余韻まで楽しめるイタリア映画「墓泥棒と失われた女神」

クリエイティブプロデューサー・三好剛平氏 ©RKBラジオ

7/26(金)よりKBCシネマにて公開となるイタリア映画『墓泥棒と失われた女神』。忘れられない恋人の影を追う“ある特殊能力”を持った墓泥棒の男が主人公の、優しくてちょっと不思議な映画なのだが、これがもう本当に素晴らしく、今年の年間映画ランキングNO.1候補に躍り出たと興奮気味に話したのは福岡市在住のクリエイティブプロデューサー・三好剛平さん。RKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」に出演した三好さんは、この作品について「鑑賞し終えた後もずっとこの映画のことを考え続けてしまうくらい本当に大好きな一本になってしまい、どうか皆さんにも見逃してほしくない」と語る。その魅力とは?

あらすじと監督について

まずは映画のあらすじから。

 

舞台は80年代のイタリア・トスカーナ地方の田舎町。考古学愛好家のイギリス人・アーサー(ジョシュ・オコナー)は、紀元前に繁栄した古代エトルリア人の墓をなぜか発見できてしまう特殊能力を持っており、その能力を使って墓泥棒の仲間たちと掘り出した埋葬品を売りさばいては日銭を稼ぐ日々を過ごしています。そんなアーサーですが、実は泥棒稼業のかたわらで行方不明となってしまった恋人・ベニアミーナをずっと探し続けており、彼女の母親もいつかアーサーがベニアミーナを見つけてくれることを期待しています。そんなある日、アーサーは遺跡で稀少な価値を持つ美しい女神像を発見したことから、闇のアート市場をも巻き込んだ騒動に巻き込まれていく——。

 

監督・脚本を手掛けたのはアリーチェ・ロルヴァケルという1981年生まれの女性監督です。2011年の長編デビュー作『天空のからだ』がカンヌ国際映画祭監督週間に出品され、続く2015年の長編2作目『夏をゆく人々』ではカンヌ国際映画祭グランプリ、そして2019年に発表した長編3作目『幸福なラザロ』ではカンヌ国際映画祭脚本賞と、快挙を連続。2022年にはDisney+オリジナルとして制作された短編映画『無垢の瞳』もアカデミー賞短編映画賞にノミネート。いまやイタリア映画界を代表する監督の一人となっている彼女による長編4作目となるのが本作『墓泥棒と失われた女神』なわけですが、これが個人的には彼女の映画監督としての資質がすべて噛み合った、軽やかにして奥行きの尽きないキャリア最高傑作になっていると思います。

その「大切なもの」は、誰のものなのか?

主人公のアーサーはY字型の棒を握って歩き回るうちに自然と枝が動いて地底に隠れた何かの在処を示す、いわゆる「ダウジング」のような能力によって古代人の墓を次々と引き当ていきますが、言い換えると彼は地上と地下、この世とあの世、現世と冥界を橋渡し出来る人物であるとも言えます。そんなふうに「探し物が得意」な彼ですが、ずっと見つけられずにいるのが、行方不明になってしまった恋人の存在です。このように、失った恋人を求めて現世から冥界へと降っていく悲劇といえば、ギリシャ神話の「オルフェウスとエウリュディケ」という有名なエピソードが想起されるもので、実際本作はそれがモチーフとなって映画全体の骨格を形成しています。

 

墓泥棒の仲間たちは貧しい生活からなんとか抜け出すために、日々地中の墓へ潜り、副葬品として捧げられたお宝を掘り出して生きています。仕事を決行する際には人目を忍び、ときには警察に追われながらなんとかそのお宝を売り捌く。彼らが行っているのは確かに犯罪ではありますが、それが仕事になってしまうのは、彼らの埋蔵品を買い取る裏のビジネスが成立しているからに他ならず、映画のなかでは徐々にそうした社会における階級の問題、そして本作における核心だと僕は感じた「所有」の問題が浮き彫りになってきます。

 

歴史的に価値ある遺産や埋蔵品を国が保有者となって守る、ということに異和を感じる人はほとんどいないと思いますが、本作を見ていると、その「当たり前」にも少しずつ疑問が生じてきます。というのも、亡くなった大切な誰かを偲び、死後の世界での幸福を祈って手向けられた副葬品の数々は、一体「誰のもの」なのか?それらが価値ある遺産であると認定された瞬間からそこに価格が与えられ、その利益で私腹を肥やす悪徳業者によって流通され、購入した別の誰かがそれを保有する。だからといってその埋蔵品は、それを買い取った誰かのものになり得るのか?社会のなかで勝手に価値や物語を付与されて流通していく「大切なもの」たちの、真の持ち主とは誰なのか?そしてその価値は、果たして他人が勝手に決められるものなのか——?

