【ラジオな人】広島の10代をつなぐ使命! 「会いに行くDJ」大窪シゲキに直撃
「何かできることは」と考えるのも優しさ
――2018年は西日本豪雨がありました(※4)。「何かできないか」とソワソワしている人に、「それは優しさだから」と番組の最初に言っていたのが、印象に残っています。
覚えてないなぁ……(笑)。初日ですか?
――はい。これを最初にハッキリということで、落ち着いた中高生も多かったと思います。
確かに「何もできない」ってみんなが思っていましたから。でも、そう思うことがすでに嬉しいし、ボランティアに行くといっても、例えば長靴とか帽子とか防塵マスクとか買ったら、最低5,000円ぐらいするんです。中高生がそれだけの費用を出すのは難しいじゃないですか。アルバイトをしている大学生でも大変です。だから、ボランティアには「行ける人が行けばいい」とずっと思っていて。
でも、どういう放送をしたらいいかは、すごく迷いました。スタッフとも言い合いになったほどで。「普通に」とか「元気に」って求められましたけど、来るメッセージには大変な状況が書かれていて……。とある“9ジラー”から、「避難所で聴いていて、オオクボックスの笑い声で元気が出る」というメッセージが届いたので、普通にやろうとは心がけていましたね。
――阪神・淡路大震災のとき、大窪さんは大阪にいたのですか?
いました。被災して亡くなった友だちも結構いて。阪神・淡路の被災者は、今でも電車に乗るのが怖いという人もいるそうです。体や街のケアはできてるけど、心のケアが追い付いていない人が、少なからずいます。広島もまだまだまだまだまだなので……無理しすぎず。
――私も呉市へ観光に行ったことがあり、他人事とは思えませんでした。
交通網が途絶えましたからね(※5)。それでも山陽道はすぐ復旧しました。復旧作業をしている人もラジオを聴いていると思うと、『9ジラジ』が放送されている時間は終わって帰る時間か、今から夜中の作業をするぞって時間かもしれない。被災された方にも、何もできないと思っている人にも、復旧作業をしている人たちにも、気持ちを届けたいと思っていました。いつもは10人ぐらいを想像しながらしゃべるのですが、100人ぐらいを想像しながらしゃべっていたかもしれないですね。
――中高生よりちょっと広げて?
そうですね。あのときは大人からのメッセージも増えました。「何もできないと思っている中高生たちがいるのは嬉しい」と。「若い子たちは、目の前にある受験や部活を一生懸命やってほしい。20年後、30年後に、“ここは危ないところだ”ってしっかりと伝えられるように、今回のことを覚えておいてほしい」と。「災害があったからもうこの街に住まないんじゃなくて、ちゃんと防災して、また元のような街を作ってください」っていうメッセージにすごくしびれました。確かにそれも10代にできることだなって。
――曲を選ぶのも大変だったのでは?
よく『9ジラジ』でかけていたり、10代が好きなアーティストの曲だったりを全部聴いて、歌詞も見て、「雨」とか「泥」とか「流れる」とかが入っていたら、応援歌だったとしても辞めておこうと、1週目は特に考えましたね。「頑張れ」っていうのもまだ早い、「被災した人が何を頑張ったらいいんだよ」って感じなので……。どちらかというと寄り添うような曲をかけた……はず。何かけたかもう忘れちゃいましたけど(苦笑)。
でも、やっぱりラジオは被災者にずっと寄り添っていられる気がします。もちろん、学校が面白くなかったり、家で嫌なことがあったりで、テンションを上げたいから『9ジラジ』を聴いている人には、暗い話ばっかりしていたら嫌がられるでしょうけど、そういうのも含めて優しさだと知ってほしいです。「復興しました」と明るいニュースばっかりが流れて、「もう大丈夫なんだ」って思い始めると一番危険かもしれないですよね。まだ全然知られていないところで、苦労されている方もいらっしゃいますし。
災害もいじめも、本質は同じ
――災害後、電車も山陽道が復旧したり、道が通れるようになったりと、すぐに明るい兆しが見えましたが、番組のテンションもそれに合わせて上げましたか?
そこが一番、迷うところでした。災害が起きたとき、元気な人は被災者の気持ちになっちゃいけない、と僕は思っていて。元気な人は笑って過ごして、100%のパワーを溜めて出来ることをやって、疲れたら順番で交代していく。じゃないと復興しようがない。元気な人は頑張っていこうぜ、元気のない人は踏ん張っていこうぜ、すぐ助けが行くと思うから。そんな気持ちでやっていました。
――雨が強くなったのは7月6日、金曜の夜ですよね。『9ジラジ』は月曜から木曜ですから翌週の月曜までオンエアがありませんでしたが、その間に言うことを考えていましたか?
