竹中知華&山原麗華、新番組への意気込みを語る!『華華天国』

ラジオ沖縄の新番組「華華天国」とは?

花畑に色とりどりの花を咲かせよう!をコンセプトにラジオ沖縄が2020年に放つ午後の帯番組
放送日時 月~金 14:30~16:30
出演者  竹中知華(月、水、木) 山原麗華(火、金)

9月28日の放送開始にさきがけて、担当パーソナリティの竹中知華と山原麗華、そしてディレクターの#ケンイチがインタビューに応じてくれました

ヤバいくらいにお互い何でも知っている

竹中知華(たけなか ともか)
1982年広島県呉市出身。青森朝日放送、NHK沖縄放送局を経て現在ラジオ沖縄制作報道局報道部に在籍。2015年に写真集「ASAKARA TOMOKA」を発表


竹中:麗華ちゃんとはどこか通じるところがあって、笑い声を聴くだけでも元気をもらえるんです

山原:わたし、実はもともと自分の笑い声にずっとコンプレックスがあったんです。でも夜の番組でおしゃべりをはじめてすぐに、お年を召した先輩リスナーから「あなたの大きな笑い声で元気がもらえる」とメッセージで励ましてもらって、そこからは気にせずに爆笑しています

竹中:お互いざっくばらんな性格だから気が合うのかな。一緒に沖縄市でわんこそば大会に出場したりプライベートでもよく一緒に遊んだりしてるよね

山原:時々、長電話をしたり。もうなんでも知ってる仲

竹中:そう、ヤバいくらいにお互いのことをなんでも知ってる(爆笑)

山原麗華のデビューのきっかけ

山原麗華(やまはら れいか)
1989年 沖縄県那覇市出身。東日本大震災を機にアコーディオンを演奏するようになり、各地の老人ホームや介護施設を回る。介護福祉士・音楽健康指導士などの資格を持つ


山原:わたしもともとはお年寄りのリハビリのお手伝いをする介護施設で働いていたんです。小さい頃からピアノや声楽も習っていたので、施設で働きながら時々、レクリエーションのひとつとして昭和歌謡を唄ったりしていました

竹中:声楽を習っていたから声が大きいんだ

山原:(爆笑)声楽だけじゃなくて、わたし、体育大出身ですし、学生時代はずーっと剣道をしていました

竹中:わたしは中学は陸上部、高校からは山岳部で大学はアカペラのグリーンクラブ。まったく一貫性がない

#ケンイチ:竹中さんも人前で唄っていたんですか

竹中:そうなのよ。当時、ハモネプが大流行しててね、ゴスペラーズのカバーでソプラノを担当して舞台に立っていたの。これ誰にも言ってないから書かないで。わたしのことより、麗華ちゃんのデビューのきっかけを聞いて

山原:2019年の3月の話ですけど、ラジオ沖縄のラジオカーが私が働いていた介護施設にインタビューに来てくれたんです。リポーターは久高妃南子さんでした。それまでラジオで話したことなんて一度も経験したことがなくて

#ケンイチ:そのラジオカーのインタビューをオンエアで聴いてて、この人おもしろい!と思って、ボクが担当している番組「淳奈の6時半から飲むけど!?じゅんにな~?!」にゲスト出演してもらったんです

山原:そこからですね

#ケンイチ (ハッシュタグケンイチ) 本名 福山賢一
ラジオ局にいれば水曜日のカンパネラさんにキューをふれるかも!?と思って2016年ラジオ沖縄に入社。夢いまだかなわず現在は「WABI SABI WASABI」の担当ディレクター。

#ケンイチ:次にチャレンジラジオでおしゃべりしてもらって、そのままセンチメンタル歌謡曲の小磯アナの相方に抜擢されて、気が付くと元気なナツメロで爆笑していました

竹中:すごい勢いでラジオ沖縄の看板スターになったんだ

新番組についてのふたりの意気込み

竹中:これまで担当していたバルーンやチョイスでやってきたように、取材音源を活かした企画はそのまま続ける予定です。とにかくフットワークを軽く、少しでも街のネタを拾って、笑えるネタから堅い話まで届けたいなと思います

山原:わたしはミュージシャンのチャラン・ポ・ランタンさんとか東京大衆歌謡楽団さんのような懐かしさを感じる音楽と一緒に若い人たちに語りかける、そんなアプローチでいろんな世代のリスナーさんに楽しんでもらえるような番組を目指したいです

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華華天国
放送局:ラジオ沖縄
放送日時:毎週月曜~金曜 14時30分~16時30分
出演者:竹中知華、山原麗華
番組ホームページ
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※該当回の聴取期間は終了しました。

「O型からB型に変わった」中村逸郎、急性骨髄性白血病で半年間の入院を告白

左から中村逸郎、増山さやかアナウンサー、辛坊治郎

辛坊治郎がパーソナリティを務めるニッポン放送『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』に26日、ロシア政治に詳しい筑波大学名誉教授の中村逸郎が出演。今年1月に急性骨髄性白血病と診断され、2月から8月末まで約半年間入院していたことを明かした。6月26日には骨髄移植を受けたといい、約1年ぶりとなる番組出演で、病気が見つかった経緯や治療後の生活について語った。

中村によると、きっかけは今年1月、風邪をひいて38度近い熱が出たことだった。自身では治ったと思い、かかりつけ医に新年のあいさつを兼ねて訪ねたところ、CTや血液検査を受けることに。約1時間後、検査結果を見た医師の表情が変わり、すぐに大きな病院を紹介され、翌日さらに検査を受けた結果、急性骨髄性白血病と診断されたという。

2月から入院生活が始まり、6月26日には移植を受けたことを明かした。移植はうまくいったといい、「血液型もO型からB型に変わった」と説明。「性格も変わりました」と冗談を交え、以前より番組への集中力が増したと語ると、辛坊は「髪の毛なくなっただけで、ほか何も変わりませんけど」と応じる場面も。

抗がん剤治療で一度髪が抜け、現在は再び生えてきているという中村氏。体重は5~6キロ減り、現在は42キロになったとも明かした。退院後も通院を続けており、放送翌日の27日には診察と予防接種を受ける予定だという。医師から、幼少期に受けた予防接種を改めて受ける必要があると説明されたという。

また、退院時には「第二の母子手帳」と呼ぶ手帳を受け取ったことを紹介。自身の誕生日である11月2日に加え、移植を受けた6月26日が「第二の誕生日」になったと語った。

今後については「どれだけ再発せずにいけるのかっていうのは分からなくて」と率直な思いも口にした中村。入院中も、番組を聴いていたことを明かし、辛坊が「今日出ていただくことになって、本当によかったです」と再会を喜ぶと、中村氏は「心にもないことを言ってくださって、うれしいですよ」と冗談で応じ、スタジオを和ませた。

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