以降、ずーっと。勝ち続けた」

角谷「2区は、もう亡くなりましたけど竹下亘さんがずっと議席を持っていた。つまり保守王国というより、細田さんと竹下さんがずっとやっていたと。ある意味で当たり前だった。それがお二人ともご存命でなくなって、時代が変わってきて、新しい人が。それも自民党の人が引き継ぐものだと思っていたら、こんなことに、と。細田さんがお亡くなりになったための選挙ということで、自民党も候補者を立てました」

長野「はい」

角谷「ただ細田さんは(旧)統一教会との関係が取り沙汰されたり、じつはセクハラ問題というのがあったり。それに安倍派を細田さんはずっと守っていた、ということも。いま問題になっていることを全部抱えていた、みたいな問題があった。お亡くなりになったので自民党は候補者を立てたけど、そんなに簡単ではなかった、ということ」

長野「きちんと説明されないまま、亡くなられてしまったわけですね」

角谷「今回負けたけど、次はもう有権者は自民党に帰ってくる、という声も地元にはあるんだと思います。今回も県会議員がほとんど動かなかった、という話もありました。一方で世論調査、事前のいろんな調査ではかなり引き離されていて、亀井さんが強かった。でも(岸田文雄)総理は2度入ったんですね。最後の土曜にも入られると。総理が最後に入るのは、逆転できそうなとき、というのが不文律でした。数字の差が既にあるのに、総理は入った」

長野「はい」

角谷「これは岸田さんの独特なやり方というかな。突然、政倫審に出ると言う、派閥を解散すると言う……。岸田さんは誰かと相談して揉んで決めるというよりは、直感的に決められるんですね。島根1区は自民党が唯一出していたところだから、小渕(優子)選対委員長はずっと張り付いていました。国会開会中でしたけど、ずっと」

長野「はい」

角谷「岸田さんは2度も入った。茂木(敏充)幹事長は入らなかったんですね」

長野「それはなぜですか?」

鈴木純子(文化放送アナウンサー)「岸田さんとの仲が微妙だという話も……」

角谷「ただ選挙に勝てば微妙どころか、戦うところで『茂木さん、よくやった』となりますよ。一生懸命、入らなかったというのは、幹事長自らが諦めていたんじゃないだろうか、とか。もっと言うと第一声。泉健太立憲民主党代表は、初日に島根で第一声、声を上げているんですね。ところが茂木さんは行かなかったと」

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