それはないですね。どの地域で何があったかは調べましたけど。普段からいじめの問題もそうですけど、心が痛い人がいたら「何を言われたら一番嬉しいか」を考えるのと同じなのかもしれません。「大丈夫じゃない」から「大丈夫」とはいわないし、「頑張れ」ともいわないし。ボランティアへ行った人たちを褒めたり、労ったり、支援する人を支援するっていうのもできることのような気がしているので。
――それもオンエアでいっていましたよ。
あ、言っていました?(笑)
――覚えていないのは、特別に言葉を用意したわけではない証拠ですね。普段から考えていることをしゃべったと。
普段から考えているのかなぁ。でも、僕らはオンエアでしゃべるだけですけど、スタッフは休みの学校がどこかを調べたりして、大変だったかも。テレビもやっているラジオ局ではないので、ニュースをまとめたり、人も少ないからスタッフの体力的な限界もあるし。
局の外に出ること
――西日本豪雨から8ヶ月ちょっと経ちますが、『9ジラジ』はどういう存在でありたいですか?
居場所ですね。災害もそうですけど、疲れて帰ってきて元気をもらったりとか、今日は誰も共感してくれなかったなっていう時も、共感してあげられる場所。あとはピンチのときに支えられる場所。
今、ラジコのエリアフリーがあるので、全国からメッセージが来ます。東京にいる人がラジコで聴いて「広島の状況が分かった」とか。県外の人も心配していることが広島の人たちにも伝わるので、そこをつなげていきたいですね。
――それは、普段から大窪さんが心がけていることですか?
そうですね。たとえば、被災した街が復興したけど、自分の家が直ってない人がいる。「まだ忘れちゃダメだよ。できることを考えようよ」といっていきたいです。だから「素直に話してほしい」と伝え続けます。我慢しないでほしいというか……。こういう時は「不謹慎だから言っちゃいけない」ではなく、みんなでケアしていきたいですね。ラジオは匿名だし、我慢せず吐露するだけでも楽になると思います。
――12年も番組をやられていて、熱量が落ちないのがすごいですよね。
「会いに行けるアイドル」じゃないですけど、「会いに行くDJ」だからじゃないですか。自分が行った街で災害が起こっているから、頭に浮かぶんですよね。学校もそうだし、「あそこにはあの“9ジラー”が」と思うと、心配でならないというか。
ラジオとはいえ、いろんなところに行くこと、足を運ぶことが大事ですよね。地方局の放送エリアはそこまで大きくないですから、1週間に1~2回、取材でも観光でもいいから外に出て、全部地元と感じられるようにすること。今はネットで情報が得られますけど、現場に足を運ばないと気が済まない性格になっている気はします。
大窪シゲキ(おおくぼ しげき)
1979年大阪府生まれ。前身番組『山口雅美の9ジラジ』ADを1年経験した後、2007年4月からパーソナリティに。音楽に詳しく、時間があれば東京・大阪などで行われるライブにも足を運ぶため、長渕剛、ポルノグラフィティ、Perfumeなど、信頼を寄せるアーティストも多い。ロサンゼルス・ドジャースの前田健太投手とも親交がある。HFMでは『シネマ☆ボックス』(土曜日 21時~21時30分)も担当している。
大窪シゲキの9ジラジ
『9ジラジ』としては2000年4月にスタート。2007年4月から『大窪シゲキの9ジラジ』となり、2017年4月から20時からの2時間番組となった。広島県内の中高生に絶大な人気を誇る番組。
※放送情報は変更となる場合があります。
【脚注】
(※4)2018年7月初旬から降り続いた雨が、7月6日の夜から強くなったことにより起きた災害。河川の氾濫、土砂崩れなどが発生し、広島県内だけで100人を超す死者が出た。「平成30年7月豪雨」が正式な呼称だが、被害を受けた場所を明確にするため、本稿では西日本豪雨を使用した
(※5)JR呉線が不通、広島呉道路と国道31号線が通行止めとなったため、しばらくの期間、広島市から呉市へ陸路で行くことができなかった
この記事を書いた人
豊田 拓臣(とよだ・たくみ)
1979年埼玉県生まれ。放送文化研究家。
全国各地の放送局へ取材に行き、放送が世の中に与える影響を考察、検証している。専門はラジオ。著書に『ラジオのすごい人たち~今こそ聴きたい34人のパーソナリティ』(2012年、アスペクト)がある。
一般社団法人 日本放送作家協会 理事
特定非営利活動法人 放送批評懇談会 正会員
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