財津和夫、カバーアルバムやカバーソングのソロコンサートの可能性について言及する

TULIP・財津和夫が、時には若かりし頃の淡い想い出について語る『財津和夫 虹の向こう側』。今回は、中学卒業時の財津少年のはかない失恋体験を振り返ります。また、番組の最後で、カバー曲についての思いがけない話も飛び出します。

今でも「東京」には委縮してしまう「九州もん」

来週2月18日に東京・国際フォーラムで行われるTULIPアンコール公演に参加予定のリスナーメッセージを読んだ財津。「東京のコンサート、毎回緊張するんですよ。だって九州で生まれて九州で育って・・・まあね、東京を見たら『花の東京』のような外国のような・・・そんな場所という思いをずっと今まで引きずっていて東京というとなんかすぐ委縮しちゃうんですよね」
東京での暮らしの方が長くなったのでは、と下田アナが問いかけると、「そうなんですけど、東京に染まろうとしても染まれない・・・三つ子の魂なんとやらって言いますけど、生まれ育ったところが凄い影響力を持っているんですよね。それを善しとして生きて行かないと」と財津が自分に言い聞かせるように呟く。
東京のコンサート会場で緊張する財津さんを、きっと皆さんが温かく迎えて下さるでしょう、と下田アナが締めの一言。二人共々、番組からも宜しくお願い申し上げます。

大告白&失恋をほろ苦く振り返る

放送日の3日後は2月14日、そうバレンタインデー。今年もまた、その話題という事で。
「僕らの世代だと、あんまり親しみを感じないんですよね。降って湧いたような、そんな日だな、と思って」
確かに世代的には、ハローウィーンしかり、恵方巻しかり、ひょっとしたらクリスマスすら馴染めない、という方もいらっしゃるかもしれない。
昔と最近のバレンタインデー事情を下田アナが振り返った後、本題の告白話へ。バレンタインデーには馴染みがない財津だが、異性への告白経験については
「もう小学生の頃から何度も何度も何度も何度も何度もありますよ。今4回しか言いませんでした(※実際は5回言っている)けど、もっとあります。」
告白の方法については
「中学生になると、隣のクラスの女の子がずっと好きで。でも、僕らの時代って男女の接点が見つからないじゃないですかすか。しょうがないんで、やっと卒業式の日、下校していく時に千早(ちはや)の陸橋※で、風が強いんだけどもその向かい風の中を僕は走って、彼女の背中に向かって『すみません』って声を掛けたら、セーラー服の彼女の襟がひらりと動いて、振り向いてくれました。それで持っていた封書を『これ、読んでください』って言って渡しましたね」
しかし、その恋は残念ながら成就しなかった。彼女からの断りの返事はなぜか財津の兄が読んだものの、返事が来たこともその内容も全く知らされなかった財津少年は、指定した待ち合わせ場所の海岸で、夕日が沈み終わるまでずっと待っていた、と一番大きな告白&失恋体験を語ってくれました。
(※千早陸橋:現在の福岡市東区千早にあった、およそ500mもの長さの陸橋。操車場跡地の区画再整理に伴い、現在は撤去されている)

今日の一曲は、TULIP「愛の迷路」。1984年(昭和59年)に発売されたアルバム「I dream」に収録され、同年シングルカットでも発売されている。

カバーアルバムやカバーソングのソロコンサート宣言?!

カバーアルバムを作って欲しい、というリスナーメッセージを紹介。
他人の曲だから、権利問題が面倒で・・・と最初は少し煙たい言い方をしていた財津だが、「そうですね、ライブじゃないから(下手なら)何度も歌い直せるし、カバーアルバムは作りたいなと思う。実は、ソロコンサートを今後やる事があるとしたら、ステージでカバー曲ばかり歌いたいな。自分の歌って、これを客席に届けなきゃいけないと思うと、仕事モードになっていくんだけど、カバーを歌うと楽しいんでね。本当に何かもう子供のような自分になれるんですよね。他人の曲って本当にいいよ。本家本元、その方がいいに決まってるんですけど、自分なりの解釈でまた楽しめるんですよ。私はこう書いて歌ってみようと微妙にね、マイナーチェンジするところも楽しいんですよね」とノリノリな重大発言が飛び出すことに。カバーアルバムやカバーソングコンサートの可能性もあるようです!皆様どうぞお楽しみに。

次回2月18日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
メガネにまつわるお話をお送りします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
番組ホームページ

出演番組をラジコで聴く

※該当回の聴取期間は終了しました。

苦難を乗り越え4年9カ月かかった“ゴミ拾い”「やらなければいけないことがたくさん見つかりました」

特急「踊り子」号に乗って、伊豆へ足を運ぶ途中、小田原駅を過ぎて車窓にパーッと相模湾が広がると、観光のお客さんが多い日には、車内の雰囲気が一気に華やいで、「見て見て、海!」という歓声が上がります。

