作曲家・浜圭介のヒット曲で綴る『原光隆の歌謡曲主義』

「昭和の名曲が生まれた背景には、その歌を作った作家たちのドラマがある…」このフレーズで始まるのが「昭和のうたびと」。東海ラジオ『原光隆の歌謡曲主義』(日17:00~18:00)の中で毎週午後6時から(6時40分まで)放送しているコーナーだ。昭和から平成、令和へと歌い継がれている名曲とともに、作家の人生を紐解いている。

番組では、昭和の名曲を残した作詞家・作曲家を、概ね2週に渡って取り上げている。1月23日と30日は作曲家・浜圭介を特集する。浜が生まれたのは、1946年、場所は、旧満州の捕虜収容所。1歳のとき引き揚げ船で舞鶴へ。青森に住み、その後、北海道・札幌に移住した。

孤独な少年時代、音楽との出会い、上京のきっかけ、挫折と復活、奥村チヨとの結婚…。23日の曲は、浜が作曲家として注目されるきっかけとなった奥村チヨの「終着駅」。北海道で過ごした日々から生まれた「石狩挽歌」。スランプから脱出するきかっけとなった「舟唄」ほか。30日は、森昌子や桂銀淑の代表曲などを紹介する。

原光隆の歌謡曲主義
放送局:東海ラジオ
放送日時:毎週日曜 17時00分~19時00分

※該当回の聴取期間は終了しました。

子ども生むと夫の顔も見なくなる?ラブラブだった女芸人・紺野ぶるまも心境激変「この人こんな顔デカかった?」

今年4月に第一子を出産した、お笑い芸人の紺野ぶるまさんが5月23日の「くにまる食堂」にご来店。なかなか男性には分からない出産の大変さと自身が体験した心の変化を話していただきました。

野村邦丸アナ「今年の4月に出産して、どうでした?」

紺野「もちろん分娩台で産む瞬間はすごくしんどかったんですけど、びっくりしたのが術後。全身のむくみと、歩けないことにびっくりしました。あと貧血。鉄剤を飲んでも全然足りなくて、助産師さんが常に付きっきりで何もできない自分がだんだん情けなくなってくるんですよ。それで泣いちゃって、誰が赤ちゃんかわからない状態でした。よく気分がジェットコースターのように波打つって聞くんですけど、本当に富士急並みのジェットコースターで、さっきまで嬉しかったのに今は悲しみのどん底とか。それで4日間ぐらい興奮して寝れなくて手が震えちゃって。赤ちゃんはこんなにかわいいのに、抱き上げる力も出ないみたいな感じでした。もともとは産後1ヶ月で復帰する予定でスケジュールを組んでいたんですけど、入院中はマネージャーさんに「一生、仕事に復帰できないかもしれないです」とか弱気なLINEを送ってて、でも気づいたら2週間ぐらいでピンピンしてました。」

邦丸「仕事はどうしてたの?」

紺野「妊娠中も仕事をしたかったので9ヶ月までは公表していません。お酒飲む仕事とかは、もちろんお断りしてたんですけど。」

邦丸「でもお腹はだんだん目立ってくるよね。」

紺野「今はビッグシルエットが流行っているので、そういう服を選んで、なるべくバレないようにしてました。ただ公表した途端に我が子も空気を読んだのか、どんどん膨らんで、それまでは結構おとなくギュッとしてくれてたんですどね。」(笑)

邦丸「出産した多くの女性は、だんだん旦那さんに対する興味が薄らいでくるって言うよね。」

紺野「あっそうなんです!ホルモンのバランスで旦那さんに嫌悪感を抱くって聞いてたんですけど、私はそんなはずないと思っていたので、出産前に旦那さんの好きなところを忘れないようノートに20個ぐらい書き連ねていたんです。でも生んでから可愛い赤ちゃんの顔を見たあとに旦那の顔をチラッと見ると「うわっ顔デカ!毛穴デカ!こんなデカかったの、この人?」みたいな。」

邦丸(笑)

紺野「それで旦那さんの顔をあまり見なくなってたんですけど、〇〇なことがあって、たぶんお互い興味が無くなってるんですよ。」

子どもができると夫も妻の顔に興味をなくす?紺野さんのエピソードが気になる方はradikoのタイムフリー機能でご確認下さい。

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