財津和夫、スマホにまつわるエトセトラ

今週の話題は、「スマホを忘れた時の対応」。TULIP・財津和夫が、ガラケー愛用者の気持ちを代弁するRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』10月4日の放送では、携帯にまつわる話を熱弁!でも気づけば携帯電話がなかった頃の時代の話にも及ぶ。

ガラケー愛用者の主張?

東京都文京区、72歳の方からいただいたメッセージ。

「先日、うっかりスマホを忘れて外出してしまい、友人との待ち合わせ場所にたどりつけませんでした。最寄り駅まではギリギリ行けたのですが、お店の名前も場所も覚えておらず、友人に連絡もできず散々でした。」
 

財津「そりゃそうだよね。何から何までスマホに入れちゃうからですよ。   スマホはね、言っておきましょう、私がハッキリと。電話だけにしてください(笑)。」

下田 「電話だけに?(笑)」

財津「私ね、まだガラケーですよ。」

下田「 ガラケーですか?」

財津「スマホも持ってるんですよ。それは一応仕事柄、映像や音をちゃんとした、いい音、いい色で見なきゃいけないので持ってますけど、電話は大体ガラケー。メールするのもガラケー。の、今年の3月で「FOMA」というのが終わっちゃったんですよ。僕もずっとFOMAを何十年も使っていたんで、やっぱりチェンジしに行ったんです。 「え、まだこんなの持ってる人が来るんだ」みたiな顔されたんです。それで、「電話とメールができるガラケーにしてください」と言ったら、「ありますよ」と言われたんですけど、今この店舗にはそれがありませんと言われて、結局最新型のものしかなくて。重い。ガラケーのくせに重い。多機能が付いて、もうどう扱っていいか分からない。しかも小っちゃい!」メールを返信しましたっていう印が出るじゃないですか、矢印か何かね?相手の名前のちょっと左側にピッと矢印が出たりするじゃない。それが見えない。メガネを2つ掛けないと見えないんですよ(笑)。 だから、もうやっぱり、私たちは、私達世代は、もう早くこの世を脱出しなきゃいけないな(笑)という気になってきました。」

携帯電話がなかった頃はどうしていたかな?

財津「 昔は不便と言えば、不便だったんだよね。待ち合わせして変更があったりしても、連絡できなかったもんね。苦しかったね、あの頃。特に目上の人とか、仕事の時に遅刻するとか、「遅刻します、ちょっと待ってください」とか言えないじゃない。もう電車の中で走ってましたからね(笑い)。本当に。

下田「 そうですねー(笑)。喫茶店の方に伝言したりとかしてましたね。」

財津「 嬉しいー!何が嬉しいかと言うと、よく思い出してくれたね、そういうこと(笑)。あった、あった、あった!「もしもし」って、よく女子が出るんですよね。「すみません、お客さんの呼び出しできますか?」(笑)それで、その呼び出しの感じが聞こえるんだよね。「なんとかのなんとかさーん!お電話が入ってるんですけどー」と言ってる(笑)。靴音とか聞こえてきて。懐かしいねー!」

さらに話は続く!

財津「僕は中学生の時に名島駅を通学で使ってたんですけど、伝言板があってこう、黒い板、黒板ね。チョークで書いてありましたよ。「今日の晩御飯はなんとかだ」とか書いてあった。(笑)

   便利になったが、どっちが良いか分からないけど、今の人はもう昔に戻るなんて考えられないよね。ごい時代になりました。」

 

この記事は、『財津和夫 虹の向こうから』の中から一部編集、割愛しています。実際の会話などはRKBラジオ、radikoでお聴きください。

 

次回10月11日の放送は、18時15分(午後6時15分)からの予定です。「タイアップ曲」についてお送りします。

「え~?この曲も財津和夫作品?」の連続です。

 

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
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※放送情報は変更となる場合があります。

「バスの運転士」の一言が、10年前の記憶を呼び覚ました―ラジオが結んだ、不思議な再会

先日、ニッポン放送では『上柳昌彦 あさぼらけ スペシャル ~あけの語りびと~』をお送りしました。実は8人の方を取材させていただいたのですが、皆さんのお話が、どれもドラマがあって、ご紹介しきれませんでした。

※イメージ画像

そこで、ご紹介できなかった4人の方を、4週にわたって、『あけの語りびと』でお届けしています。今週は3人目の方です。不思議なご縁で繋がるラジオネーム「すみちゃん」の物語です。

7月28日に発生した「令和8年熊本地震」。その翌日は水曜日だったので、いつもの『あけの語りびと』は、急遽お休みして、熊本からメールを送ってくださったリスナーさんに電話をつなぎました。

実はその方、10年前にもお話を伺っていたんですが、いただいたメールでは、同じ方だと分からなかったんです。お話の中で、『10年前、バスの運転士だった…』と聞いた瞬間、「あっ、あの時の!」

私の脳裏に、10年前の記憶が、鮮明に蘇ってきたんです。不思議なものですね。「バスの運転士」という言葉が、10年の時を経て、私の記憶の引き出しを開いてくれたんです。

熊本市にお住まいのラジオネーム「すみちゃん」は、50歳です。ラジオを聞くようになったのは、中学三年生の冬。受験前にインフルエンザで寝込んだ時、枕元で聞いたラジオが、とても面白かった。それが、ラジオとの出会いでした。

当時、熊本ではニッポン放送が聞けなかったので、窓際にラジオを置いて、向きを傾けたりして、雑音の中、聞いていたそうです。

「そうそう、上柳さんの声を初めて聞いたのは私が高校二年の時でしたね。こちらのローカル番組が始まる前の、夜7時10分から20分だけ、熊本放送(RKKラジオ)で、『花の係長 ヨッ!お疲れさん』がネットされていたんです。東京のラジオ局は、めちゃくちゃ面白い!と思って聞いていましたよ」

高校へ通う電車の中でもポケットラジオで聞くほど、ラジオ好きになったすみちゃんは、大学を卒業すると教員免許を取り、中学校の「技術」の教師になりました。本棚を作る木材加工や、電子製品のはんだ付けなどを教えていたそうです。

しかし、教師の仕事は勤務時間が長く、生徒や保護者への対応など、さまざまなことが重なり、別の道を考えるようになります。

子どもの頃から乗り物が大好きだったすみちゃんは、36歳のとき、市内バスの運転士になりました。始発バスを担当する日は、朝5時過ぎには発車前の点検作業を始めます。

「朝早く起きるのは、やっぱりつらいんです。眠い目をこすってラジオをつけると、あれ?上柳さんの声が流れてきたんです。『あ、うえちゃんの番組が始まったんだ!』と、朝の楽しみが生まれましたね」

ところが、番組スタートから3週間後、2016年4月14日夜9時26分、熊本地震が発生しました。その夜、地震の様子をメールで知らせてくださったすみちゃんに、翌朝、スタジオから電話をつないだんですね。

あの電話から10年が経った今、バスの運転士さんをされていないと伺って、どうされたのか、ちょっと気になって、お話を伺うと、体調を崩されたとのこと…。検査を受けると腎臓の機能が低下していて、今は週に3回の透析を受けています。昼間の仕事は難しくなって、夜、ガソリンスタンドの事務をされています。そこでは、ラジオが聞けます。

オールナイトニッポンから「あさぼらけ」へ…「明け方、ラジオから、うえちゃんの声が流れてくると、ああ、そろそろ今日も仕事が終わりだなぁ、って思うんですよ。今は、ラジオから聞こえてくる、うえちゃんの声が、ホッとする一日の締めくくりになっています」

ラジオネーム「すみちゃん」、今朝もお仕事、お疲れ様です!

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