この神奈川の「海」に沿って、自ら歩いて「ごみ拾い」をした男性がいらっしゃいます。

豊田直之さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

横浜生まれ、横浜育ちの冒険写真家にして、「NPO法人 海の森・山の森事務局」の理事長も務めている、豊田直之さん、65歳。

小学生の時、「釣り」をきっかけに、海の生き物に興味を持った豊田さんは、当時の東京水産大学に進学し、海に関する様々な仕事を経験されてきました。

豊田さんは、釣りにのめり込むうちに、その魚が海のなかでどんな動きをしているのか、餌を食べさせるとどうなるか、自分の目でもぐって見てみたいと考えて、実行に移します。そのユニークさから、豊田さんには釣り雑誌の連載がたくさん舞い込んできました。さらに大御所の写真家の方に学んで、水中写真の撮影も手掛けるようになります。

そんな豊田さんが、今から20年ほど前、雑誌の取材で訪れたオーストラリアのダイビング関係者から、こんなアドバイスを受けました。

「オレたちの国のまわりの海は、どんどんプラスチックのゴミだらけになっていっている。ミスター・トヨダ、日本もオレたちの国と同じく、周りを全部海に囲まれているだろう? 必ず同じことが起きるから、気を付けてくれよ!」

帰国した豊田さんは、静岡・熱海の沖に浮かぶ初島の海にもぐると、今までに見たことのないような物が、フワフワと近づいてきて驚きました。よく観ると、それは生き物ではなく、スーパーのレジ袋だったのです。

『水中写真を撮る人間として、海の負の面から目を背けてはいけない』

豊田直之さん

そう思った豊田さんは、2012年に「NPO法人 海の森・山の森事務局」を立ち上げて、本格的に海のプラスチックごみの問題に取り組んできました。しかし、2020年代に入って、コロナ禍で思うような活動が出来なくなります。三密回避、県をまたぐ移動は自粛、活動を休む団体も増えて、豊田さんは考えました。

「今、出来ることを細々とやっていきたい。神奈川県内の屋外で密にならずに出来ること。
そうだ、神奈川の海を少しずつ歩きながら、ごみ拾いするのはどうだろうか?」

豊田さんは、意見が一致した、神奈川在住のNPO法人の理事を務めていた60代の男性2人と一緒に、「3匹のおっさん プラごみバスターズ」を結成しました。

2020年4月、湯河原町の神奈川・静岡県境を流れる千歳川の河口から60代のおっさん・3人によるごみ拾いは始まりました。ただ、豊田さんたちは始めてみて、その道のりの長さに改めて驚きます。ゴールの都県境・多摩川の河口までは、なんと400キロ以上もあったのです。

スタート時の「三匹のおっさん」(2020年5月真鶴・三ツ石にて)画像提供:NPO法人海の森・山の森事務局

豊田さんたちは、週末を中心に、毎月1回、午前9時から午後4時まで、1日4~12キロくらいのペースで、ごみ拾いを続けていきました。

数か月後、湯河原から真鶴半島を回って小田原市の根府川に入ると、緩やかな弧を描いた相模湾の海岸線の先に、江の島が霞んで見えてきました。

「俺たちはいったい、あの江の島にいつ着くんだろう……」

思わずそうぼやいた頃、豊田さんは海岸のごみに一定の法則性があることに気付きます。ペットボトルのキャップだけが、海岸に打ち上げられているんです。じつは海に捨てられたり、流れ着いたペットボトルは、波の力でキャップが開くと、海水が入ってボトルだけ沈み、キャップだけが陸に打ち上げられてしまうのです。

ときにはこんな超ハードなエリアも(2020年6月真鶴半島にて)画像提供:NPO法人海の森・山の森事務局

「これはとんでもない数のペットボトルが、神奈川の海に沈んでいることになるぞ!」

えぼし岩を回り、江の島を過ぎると、やっと三浦半島の先のほうが姿を現しました。しかし、三浦半島の細かく入り組んだ入り江が、豊田さんたちの行く手を阻みます。それでも、スタートから2年半近くをかけて最南端・城ケ島に到達。要塞の島・猿島にも渡りながら、いよいよ東京湾に入ってきました。

最もごみが多かった三浦市内(2023年1月)画像提供:NPO法人海の森・山の森事務局

すると、今度は軍事基地や港湾施設が、3人のおっさんたちの前に立ちはだかります。仕方なく近くの道路沿いの清掃を行うと、違ったペットボトルの問題が見えてきました。港湾道路の広い中央分離帯の植え込みの陰に、恐らく物流のドライバーの方と思われる車内で小用を足した液体が入った大きなペットボトルがゴロゴロと捨てられていたのです。

様々な苦難を乗り越え、4年9カ月をかけて、昨年12月1日、豊田さんをはじめとした「3匹のおっさん プラごみバスターズ」の皆さんは、多摩川の河口に到着しました。集めたごみはおよそ3トン、うち、7割ほどが三浦市と横須賀市から回収されました。これは地形の関係で相模湾と東京湾のごみが、三浦半島に集まってしまうからなんです。

4年9カ月のごみ拾いを振り返って、豊田さんはこう話します。

羽田空港が背後に見える多摩川河口へ到達(2024年12月川崎市浮島町公園にて)画像提供:NPO法人海の森・山の森事務局

「達成感はありません。むしろ、やらなければいけないことがたくさん見つかりました。ペットボトルが、いったい海のどこに溜まっているのか、潜って確かめたいですね」

神奈川の海を自分の足で歩いた豊田さんは、もう、次に向かって歩き始めています。

「NPO法人 海の森・山の森事務局」HP
https://www.uminomoriyamanomori.com/

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