財津和夫、授業出席は6回だけ、あとはずっとギターを弾いていた大学時代の思い出

TULIP・財津和夫が、時には学生時代の思い出を辿るRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。5月19日の放送では、電車通学の思い出や、通った大学でのエピソードがいくつも出てきます。

映画研究会と茶道同好会

高校1年の時、友人と授業をさぼってラジオのTULIP特集を聞いた、というリスナーからの懺悔的な思い出のハガキを紹介。
学生時代のやんちゃな行動は、「いっぱい、一杯、イッパイあって番組の中では語りつくせない」と言う財津。
「学生の頃は、何も怖いもの知らずだから。映画研究会作ったんですよ。貼り紙したけど誰も入ってこないから止めて。それから、何の意味もなく冗談で、茶道同好会も作ったんです。茶道何にもできないんですけど。誰も来なくって、何もできなかったな」
財津の思い出は大学生の時の出来事のようですが、なかなかユニークな行動です。やっぱりやんちゃですよね。

女子高生が乗ってくる路面電車にワクワク

福岡の私鉄、と言えば鉄道もバスも西鉄。その西鉄の天神大牟田線と西鉄貝塚線が今年開業100周年を迎えました。
「そりゃあ利用したシタシタシタシタシタシタシタですよ」と7回も繰り返す財津。連想した思い出話が次々飛び出す。「兄が大牟田に住んでいたので、そこに1時間かけて通って。1時間は長いな、って若い頃は思ってました」
「高校生の頃は名島に住んでたんですけど、名島駅から2駅かな、香椎宮前駅で降りて香椎宮の参道を通ったりしながら高校へ行きました」
当時は西鉄宮地岳線でしたが、現在は西鉄貝塚線と名前が変わっています。
「大学生になったら、学校が西の方なんでまず電車(西鉄宮地岳線)に乗って・・・(その後、路面電車を)どっかで乗り換えるんだよね・・・あれもう分からなくなっちゃった、路面電車っていつまで走ってたっけ?・・・あ、乗り換えは千鳥橋か、懐かしいな。姫野と安部が作った歌もあるし」

(「千鳥橋渋滞」は作詞・安部俊幸、作曲とボーカルが姫野達也。1972年発売のTULIPファースト・アルバム「魔法の黄色い靴」に収録されている。財津が通学で使っていた旧西鉄宮地岳線の起点は、当時はこの千鳥橋でした。大学生時代の財津は、ここで乗り換えて学校へ行っていた、という事のようです。)

「いろんな風景を覚えてますよ。途中、西公園のあたりに九州女子高があって、学校の帰りに路面電車に女子高生が乗ってくるのを楽しみにしてました」
この高校も、現在は共学の福岡大学附属若葉高等学校となっています。いろんなものが変わっていますね。
「夕方頃、大学(西南学院大)に行って、ギター弾いて歌うたって、その練習が終わったらもう帰るという・・・学校に何しに行ってたんだよ」と自虐的な自問。
「3年半在籍したんですよ、でも授業に出たなんて3、4日ぐらいしかないですかね。僕の学部では本来音楽は取れず、美術を取らなければいけなかったんですけど、どうしても授業を受けてみたくて、眠いのに起きて1限目に行きました。頑張って3度ぐらい出たかな、でもすごく楽しかった」
「入学式の時に、音楽の先生がパイプオルガンを弾いてくれたんですよ。バッハの3番、(G線上の)アリア」と、旋律を口ずさむ。「なんか感動してね、この人の授業出ようと思って。でも3回ぐらいしか出てませんけど、それを入れて全部で6回ぐらいかな、授業出たの。あとはずっとギター弾いてました」
「授業料を納めていなかったんで、3年の後期の試験の時に除籍って言われて。ひどい、弱い者いじめだと思って。僕らの時代って、ベトナム戦争があり、学生運動があり、将来がなかった・・・だったら『もう東京行こう』って、大学辞めました」
電車の話をしてたんですよね、と話題を自ら元に戻すと
「路面電車ってもう無くなりましたけど、僕、歌も作ったぐらい福岡の路面電車が大好きだったんですよ。ガンガンガンガン揺れる姿を見るのが好きで。床が板張りでしたよね、そこにオイルを染み込ませていて。あの感じが訳もなく好きでしたね。シートがクリーンの、あれ・・・そうビロード。あれに座りたくてね。もう、路面電車の運転席の横に立ってみるのも好きでしたね」
なんで無くなっちゃったんでしょう、というところで電車と学生時代の思い出話は終了。

次回5月26日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
「学び直したい事」についてお話しします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
番組ホームページ

出演番組をラジコで聴く

※該当回の聴取期間は終了しました。

大竹まこと「規制委が自治体の訴えをちゃんと受け止めているかどうか」

3月27日の「大竹まこと ゴールデンラジオ」(文化放送)では、能登半島地震で被災した石川県などの6の自治体が、原発事故時における「複合災害」を前提にした避難について、規制委に訴えていたことが明らかになった。

番組では毎日新聞の記事を中心に紹介。
「複合災害」とは、原発事故と自然災害が同時に起こることを指す。
この複合災害が起きると、原発事故時に5~30キロ圏の住民が建物内に留まる「屋内退避」が難しくなる懸念がある。

大竹まこと「複合災害が起きたとき、国は屋内退避するようにって言ってるんだね」
砂山アナ「すぐに逃げずに退避した方が、放射線から逃げられるという方針を出しています。ただ、じゃあ家が崩れていたらどうなるんだと」
大久保佳代子「確かに。地震の結果(の退避)ってこともありますもんね」

石川県ら6自治体は、屋内退避のあり方を見直す規制委(原子力規制委員会)の検討チームに、複合災害を前提にするよう訴えた。
しかし検討チームがまとめた報告書案には、自治体の意見は反映されていなかったのだ。

大竹「避難路も全部確保されたわけじゃないってニュースはよく見るよね。規制委が自治体の訴えをちゃんと受け止めているかどうかって話だよね。屋内退避って言っても、これだけ倒壊してる家があるときに、今のやり方には無理があるんじゃないか」
砂山「自治体が訴えていたのに、いわゆる報告書には反映されていなかったという話ですからね」
大竹「ここは強引な感じがするよね……」

Facebook

ページトップへ