財津和夫、「博多」と「福岡」の違いと使い分けのややこしさに今でもイライラ続き

TULIP・財津和夫が、時には「出身地」について思いを巡らせるRKBラジオ『財津和夫 虹の向こう側』。9月21日の放送では、博多と福岡の違いについて改めて考えてみたり、苦手なはずの口笛にチャレンジしてみたりします。

口笛が吹けないのはどっちだ

最近口笛が吹けなくなってしまった、というお便りを頂きました。
財津「僕も吹けないんですよ」
下田「本当?ちょっとやってみて」
確かに、すきま風が掠れたような(?) 音しか聞こえません。
財津「僕の理由は、ほっぺの筋肉がもう弱ってて、壁にならないんです。壁に当たって音が反響して出るはずのものが吸収しちゃうんです。柔らかすぎてほっぺが『タルミちゃん』になりました」
下田「TULIPさん、財津さんの楽曲で、口笛を取り入れた曲っていうのはありましたか」
財津「あったようななかったような…メインな感じではやってないんじゃないかな」

財津「ちょっと、下田さん口笛吹いて」
下田「私、できるかしら…」
と控えめに言いつつ、ちゃんと吹けました。
財津「すげ、若い。すごいじゃん、遠慮しながらやってても、これだけ出るんだから」
下田「でも、口笛を吹くのはお行儀が悪いから駄目というふうによく親に言われて」
財津「夜ね、ここ(お便り)にも書いてありますけど、蛇が出るって(親に)言われたな」
下田「私は、泥棒が来るからやめなさいって」
財津「夜はやめなさいっていうことなんでしょうね、結局。でも、何で駄目なの、夜? 調べたいですね」
下田「そうですね」

財津「何か怪しいことが起こるんですよね、きっと」
下田「ですか?」
財津「いやわかんないけど(笑)、勝手な推測」
下田「口笛って、人を呼んじゃうんですかね…」
下田アナ、泥棒が来るという親の躾がしっかりしみ込んでいるようです。

下田「ほっぺの筋トレのために口笛を吹いてみるのもいいかもしれませんね」
財津「本当そうだ。でももう、ずっと(口笛が)出ないのを悩んでたんだから…」
下田「(おねだり口調で)もう1回やって」
財津「今からある曲をやります。口笛といえばこれかな、って僕は思ってる。何の曲でしょう?」
クイズの出題音が全く口笛にならず爆笑する二人。
財津「『上を向いて歩こう』でした」

僕は『福岡出身』

出身地を尋ねられた時には出生地で答える方が多いと思いますが、「自分は横浜生まれで4年後に佐賀市、その4年後の昭和43年に三重県四日市市、現在もずっと三重県にいるので、横浜生まれの四日市育ちと答えます」というお便りを頂きました。
財津「『四日市市へ転校して、体操服は皆、上下白でショートパンツなのに、私だけが黒の提灯ブルマだったことが、すごい衝撃的で、今でも鮮明に記憶に残っています』。うわー、僕も今、記憶に鮮明に残りましたよ…あれ、黒提灯(ブルマ)って言うんですか?」
下田「昭和の前半は、ふんわりした提灯のような黒い生地で、ちょうちんブルマっていう言い方してましたね」
財津「僕の知ってるのはそれだ」
袴に代わるものとして普及し、戦後になってから丈が短くなった「提灯ブルマ」が主流になり、1964年の東京オリンピックの影響で「東洋の魔女」たちが着用していたようなニット素材のブルマへ移り変わっていった、という変遷のようです。

財津「それで、この(お便りの)方は、出身地はどちらですかって聞かれたときに『横浜生まれの四日市育ち』ってきっちり言わないと、気がすまないってことですね」
下田「ですかね」
財津「アナウンサーじゃないからわかんないんですけど、(出生地の読み方は)〔しゅっせいち〕なの〔しゅっしょうち〕なの?」
下田「〔しゅっしょう(ち)〕です。〔しゅっせい(ち)〕と言ってもいいんですけど」
役所・役場へ出す「出生届」は〔しゅっしょうとどけ〕です。
財津「刑務所を出るときはなんだっけ、あれ」
下田「出所〔しゅっしょ〕」
財津「難しいですね」

財津「僕は『福岡出身』って言いますもんね、東京行ってからずっと福岡です。余談ですけど、博多っていう言い方もあるじゃないですか。ややこしくて、今でもイライラしてます」
下田「イライラしてるの?」
財津「『博多』って言った方がいいのか、『福岡』と言った方がいいのか。博多って、東京でいえば江戸ってことじゃないですか…博多駅はあるけど、博多出身じゃない。やっぱり福岡出身じゃん」
「じゃん」って、関東の話し言葉じゃん?!。
下田「だから、博多部で生まれ育っていれば博多出身っていうんじゃないですか」

旧博多市街を「博多部」と呼称することが多い ©福岡市

財津「でも博多を福岡全体だという人もいるじゃないですか。『俺は博多の出身やんね』って何か気取って言ってる人いません? 博多って、特別な福岡を代表する街だからですか?」
「やんね」って、博多ではあまり使わない、関西系の言葉だと思うのですが…今日の財津弁は混ぜこぜです。
下田「だと思います。昔だから博多ということでしょ。福岡は黒田藩ができてからの話ですので」
財津「そうかそうか」
下田「その前は博多だったんじゃないでしょうか」
財津「縄文時代から?」
下田「縄文時代はなかったね」
財津「あ、縄文時代は『博多』じゃなくて『なかった』だったんだ」
下田「(苦笑)なんか、『なかった』」
財津「すいません。本当最近ちょっと冗談が激しすぎて」
ちょっとグダグダな会話になりました…。

