財津和夫、体調管理方法は人それぞれ、自分はボーっとしてる方が良いかな

TULIP・財津和夫が、時には己の企画アルバムの事を振り返ってみるRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。8月17日の放送では、アカペラを軸にした財津作品の企画アルバムについて、またテバ地下巡りやTULIPメンバーの上田氏と自分の体調管理など、いろんな話題をクロスオーバーしながら進めます。

災害発生の時にデパ地下にいたい

デパ地下好きの方から、財津のデパ地下での楽しみ方を教えてください、というお便りを頂戴しました。
財津「職業柄、地方へ行くことがあります。結構デパ地下好きで、行くんですよ。地方の食べ物が、置いてある。弁当も、かつては地方色があったんですけど、最近はどのデパートに行っても、同じようなものが置いてある」
下田「確かに」
財津「最近、デパ地下に行くと、一時間ぐらいぐるぐる回るんですよ。『見逃したものはないだろうか、本当に弁当売り箱はココだけだろうか、白いご飯と惣菜を別々に買って自分で弁当を作ろうか』とか、ぐるぐるぐる巡っているんですけど、なんだか最近新鮮な感じがしないな」
下田「あら、もう通い過ぎちゃったかな」

財津「デパ地下、好き?」
下田「好き。もうワンダーランド!」
財津「ほほ-」
下田「最近はそのデパ地下も、あれもこれもって買ってると結構いいお値段になっちゃうんですよ。ですから最近『デパ地下レシピ』なるものがSNSでアップされていて、デパ地下風の味付けになるドレッシングの作り方とかそういったものを参考に(しています)」
財津「便利な世の中やね。デパ地下に行くと必ず思うんですけど、今とんでもない災害が来たら、ここにいてよかったなと思うだろうなって」
下田「食料がたくさんあるからって、そんなこと考えて回ってらっしゃるんですね」

「アカペラ」と「ロス」と「彼」

昭和歌謡を歌うアカペラグループが気になり、動画をチェックすると『青春の影』を歌っていた、というリスナーからの報告を頂戴しました。
財津「アカペラの『青春の影』、ちょっと聞いてみたいです。(グループ名が)『リストラーズ』っていいですね」
下田「アカペラで歌われる事って、財津さんはありましたね。企画アルバムも出されています」
財津「出したような気がしますね」
2003年10月に、アルバム『ZAITSU SONGS〜ア・カペラ〜』がリリースされています。

下田「アカペラで歌うって、どんな気持ちですか」
財津「僕が歌ったわけじゃないんで…僕の楽曲をアカペラという形で出してみようっていうことだったんですけど、僕もちょっとだけ参加したのかな…確かね、『このまんまじゃ売れないから、本人もここ歌ってくれ』って言われて、そこだけスタジオに入って歌いました。プロデューサーがロス(ロサンジェルス)に住んでた人で、いろんな海外のミュージシャンとかエンジニアとか交流があった人で、ロスでのレコーディングがほとんどだったんじゃないですか」
下田「そのアメリカのアーティストの方と財津さんのコラボという形だったんですね」
財津「実際に同時にはやってないんです。僕は日本にずっといたんで、僕の(歌う)ところはだけ日本で入れた記憶があります。あと、彼らは、ロスのスタジオで。ロスが大好きな人間だったんでね。あの頃といえばニューヨークよりも、ロスなんです。あの頃のポップスというか、ロックっていうか。もう、彼、亡くなっちゃいましたけど」
「アカペラ」と「ロス」と「彼」の事を行きつ戻りつして話す財津。「彼」の名前は語りませんでしたが、おそらく『ZAITSU SONGS〜ア・カペラ〜』のライナーノーツも書いたプロデューサー兼松光氏(2023年没)の事と思われます。

今日の一曲は、TULIP『ともだちのあなただから』。
リクエストメッセージでは、「今年5月の上田雅利さんのコンサートで、74歳とは思えないダイナミックなドラム演奏と歌で、元気をもらいました」とのことです。
財津「うわー、上田、74歳で! 74になったんだね、彼も」
そういう本人が77歳になっています。そんな大声出してまで驚くような事ではないのですが…。
財津「歌ってる人が元気に歌うよりも、こうやってドラム叩いてるような肉体労働がわかる演奏をしてる人が頑張ってると、それは元気もらえるよね。うわすごいな。年取ったら、ドラムって力がなくなるんだけど、あいつ鍛えてるもんね、本当に毎日走ってるし、走った後は必ずビールをものすごい飲んでるらしいんだけど、それは好循環ですよね。あんまりストイックにやりすぎると、あんまり良くないし。イヤイヤ、上田元気でよかった」
下田「財津さんの元気の秘訣は何? 8月、お盆も過ぎてだんだんこれから涼しくなっていってほしいと思うところですけど、体調管理ってどんなふうにされてますか」
財津「どうしたらいい? 誰か教えてください…体調管理の仕方はそれぞれだからね…私はぼーっとしてる方が良いかな」
下田「睡眠と休養を大切にお過ごしください。」

下田「さて、リクエスト曲の『ともだちのあなただから』なんですけれど、『なぜこの歌は女性のように裏声で歌うことにしたんですか』という質問メッセージです」
財津「なんでしたっけ…そうだ、女心を歌詞にして作ってみようと思って。だったら、男の声で歌うと気持ち悪いんで女になってっていうことで裏声で歌って、なおかつ聞く時に早回し。昔テープの時代でしたから、こんな言葉を使いましたけど」
下田「早回し、ね」
財津「ちょっと回転上げる感じで、ピッチを上げて。割とかわいい女の子っていう感じが出ていたかなと思います」

次回8月24日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
ライブでの感動についてお話します。
8月30日の福岡市民ホールのソロコンサートも間近です。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
番組ホームページ

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※該当回の聴取期間は終了しました。

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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