 

こうした問いが、失われた恋人とのかけがえのない記憶を求め続ける主人公の物語と重なる時、この映画は想像を遥かに超えた領域まで辿り着きます。大文字の「歴史」として私たちが引き受けているもののなかには、実は数えきれないほど多くの人々たちが積み上げた、笑ったり泣いたり悲しんだり祈ったりしてきた日々の営みがあったはず。しかし大文字の年月や数量など、数字に置き換えられ・漂白された「歴史」のなかにそうした光景を見出すことは難しい。だからこそ、この映画なんです。社会が勝手に物事の価値を決め付け、互いにその所有の在処を主張し合う愚かな現実の世界で、今一度、私にとって、あなたにとって大切なものとは何なのか。その持ち主は誰なのか。ということを見つめ直させてくれる、大傑作だと思いますし、その問いは今の世情においてこそ非常にアクチュアルでもあります。

 

ちなみにここまでのお話から「小難しい映画なの?」と思われる方もいたかもしれませんが、まったくそんなことはありません。むしろちょっと間抜けで愛嬌のある佇まいの楽しい映画で、笑って泣いてしみじみした気持ちで劇場を去れる映画にもなっています。

 

「墓泥棒と失われた女神」は明日7/26(金)より福岡ではKBCシネマにて、そして佐賀シアター・シエマでも近日公開とのことで、どうかくれぐれもお見逃しなく!傑作ですよ。

映画「墓泥棒と失われた女神」公式サイト

田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
出演者:田畑竜介、田中みずき、三好剛平
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※放送情報は変更となる場合があります。

【西武】仁志敏久野手チーフ兼打撃コーチインタビュー 選手には「理論を立てて言えるような意思を持ってほしい」

1月16日放送のライオンズエクスプレスでは、埼玉西武ライオンズの仁志敏久野手チーフ兼打撃コーチにインタビューした模様を放送した。指導者としての信念、最も影響を受けた人について訊いた。

――仁志敏久さんは指導者としてどのような信念をお持ちでしょうか?
仁志「技術に関して言うと、僕の考えはフィジカルの上に技術が成り立っていると考えています。今後はさらにそういう考えが強くなっていくと思います。できない技術に手先を変えても変わるものではないです。例えばスイングをしてみてスイングの軌道がよくない時、軌道を直せばよくなるわけではない。いいスイングの軌道になるような身体の使い方は元々持っているので、身体の動き出しが原因なのか、それとも体のアライメント、元々の骨格の問題なのかとか、フィジカルの上に技術が成り立っていると思うところは色々あります。選手としては自分の考えや意思を持って行動、決定を大事にしてほしいかなと思うんですよね。自分勝手な意思ではいけませんけど、ちゃんと人に説明を順序よくできる、理論を立てて言えるような意思を持ってほしいなとは思います」

――仁志さんは過去に関わった恩師のなかで最も影響を受けた方を常総学院高校時代の木内幸男監督とおっしゃっていましたが、今はいかがですか?
仁志「今も変わらないですね。考えの根本は木内さんで、野球に対して考えるきっかけをくれた人ですね。木内さんと野球をやっていると、ひとつのサインが出ただけで『何でこのサインを出したのかな』と考えるようになるんですよね。『何でここでバントなんだろう』、『監督がエンドランを出すということはここでこうなってほしいんだろうな』とか。監督の考えに依存しすぎてはいけないですけど、野球は固定観念が根本にあるので、木内さんの野球というのは奇策みたいな風に言われるんですけど、固定観念を外せば別に奇策でもなかったりするので」

――外から見て奇策でも、木内監督のもとでやっている部員たちにとっては、あり得る、準備できていたということでしょうか?
仁志「特に昔の高校野球は0アウト、ランナー1塁の場面はバント、この場面だったらスクイズみたいな形式があったんですけど、木内さんは形式的にこだわらない。木内さんのなかでは常識的なんですよ。形式と常識の違いは、野球に関する常識はその人によって違い、形式は誰もが同じことをすること。だから木内さんのやることが分からない人は、形式にこだわっていればいるほど分からない」

――これだけ野球に携わってきた仁志敏久さんも野球の常識を自分なりに作られているんですね。
仁志「そうですね。色々考えて今があるんでしょうね」

――仁志さんの常識がライオンズに受け入れられたということですね。
仁志「そうですね」

※インタビュアー:文化放送・斉藤一美アナウンサー

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