財津和夫、ステージで履くパンツとして同じものを6枚持っている意外な理由とは

TULIP・財津和夫が、時には自分のソロコンサートの内容をちょっぴり披露するRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。8月24日の放送では、自分のコンサートの選曲や照明に関するエピソードについて、また他のアーティストのコンサート会場での「習性」ともいえる臨み方などについて、意外な秘密を交えてお話しします。

制作スタッフの目線になってしまう

5月の鹿児島公演に行った際、「曲名を一つずつ暗記して、休憩時間に全部メモをした」という報告のお便りを頂戴しました。
財津「(コンサートの第)1部は、ずっと、私がステージで歌いたかった、青春時代に聞いた外国曲。それを実現させていただきまして、10曲近く英語の曲があります。中には日本の歌もありますけど」
10曲も覚えるのは苦労しますね。ましてや、知らないアーティスト名や曲のタイトルも含まれていれば、もっと大変です。
その、財津が選曲した曲の中の一つにこんなエピソードがありました。
財津「『God Only Knows』っていう曲があるんですけども、これはビーチ・ボーイズにいたブライアン・ウィルソンっていう人が作って歌ってた曲なんです。あんまりヒットしなかったんですけど、業界ではとても有名な曲です。このブライアン・ウィルソンが先日亡くなっちゃったんですよね。亡くなった翌日くらいにコンサートをやる日程で、ブライアン・ウィルソンを想いながら歌うことができて、なんかタイミングが良かったのか悪かったのか…凄い良い思い出になりました」
ブライアン・ウィルソンは、『God Only Knows』の作曲を担当しました。今年の6月11日に82歳で死去。6月14日に、愛知県豊田市で財津のソロコンサートが行われています。

別のリスナーからは、財津自身が行った中で、史上最高だと思ったコンサートを教えてください、との質問が届いています。
財津「ごめんなさいね、いつもこういう話題のときに盛り下げてしまうのが私なんです。他人のコンサートを見ると、制作スタッフ的に見ちゃうんです。そうすると、『羨ましいなこんなことをやれて』とか、『ココこういうふうにやってんだ。ココ失敗しちゃってるよな』とか、そういう目で見てあんまり楽しめてないんですよね」
同業者の「作品」は、どうしても仕事モードで観察してしまう。私達も同じような癖があります。
財津「ポール(マッカートニー)が大好きで、ポールのコンサートも行きましたけども、そこでこうやると客席が盛り上がるんだ、とかそういう目で見ちゃうんです。『良かった、今日のコンサート!』って言って元気に帰れない。考えながら帰っちゃうんですよね」
下田「やっぱり」
財津「最高だったコンサートね…なんだろうな、芸人の漫才とか、落語とか、コンサートじゃないかもしれないけど、そういうライブの方がなんか楽しいな。自分の業界じゃないイベントが見たい、そんな感じです。ごめんなさいね、盛り下げちゃって」

下田「ご自身で、『今日は自分史上最高だった』なんて思って満足するって事はありますか」
財津「いやー、大満足はないですけど、『今日は良かったかも』と思うことはありますね。その理由はハッキリしてるんです。あんまり気が付かなくなっちゃった。若い頃は細部にまで記憶があったんですけど、最近は終わった後『あれ、コンサート終わったな』って感じしかしない。『大失敗はなかったかな』みたいな、<蚊取り線香が最後の一つポロっと落ちるような直前>でやっています。最近はつつがなくコンサートがやれていてる気がしております」
下田「次の土曜日、30日、福岡市民ホール大ホールで(ソロコンサートが)開催されますけど、1週間ほど前ってどんな気持ちでいらっしゃいますか」
財津「そんなに気にしないようにしてますよ。前日になってくるとちょっとソワが始まります。当日の朝になるとソワソワ。リハーサルが終わった頃にソワソワソワ。もう本番始まったら訳わかんなくなる。そんな感じです」

今日の一曲は、TULIP『Shooting Star』。過去の放送でも財津が何度か触れた「雨の鈴蘭」、1980年(昭和55年)7月26日に行われた鈴蘭高原での2度目の野外コンサートのオープニングで初披露された曲です。

黒パンツしか履かせて貰えない

リクエスト曲をかける前にも話していた通り、8月30日(土)の福岡公演が近づいてきました。まだ前日ではないのに、落ち着かない様子です。
財津「敢えて『ウチ』って言いますが、ウチのステージは、(昔からずっと)本当に照明がいいんです、初代の(TULIPの照明担当)林さんっていうんですけど、その人は日本照明協会の会長さんになったぐらい、凄い人なんです」
日本照明家協会は設立されてから50年以上の歴史がある公益財団法人です。
財津「これ、冗談じゃないですよ。林さんの弟子で、小林さんって人がいるんです」
下田「凄いご縁ね(笑)」
財津「小林さんが今(財津のコンサートの照明を)やってるんです。両者とも照明にも入り込んじゃう人なんで、だからもう凄く良いんですけど、僕がひとつだけ困ってることがあるんです。照明家は、色と光と影を計算しているじゃないですか。だから、『明るいズボン履くな』って言われてるんです」
下田「ええっ(驚)」

財津「これは、真っ暗から明るくなるまでに色目を見てもらわなきゃいけない。グラデーションみたいなもので、その途中でちょっと明るくしたときにズボンが白いと、もうバーって出てくる。そうすると『俺の照明と違うんじゃない』と言う事になっちゃうじゃないですか。だから、僕は53年間、ステージで野外以外は黒いズボンしか履かせてもらってないんです」
下田「確かに」
財津「時々言われるんですよ、『財津さんはなぜ同じパンツばっかり履いてるんですか?』って。確かに同じパンツ履いてるんですけど…」
下田「何十年もですから同じじゃないと思いますけど、同じ色調の…」
財津「まあ、色調であったり。同じものを6枚持ってたりするんですよ」
下田「え、そうなの。ほー(驚)」
財津「だから、皆さん。僕は洋服を持ってないわけじゃないんです。ズボンを1本しか持ってないんじゃなくて、それしか履かせて貰えてないんですよ。これだけはハッキリ生きてる間に言っときます」
下田「本当にプロフェッショナルの力が集結した、プロのステージですね」
財津「だからね、その照明もね、見に来てください。本当に綺麗ですから」

次回8月31日は、ホークス戦中継のため13時15分(お昼1時15分)からに放送時間が変更となります。
メロディーとアレンジについてお話しします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
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※該当回の聴取期間は終了しました。

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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