世界ですでに評価される!ドキュメンタリー映画「美と殺戮のすべて」
3/29(金)からKBCシネマにて上映されているドキュメンタリー映画であり、今年上映されるアートドキュメンタリー作品のなかでも最重要作品のひとつとして推したい「美と殺戮のすべて」という作品。現代美術界における最重要作家のひとりに挙げられるナン・ゴールディンというアメリカ人女性写真家について、彼女のアーティストとしての活動の歴史を展望しつつ、彼女が近年続けてきたアメリカの製薬会社を相手取った抗議活動を追ったドキュメンタリー作品だ。そしてまた、いま日本で暮らす私たちも含めて、この社会のなかでアートが、そして美術館がどのような場所で有り得るか、ということなども考えるきっかけとなる、本当にめちゃくちゃ重要な作品だと、RKBラジオ「田畑竜介GrooooowUp」に出演するクリエイティブプロデューサーの三好剛平さんは熱弁する。
ナン・ゴールディンとは
まずはナン・ゴールディンについて。彼女は、1970年代から活動をはじめ、今ではメトロポリタン美術館をはじめ世界の主要美術館にその作品が所蔵されているアメリカ人の女性写真家です。イギリスの現代美術雑誌『Art Review』の「アートシーンの影響力ランキング:Power 100」では1位を獲得しており、現代アートにおいて最重要作家のひとりとして挙げられています。
彼女が活動を始めたのは1970年代。当時は社会的マイノリティであったゲイやレズビアン、トランスジェンダー、そして(派手なメイクと“女装”でパフォーマンスなどを行う)ドラァグクイーンといった人々を、ともに過ごしながらその様子を写真に撮った作品群などで注目を集めます。なかでも彼女の個人的な友人たちでもあった性的マイノリティの人々を、コミュニティの内側からの視点で、その親密な時間と退廃的な美しさをとらえた「性的依存のバラード(The Ballad of Sexual Dependency)」という作品群が、彼女が写真家として世界的な注目を集めるきっかけとなりました。
その後1989年には、当時大流行していたエイズをテーマにした展覧会をニューヨークで開催し、再び大きな注目を集めます。この展覧会では、当時本人たちも望んでもいなかったエイズにかかってしまい、そのまま社会のなかで「エイズ患者」として烙印を押され、社会から排除された人々、その声を奪われたコミュニティの実像に光を当てます。彼女のアーティスト仲間を含むさまざまな作家のエイズに関わる作品を集め、展示することで、そうした人々の存在を可視化し、言葉を与える展覧会となりました。
しかしこの展覧会は全米芸術基金(NEA)の助成金を得て企画されており、展覧会が発した当時の政権批判を含むメッセージが問題となって急遽、助成金が撤回されてしまうという事態に。このことが、芸術家とその表現に対する弾圧であるとして、当時のアートシーンを巻き込んだ大きな議論へと発展しました。
彼女はこのようにして、そのキャリアを通じて、社会のなかで、何かを理由に「いない者」として声を奪われた人たちに目を向け、自らその人たちと連帯し、作品や表現活動を通じてその存在に声を与え、社会に新しい動きを呼び込んできた作家なのでした。
「アメリカ史上最悪の処方薬」オピオイド
そんなゴールディンは、2014年に手首の手術を行い、病院で処方された鎮痛剤の服用を始めます。この鎮痛剤が、実はその後アメリカ国内で50万人以上もの死者を出すことになる
「アメリカ史上最悪の処方薬」=オピオイドと呼ばれる麻薬性鎮痛薬でした。彼女は幸いにも今ではその症状を回復させていますが、服用当時はその直後から深刻な中毒状態にあったと語ってもおり、多くの人々がちょっとした怪我や病気の鎮痛剤としてこのオピオイドを気軽に処方され、そのまま命が失われてしまったという完全に「アウト」な薬でした。
このオピオイドをアメリカの医療業界に流通させたのが、サックラー家と呼ばれる創業者一家による製薬会社です。彼らは医療の現場で、医者や病院に対して、オピオイドの処方量に応じてキックバックとしての謝礼金を支払うスキームを打ち立てて、「史上最も売れた処方薬」として膨大に流通させ、巨万の富を成します。数十万人もの子どもから老人までもが、まさか自分が死ぬことになるとは思っていない処方薬の作用によってその命を落とすことになったわけです。
この問題については、ゴールディン自らの中毒経験に加えて決定的だったのが、この製薬会社のサックラー家は実は世界各国の大美術館や博物館にその収集品の寄贈や多額の寄付を行う美術界おける名門慈善家一族であったことです。ゴールディンの作品が所蔵されるメトロポリタン美術館をはじめ多くの美術館にはサックラーの名前が冠された展示コーナーや寄贈碑が掲げられていました。
彼女はこうした状況に対して何とか対抗すべく、オピオイド問題に対抗するための団体を立ち上げて「美術館からサックラーの名前を消す」ための抗議活動を行うほか、法廷での証言や被害者の支援を開始します。
この映画は、メトロポリタン美術館で抗議メッセージを記入した大量の薬瓶をメトロポリタン美術館の中池に投げ込みダイ・インする場面にはじまりますが、その他の美術館でも、さながらアートのパフォーマンスのような切実さをともなった様々な抗議パフォーマンスの様子も展開されていきます。この映画はこのようにもうひとつの筋として、オピオイド危機に対するゴールディンたちの戦いの行方を見つめていくストーリーが展開されていくことになります。
社会のなかでアーティストや美術館が果たすもの
本当であればここから、この映画が提起する様々な問題意識が、今を生きる私たちとのあいだにどのような関わりがあるか、ということをひとつずつ紐解いて紹介していきたいのですが、お時間も限られているので、ここでは一点だけ。それは私たちの社会のなかでアーティストや美術館が果たし得る役割について、です。
つい先日の2023年3月11日に、ここ日本においても、国立西洋美術館で開催される展覧会の内覧会において、参加作家たちが連帯して現在進行しているパレスチナ侵攻に対する抗議パフォーマンスが行われ、日本のアートシーンやSNS上などで大きな話題となりました。この抗議のきっかけは、映画と同様に、その展覧会のオフィシャルパートナーがイスラエルへの武器輸入に加担していることによるものでした。
この抗議パフォーマンスについて議論されたSNSなどでの意見のなかには、「美術館は美術を展示する場所なのだから、こんなパフォーマンスは他所でやれ」といった論調も少なからず見受けられました。果たして本当にそうなのでしょうか?私たちの社会において、アートは、アーティストは、そして美術館は、それぞれどういうものとして、どういう場所としてあり得るのか?未来へ歴史を残していく美術館が、権力によって編まれた物語のままに「その名前」を残してしまって良いのか?この映画で、ゴールディンたちが美術館や博物館を主戦場として重ねてきた一連の活動とその結果を見届けたあとには、きっとまた違う視点の気づきを得られるはずです。
こうした点に限らず、キックバックによる不正、利権から発動される医療事故、権力によってかき消される小さな「声」とその抵抗など、劇中に登場する数多の問題意識が、いま日本で暮らす私たちへと直結していく、非常にアクチュアルなドキュメンタリー作品の鑑賞体験になることをお約束します。100%必見、激推しの一本です。どうか皆さんもお見逃しなくご覧ください!
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