RADWIMPS・野田洋次郎、米津玄師とのコラボ曲を語る「歌詞も含めてやっぱり米津節」

さまざまなアーティストが月替わりでパーソナリティを務めるTOKYO FM『Monthly Artist File-THE VOICE-』。8月度は、8月5日(水)にニューアルバム「STRAY SHEEP」をリリースする米津玄師さんが担当します。

8月1日(土)の放送では、RADWIMPS・野田洋次郎さんをゲストに迎え、2人の出会いや米津さんのニューアルバム「STRAY SHEEP」に収録のコラボ曲「PLACEBO」の制作秘話を語りました。(TOKYO FM『Monthly Artist File -THE VOICE-』8月1日(土)放送分)

米津玄師、RADWIMPSとの出会いを語る

冒頭では、RADWIMPSのメジャーデビューアルバム「RADWIMPS 3〜無人島に持っていき忘れた一枚〜」から「螢」をオンエア。その後、米津さんがRADWIMPSに出会ったきっかけについて語りました。

米津:俺が高校生の時に、RADWIMPSと初めて出会って、この曲を聴いた時の衝撃がものすごく残っていて。サビで8分の6拍子になったりとか、トリッキーなんだけど、高校生の時の自分の寂寥(せきりょう)感とか寂しさとかと、ものすごくガっと一致する感じがあって。「この人は一体どういう人なんだろう?」って興味を抱くに至った1曲かもしれないですね。

野田:すごく嬉しい。俺のデビューアルバムですね。

米津:デビューアルバム?

野田:必死でしたねえ。

米津:その時、高校1、2年生だったと思うんですけど、本当に高校で流行ってて。主に女の子がめちゃくちゃ聴いてて。当時、歌詞画ってあったのわかります?

野田:ああ、あったねえ。

米津:携帯の待ち受けにミュージシャンの歌詞を載せる。そういう文化があったんですけど。

野田:なんか当時、ものすごい歌詞がフィーチャーされてたよね。

米津:そうそう。それでもう、RADWIMPSが覇権を握っている感じがあって。みんなRADWIMPSの歌詞を携帯の待ち受けにしてて。そこで興味を持ったのが最初の出会いかもしれないですね。

初共演の対バンツアーを振り返る

野田さんが米津さんの名前を初めて見た時の印象を語りました。

野田:未だに憶えてる。本当に何て読むかもわからない、芸名なのか何なのかわからない。

米津:それってどのタイミングでした?

野田:確か「ROCKIN'ON JAPAN」かなんかの雑誌で。最初、写真じゃなくて絵で登場したよね? 

米津:本当に1番最初ですね、たぶん。

野田:「こいつ何だよ」って思って(笑)。「自分の絵で登場とか、何こいつ?」って思って。あの印象が強いかも。

米津:「diorama」(1stアルバム)の時だと思いますけど。

野田:あれが何歳?

米津:あれが……21(歳)とか。

野田:確かあれくらいの時期に初めて聴いて。ものすごく緻密な……何ていうんだろう。まあ、「本当に友達いなそうだな、こいつは」っていう(笑)。すごく面白いことやってるけど、大変そうだなあっていう。

続けて2人は、初共演を果たしたRADWIMPSの対バンツアー「10th ANNIVERSARY LIVE TOUR RADWIMPSの胎盤」(2015年11月4日)について振り返りました。

野田:言葉少なだったよね。

米津:そうですね。俺はもう、見てたそのまんまの人だなあっていう感じが。

野田:そうだよね。まあ、お互いライブ前だったからめちゃめちゃ緊張してたしね。先輩と後輩と両方、ちょっと呼びたいみたいな。だから先輩たちはMr.Childrenさんとかスピッツさんとか。米津たちがたぶん1番若いくらいかなあ。あとはきのこ帝国とかクリープハイプとか。その中でやっぱり(米津は)1番未知で。俺はRAD好きとか知らなかったからね。絶対断られるだろうなとか思ってたけど(笑)。

米津:俺は呼んでもらえてすごく嬉しかったですねえ。本当にRADWIMPSって、あまり周りと絡まないっていうイメージがあったから、それを大々的に最初に対バンツアーっていう形でやったところに、そこに俺は絡んでいけるようなものになれたんだなあっていう、そういう風に教えてもらえる感じがあって、すごく嬉しかったですね。

