【ラジオな人】FM802 のDJとして10周年を迎えた鬼頭由芽さんインタビュー【前編】

FM802が主催する多くの音楽イベント、そのほとんどのステージで活躍している鬼頭由芽さんは、FM802で当時史上最年少、20歳でDJデビューを果たしました。あれから10周年を迎えた鬼頭さんへのインタビュー、前編では当時のオーディションのこと、初回の収録のことなどを中心にお伺いしてきました。

―― 鬼頭さんは大学生の時にFM802のオーディションに合格してこの世界に入られましたね。昔からラジオのDJを志望してたんですか?

FM802(以下802)は子どもの頃から聴いていて、物心がついた時には「DJになりたい」と思うようになっていました。802はプロ・アマ・年齢問わずオーディションを開催していて、高校2年生の時に初めて受けたんです。その時は、家族や友達にはオーディションを受けることは言わずに、一人でこっそりデモテープを作って…外付けのマイクを購入してラジカセに繋いで、両親がいない時に録音しましたね(笑)。その時は落ちてしまったんですが、大学2年の時にもう一度受けて、合格しました。2回目は大学生だったこともあって、バイトで貯めたお金でアナウンス学校に通い、滑舌や読み方を勉強してからチャレンジしました。

「怖いもの知らず」だった

――2度目のオーディションの時のことは覚えてますか?

『FM802 MEET THE WORLD BEAT』に行った時の感想を伝えた記憶があります。前日に雨が降って、当日の地面がべちゃべちゃで大変だったことを話しました。合格した理由は未だにわからず私の推測になりますが…面接やオーディションって、普通は褒めるような話をしますよね。でも逆に、思ったことを素直に伝えたのが面接官の記憶に残ったのではないかなと思います。10代ならではの「怖いもの知らず」だったのが目を引いたのかもしれません(笑)。

――オーディションに受かってから生活にもかなり変化があったのではないでしょうか?

大学に通う傍ら、イベントやライブでMCを務める機会が多くなりました。DJとして話している時は本当に楽しかったですね。大学2年の段階で第一志望の仕事に携わることができたのはラッキーでした。

――DJになってから初めてラジオ話した時のことは覚えてますか?

深夜2時から5時まで放送されていたDJの登竜門になる番組『FUNKY JAMS 802』を担当していました。初回は802の偉い方々がたくさん見に来てくださっていて、まるで子どもの参観日のようだったと思います(笑)。番組のディレクターさんが先生みたいな方で、曲が流れ始めるとスタジオに入ってきて、トークのアドバイスはもちろん、良かった点や改善点も教えてくれて、まるで授業を受けているようでした。

――ディレクターさんとの関係を築きながら取り組んでいたのですね。ディレクターさんからのアドバイスで覚えていることはありますか?

「しゃべっている先にはリスナーがいる」ということをイメージしながら伝えること。そして「聴いている人が心の中で相槌を打てるよう、間を置いて語るように話す」ようにとアドバイスをいただききました。今でもリスナーに語りかけるように話す、伝えることは心がけていますね。

――番組を担当する中で、さまざまなアーティストと対談や収録をされてきたと思います。印象に残ってるアーティストはどなたでしょう?

母がエレファントカシマシのファンだったこともあり、ボーカルの宮本(浩次)さんが初めていらっしゃった時は、とっても緊張しました。まだ私がDJを初めて4年目か5年目の時でした。宮本さんは中国茶がお好きだと聞いていたので、お茶を湯呑みに入れて渡そうとしたんですが、緊張で手が震えてしまい、無音のスタジオの中で急須がカチャカチャと部屋中に響いて…恥ずかしかったですね(笑)。宮本さんがすごく優しくて、最後まで楽しくお話ししてくださったことは今でも鮮明に覚えています。

――DJをしている中で、802の特徴も見えてくると思うのですが、802の良いところを教えていただけますか?

放送局自体にパワーがあって、関西に根付いているところです。また、音楽イベントや公開収録が多いのも魅力だと思います。たとえば、毎年夏に万博記念公園で開催する『FM802 MEET THE WORLD BEAT』や、年末にインテックス大阪で開催する『FM802 RADIO CRAZY』(通称レディクレ、以下レディクレ)があります。他にも、番組の公開収録や映画の試写会もたくさんあり、街にどんどん繰り出しているところは802の特徴だと思います。とても多面的な動きをしているのでもちろん生放送という大きな軸はあるんですが、ある意味「ラジオ局」に収まらないメディアだと感じています。あとはDJ同士とても仲が良く、集まるとワイワイ騒いじゃったりしてアットホーム感はありますね(笑)。

――DJオーディションで『FM802 MEET THE WORLD BEATのことを話したとおっしゃっていましたが、学生の頃から802が主催するイベントや公開収録にはよく参加していたのでしょうか?

