菅田将暉×山田孝之の再戦に期待がかかるラジオ!『菅田将暉のオールナイトニッポン』

俳優・菅田将暉さんの「飾らない」、「ふつう」要素が全開のトークで多くの人々に支持されている、ニッポン放送『菅田将暉のオールナイトニッポン』。実はこの番組、俳優・山田孝之さんと深い関わりがある事をご存知でしょうか?

この記事では『菅田将暉のオールナイトニッポン』を楽しむために知っておきたい、2人の間に起きた事件を解説します。そして最近、この事件から生まれたストーリーに新展開が……!? 『菅田将暉のオールナイトニッポン』で気になった発言をピックアップしながら番組を考察していきます。

菅田将暉さんの過去記事はこちら

『菅田将暉のオールナイトニッポン』とは

菅田将暉さんは俳優として数多くの人気映画、ドラマにメインキャストで出演。舞台においては「第27回読売演劇大賞」(2019年)で、優秀男優賞と杉村春子賞を受賞しました。アーティストとしても『紅白歌合戦』(NHK)に出場するなど多方面で活躍する菅田さんが単独でパーソナリティを務めるラジオ番組がニッポン放送『菅田将暉のオールナイトニッポン』です。

2017年に『菅田将暉のオールナイトニッポンGOLD』(2月10日放送)を経て、同年4月3日より『菅田将暉のオールナイトニッポン』がスタート。自然体で素の菅田さんによる等身大の関西弁トークが人気を博し、今年の春で5年目に突入しました。

時事ニュースから下ネタ、スタジオでの害虫騒動など「おもろいこと、楽しいこと」を菅田さんが自分の言葉でトーク。菅田さんを支える"顔を知らないツレ"であるリスナーとのメールを通しての共鳴は、放送を重ねる毎に濃く深いものになっています。

菅田将暉のオールナイトニッポン
放送局:ニッポン放送
放送日時:毎週月曜 25時00分~27時00分
出演者:菅田将暉
番組ホームページ
公式X

Twitterハッシュタグは「#菅田将暉ANN」

※放送情報は変更となる場合があります。

山田孝之『菅田将暉ANN』出禁事件(2017年6月12日放送)

2021年6月28日(月)の放送において、『菅田将暉ANN』の"新章"を予感させる発言がありました。それは2017年からずっと守られてきた「山田孝之、『菅田将暉ANN』出禁」にまつわるもの。この番組をより楽しむために知っておきたい重要な出来事でもあるので、当時の様子を振り返ってみます。

オール菅田、撃沈! 怪優・山田孝之

番組冒頭から「目の前で読める機会なかなかないから」と菅田さんの雑誌連載を本人の目の前で読み込み、ジャブをかます山田さん。菅田さんの出演映画『帝一の國』を観賞し、「作品を見て、日本の映画界、芸能界は大丈夫だと思った」という嬉しい感想も。

しかし、菅田さんの演技については「4番目に良かった」と辛口。番組リスナーたちは、山田さんと楽しい時間を過ごそうと「パイナップルは好き?」、「何指が好き?」、「どのくらいの雨なら傘を差すか」など、山田さんにハマりそうな質問を大量に投下。菅田将暉&リスナーによる"オール菅田"で怪物俳優・山田孝之に挑むものの、なんとも噛み合わないまま出演終了の時間を迎えてしまいました。

山田さんとただ楽しい時間を過ごしたいだけだったのに……。オール菅田は反省会を試みるも、なぜか山田さんはブースから帰らず。ここからとんでもない展開に…。

制御不能の山田にぐったり…そして「出禁」へ

山田さんは、マイクから少し離れた場所で菅田さんに話しかけ、邪魔をし始めます。そんな中、山田さん対策に疲れておかしくなったリスナーから、「ドッジボールやトランプをしよう」など錯乱したメールが次々に到着。菅田さんの「帰るように」という指示も聞かず、当初のゲスト枠とは異なるハイテンションなノリで乗っかろうとする山田さん。