コラボ曲「PLACEBO」制作秘話

番組後半では、米津さんと野田さんによるコラボ曲「PLACEBO」を初解禁! 2人が制作秘話について語りました。

米津:プライベートで2人で会うと、一緒にデュエットしたりするじゃないですか。あの高揚感ってものが、俺にとってはものすごく大きなものがあって。

野田:俺も今回、すごくあった。

米津:俺はあれをやりたかったんですよね、新しい曲で。お互いの何らかの掛け合いがあって、否が応にも心が躍るような何かっていうものを。レコーディングの段階で、ラスサビで掛け合いを追加したりとかして、俺はあのレコーディングは本当にすごく楽しかったですね。

野田:俺も楽しかった。何回でも歌いたくなったし。

米津:自分にとっては本当に自然な流れでしたね。洋次郎さんとやるっていうのであればこういう形なんじゃないかって。そこにあまり迷いも特になくて、考えることもなく、手を動かしてたら曲がああいう形になったっていう。

野田:夏だからなのか夏っぽさも感じつつ、不思議な高揚感というか、歌詞も含めてやっぱり米津節だなあというか。言葉回しも不思議だよね。当然だけど、俺だったら絶対浮かばないなあっていう。

米津:俺は結構、韻を踏むのが好きなんですけど、韻を踏む気持ちよさとか、譜割りの言葉のリズムの気持ちよさっていうものを、たぶん1番明確に教えてもらったのはRADWIMPSであるなっていう感じはします。

野田:嬉しい。でも確かにあなたの韻の踏み方は面白いなあ。自分の血液にして自分で吐き出してる感じが。

米津:どういう風に受け止められますかねえ。

野田:でも、これはたぶんすごくわくわくするよね。

米津:想像していたような形ではないだろうなあとは思うんですけど。でも、好きになってくれるんじゃないかなあって。

野田:とても良い裏切りもある。でも素晴らしい曲ですよねえ。

Monthly Artist File -THE VOICE-
放送局:TOKYO FM
放送日時:毎週土曜 17時00分~17時55分
出演者:米津玄師
番組ホームページ

※放送情報は変更となる場合があります。

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戦後の沖縄で、メディア人は何を体験したか? ギャラクシーラジオ大賞の特番が8月9日に再放送

終戦後に沖縄で放送に携わった川平朝清さんが、息子であるジョン・カビラにラジオ放送の役目を語る――J-WAVE(81.3FM)が2019年6月23日「沖縄慰霊の日」にオンエアした特別番組『J-WAVE SELECTION GENERATION TO GENERATION ~STORIES OF OKINAWA~』が、第57回ギャラクシー賞ラジオ部門で大賞を受賞した。それを記念し、J-WAVEは2020年8月9日(日)22:00~22:55に同番組を再放送する。

ギャラクシー賞とは、放送批評懇談会が日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰するもの。

番組では朝清さんが、終戦後の沖縄の様子、戦後の沖縄で最初のラジオ局であり米国軍政府の運営であった「AKAR 琉球の声」アナウンサー時代、琉球放送(RBC)を経て沖縄放送協会の設立、現在の沖縄への思いなど、数々のエピソードを語った。朝清さんが沖縄を報道する側から見てきたがその時代に体験したこと、 感じたことを伝える貴重なインタビューとなっている。

今回の受賞にあたって、ジョン・カビラは以下のコメントを寄せた。

ジョン・カビラ コメント

ギャラクシー賞受賞、心より嬉しく光栄に思います。父へのインタビュー番組ということで、幼少の頃から聞いていた話もあれば、今回初めて聞く話もあり、私自身にとっても大変貴重な機会でした。沖縄にルーツを持ちながら台湾で生まれた父。戦前の台湾、焦土の沖縄での思い、そして沖縄の戦後復興にメディア人として関わって来た彼が、なぜラジオ放送が必要と考えたのか。個人史を超える沖縄史の一部を共有させていただけたことを嬉しく思います。激動の昭和、停滞の平成、希望を託したい令和、その時代を生き抜いている川平朝清の言葉に耳を傾けていただければ幸いです。

再放送は8月9日(日)

ギャラクシー賞の贈賞式は8月3日(月)に行われた。音楽とトークというシンプルな構成で、朝清さんの貴重な話を記録したことや、現在の沖縄をめぐる問題を考えるきっかけになる内容だったことが評価された。同番組のプロデューサーである高知尾 綾子は、「このような賞をいただけたのは、川平朝清さんとジョン・カビラさんにご出演いただけたからだと思っております」と感謝を表し、「カビラさんが朝清さんにインタビューをする、シンプルな番組です。朝清さんのメッセージは心に刺さるものがありますので、ぜひ再放送をお聴きください」とコメントした。
 

 


親子が対話で伝える、放送の意義や沖縄の問題に耳を傾けてほしい。放送は2020年8月9日(日)22:00~22:55。また、オンエアの1週間後まで、radikoのタイムフリー機能でも聴くことができる。

 

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