802のイベントには、学生の頃から頻繁に行ってましたね。当時はライブに行くお金やCDを買うお金がなかったので、招待制のイベントをチェックしては、行ってみたいイベントや試写会に応募していました。802のサイトにアクセスすると『ピックアップ』という項目があって、イベントや公開収録の告知が掲載されてます。ライブイベントや公開収録、映画の試写会など様々なイベントもあるので、私がそうだったようにお金はないけど楽しいことを探している学生の皆さんにもチェックしていただきたいです

学生とアーティストが繋がる瞬間

――たしかに802は特にイベントや公開収録が多く、802が関わるイベントは年間1,000本以上。では、鬼頭さんが感じるラジオの良いところは?

ラジオは『日常生活の中でお気に入りの音楽やカルチャーに出会える場所』ですね。インターネットやテレビの場合、自分からアクションを起こさないといけないと思うんですが、ラジオは一度つければ音楽や情報が耳から入ってくるので、忙しい人が多い今の時代に重宝なメディアだと思います。

――学生向けの夜の番組『ROCK KIDS 802-OCHIKEN Goes ON!!-』や鬼頭さんがDJを務めている『ROCK KIDS 802-YUME GO AROUND-』は、アーティストと一緒に学校で収録をする企画もやってますよね。ゆず、ONE OK ROCKなど、名だたるアーティストが大阪の高校を訪れていて、高校生が喜んでいる姿を見ると、羨ましく思ってしまいます。

『ROCK KIDS 802』はまさに、学生さんとアーティストを繋げようとする企画が盛りだくさんです。私が担当している『-YUME GO AROUND-』では、THE YELLOW MONKEYやキュウソネコカミといった豪華アーティストと一緒に学校で公開収録を行いました。

昨年キュウソネコカミと尼崎の高校に収録に行った時は、改めてDJを続けてきてよかったなと思いました。普段802を聴いてくれている女の子がうちの学校でやってほしいとメッセージをくれて、それがきっかけで公開収録が始まったんです。自分の手紙がきっかけで好きなアーティストが学校に来た嬉しさに興奮している姿を見て、改めてラジオというメディアに関わることができて幸せだなぁと思った瞬間でした。

あと、『レディクレ』では高校生がOKAMOTO’Sとコラボして一緒にステージに立つという企画もありました。『ROCK KIDS』は特に学生の皆さんに向けて常に面白いことを発信し続けているので、ぜひ皆さんに活用していってほしいです。

――昨年末に開催したレディクレにはB'zやスピッツ出演していて、関西では特に大きな年末のライブイベントですよね

いろいろなフェスがある中、ラジオ局の802が主催するので、いかに“FM802らしさ”を出せるかを常に考えています。「こたつサテライトスタジオ」を会場内に作って、アーティストにはこたつに入って温まってもらいながら802の番組公開収録をしたり、「音波神社」を設けて“境内”でゲームやおみくじが楽しめるようにしています。まさに、802ならではのイベントだと言えるのではないでしょうか。

―― 続きは後編へ!

番組概要

■放送局:FM802
■番組名:『ROCK KIDS 802 -YUME GO AROUND-』
■放送日時:毎週金曜日21時~23時48分/土曜日 23時~25時
■パーソナリティ:鬼頭 由芽
■番組サイト: https://funky802.com/service/homepage/index/1521
■オフィシャルSNS:@RK802YUME

▼その他FM802 の番組情報はこちら!
https://funky802.com/

出演者プロフィール


鬼頭由芽

9月20日生まれ A型。

両親の影響で新旧洋邦問わず音楽にどっぷり浸った環境で育つ。

小学6年生でラジオを買ってもらい、世の中には自分の知らない音楽がこんなにあったのか!」と激しく感動。いつしかそんな素敵な音楽たちを聴く側から届ける側になりたいと思うようになり、DJを目指す。

2007年、FM802DJオーディション合格。

現在はFM802『ROCK KIDS 802 -YUME GO AROUND-』(毎週金曜日 21時~23時48分/土曜日 23時~25時)を担当中!

インタビュー

やきそばかおる

小学5年生以来のラジオっ子。ライター・構成作家・コラムニスト。

「BRUTUS」「ケトル」などのラジオ特集の構成・インタビュー・執筆を担当するほか、radiko.jp、シナプス「 I LOVE RADIO」(ビデオリサーチ社)/ J-WAVEコラム「やきそばかおるのEar!Ear!Ear!」/otoCoto「ラジオのかくし味」/水道橋博士のメルマ旬報など連載や、番組出演を通じて、ラジオ番組の楽しさを発信。

ラジコプレミアムを駆使しながら、全国のユニークな番組を紹介するツイキャス番組「ラジオ情報センター」(水曜21時〜22時)も放送。全てを合わせると、年間でのべ800本のラジオ番組を紹介している。

Twitter:@yakisoba_kaoru

カメラマン(※鬼頭由芽さま写真)

倉科直弘(kurashina naohiro)

ブルース・ロックを愛する。草野球も少々。街と退廃と幸福について毎日考えています。
「MUSIC MAGAZINE」「Number」「ケトル」など、多数の雑誌に写真を掲載。大阪在住。

twitter: @kurabokurabo

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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