今日の一曲はTULIP『あの、ゆるやかな日々』。アルバム『TAKE OFF』に収録されています。作詞・安部俊幸、作曲・姫野達也、ボーカル・財津和夫。ビートルズの『Martha My Dear』を意識した(リスペクトした)曲と言われています。財津のファルセットが耳に残る、特徴的な曲です。

次回9月28日の放送は、通常通り18時15分(午後6時15分)からの予定です。
TULIP結成時期のお話をします。

財津和夫 虹の向こう側
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週日曜 18時15分~18時30分
出演者:財津和夫、下田文代
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※該当回の聴取期間は終了しました。

金融マンと寿司職人の“二刀流” 50歳を過ぎて寿司職人の学校へ入学した男性

11月は新米のシーズンということもあるのでしょうか。1日が「すしの日」、22日は「回転寿司記念日」と寿司にまつわる記念日が続きます。寿司ロボットの技術は見事ですが、やはり、職人さんが握った寿司はたまりませんね。

画像提供:小川浩司さん

今回は、金融マンの傍ら、“出張寿司職人”としても活躍されている男性のお話です。

大きな観音様が駅を見守る、神奈川県の大船。この大船ご出身で、いまも鎌倉・腰越にお住まいの小川浩司さんは、昭和44年生まれの57歳。普段は、都内の会社で金融関係の仕事をされています。

実は小川さん、もう一つの顔があります。週末を中心に首都圏各地で開かれるホームパーティーに出向いたり、お店を間借りして、手際よく寿司を握っている“出張寿司職人”なんです。だいたい、ひと月に3回、この3年半でおよそ120回の“出張”を重ねてきました。

若い頃の小川さんは、「スタミナが第一!」と、魚よりも肉でした。なかでも焼肉が大好きで、地元・神奈川に多い精肉スーパーの超常連。さらに本場・韓国、ソウルの明洞に足しげく通っていたこともあって、友達からは“ヨン様”ならぬ“ミョン様”とニックネームを付けられたほどだったんです。

そんな小川さんが寿司に目覚めたのは、コロナの時期でした。在宅勤務の空き時間、ぼんやりとインターネット動画を眺めていると、あるインフルエンサーの方が、寿司をテーマにしゃべっていたことをきっかけに、「寿司職人」という仕事が気になり始めます。

小川さんはその時、50歳を超えたばかり。仕事・家庭・趣味も充実していましたが、定年後のことを考えると、経済的なことや社会とのつながりに少し不安もありました。

「もしも、寿司を握ることが出来れば、定年後にすし屋さんのパートでも働けるし、たとえ、自給自足の生活になっても、魚をさばければ生活できるはずだ!」

色々と考えた小川さん、まずは寿司職人への道を一歩踏み出すことにしました。

小川さんは、寿司職人を養成する専門学校の門を叩きます。1クラスには20人くらいいましたが、見渡すと周りは、海外に寿司屋さんを出して一旗揚げようという若い人たちばかり。でも、何人かは、同じように手に職をつけたいと考えた中高年の方の姿も見えました。

最初のステップは、寿司のにぎり方を徹底的に学びます。にぎり寿司に合ったシャリの量と重さを、サッと手に取った指先の感覚で憶えていかなければなりませんが、小川さんはさっそく苦戦。シャリの形を整えていくのもままなりません。

続いて、小川さんの前に立ちはだかったのは、様々な魚たちでした。アジを三枚におろしていくのも、なかなかきれいに出来ません。穴子が出てくると骨の多さに大苦戦。真鯛はウロコの多さに、もう圧倒されてしまいます。一方、脂がのったブリに至っては、どこから包丁を入れていいのか迷うばかり。でも、小川さんは諦めませんでした。

「せっかく始めた以上は、何とかして形にしたい!」

その思いを胸に練習に練習を重ねた小川さん、いつしか魚の筋肉の繊維をサッと見極め、迷わずスッと包丁を入れ、身と骨が分かれるように捌くことが出来るようになります。

晴れて2022年春、小川さんは、無事に専門学校を卒業。お勤めになっている会社の上司の方に、寿司職人としても活動したいと申し出ると、まるで目が点になったように驚かれました。それでも寿司職人への熱い思いを伝えると、副業として認めてくれることになりました。

今ではお店を間借りして営業する機会やリピーターのお客さんも増えてきた小川さん。少し前にはお子さんの高校合格のご褒美に、“人生初めての回らないカウンター寿司”を食べさせてほしいという依頼も受けたそうです。

「子供が元気よくお寿司を食べてくれたり、カウンター越しにお客様から直接美味しいとおっしゃっていただけると、やってよかったという気持ちになりますね」

一方、寿司を握り始めたことで、本業のお仕事にもいい影響が出てきたといいます。

「副業が出来たことで、思い切りがよくなりました。たとえ本業でヘマをしたとしても、副業があるからと気持ちがラクになったんです。これから、もっと年齢を重ねてもチャレンジは続けていきたいと思っています」

金融マンと寿司職人、小川さんの“二刀流”への挑戦は、新たな人生を切り開いています。

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