「ピヨピヨ、ピヨピヨ」と小鳥の鳴きまねや「リラ、リラークマー」と独特なリラックマのマネを披露するなど、もはや制御不能の状態に。山田さんが本当に帰った後、「どこまでが本気かぜんぜんわからへん。あの空気すらも作戦だったら恐ろしい。山田孝之ショックがデカいな」と菅田さんはぐったり。そしてリスナーからの提案により、『菅田将暉ANN』への"山田孝之出禁宣言"が飛び出しました。

ついにこの日が…! 山田孝之『菅田ANN』出禁解除!?(2021年6月28日放送)

"山田孝之出禁宣言"から4年……。実は「出禁」を言い渡された山田さんにも、菅田さんへの遺恨がある事が発覚。そして、2021年6月28日(月)の放送で、膠着状態にあった「山田孝之出禁問題」が動き出す事に……。その模様を振り返ります!

山田孝之『ANN』デビュー 菅田将暉に宣戦布告!?

『菅田ANN』の直前、山田さんが『オールナイトニッポン』のパーソナリティを初めて担当した『山田孝之のオールナイトニッポンGOLD』が放送されました。リスナーから、山田さんが『菅田ANN』の出禁に対して強い妬みを未だに持っている事や、Instagramのストーリーで「菅田を出禁にし返したい」とボヤき、野望をチラつかせていたという報告を受けた菅田さんは……。

菅田:もちろんよ! そりゃもう全勢力を持って……いろんなパワーを使って間違いなく出禁ですよ。そりゃ大先輩ですし、役者の現場の山田孝之という人は本当にかっこいいし、もう大尊敬ですよ。超好きな先輩です。リスペクトしてます。ただ、ラジオの現場においての……(笑)、数々の行為ね。いろいろ帰らなかったりとか、遠くからしゃべったりとか、もうめちゃくちゃやから。もうそれはだって、禁止にせざるを得ない。これはもう、みんなのためにね。出禁は出禁ですよ。

「出禁」に燃える山田孝之、菅田将暉が出した答えは…

俳優としてリスペクトする山田さんへの想いを述べつつ、リスナーのため、番組のために泣く泣く出禁にした経緯を語った菅田さん。このまま山田さんを出禁にし続ける決意を語ると思いきや…。

菅田:でも難しいのかなあ……。出禁とか好きそうやからな〜。そこなんよな~。ズルいよなあ、山田さん、そういうとこなあ。どっちに転んでも、結局面白いみたいなところあるからなあ。出禁とか言うと燃えちゃうでしょ? 今、燃えてるわけでしょ? 燃やしちゃったわけでしょ。そうね、出禁とか言わん方がええんか……! 本来ならな。そういうことやな。出禁とか言うから。出禁って言うって事は出てるって事やからな! そうか、こうやって出ちゃってるもんな。あの……ぜひ山田さん、今度来てくださーい! ……これほんまに来へんか!?(笑)。

2017年から長きにわたり守られてきた「山田孝之出禁」の牙城が崩れ、新たな『菅田将暉ANN』の歴史が始まりそうな予感にワクワクした瞬間でした。

パーソナリティとして、そして人間としても大きく成長した菅田将暉さん。そして『全裸監督』でワールドワイドに活躍の場を広げた怪優・山田孝之さん。日本を代表する2人の俳優がラジオという舞台で再び相まみえるのか。そして、どんなバトルを繰り広げるのか。その後、新たな関係性をどのように築いていくのか。再戦の日が楽しみでなりません!

この記事を書いた人

高田りぶれ(たかだ・りぶれ)

山形県生まれ。ライターなど。放送作家のキャリアを生かし、テレビ・ラジオ番組のおもしろさを伝える解説文を年間150本以上執筆。趣味は観ること(プロレス、サッカー、相撲、ドラマ、お笑い、演劇)、遠征、料理。

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亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

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