“お箸の国のジャズ”を体現した音楽界の巨匠・大野雄二とは

音楽プロデューサー・松尾潔氏

『ルパン三世』『犬神家の一族』『24時間テレビ』…これらの音楽を世に送り出した作曲家・編曲家の大野雄二は、昭和歌謡曲のキング・筒美京平と並んで「音楽界の武田信玄と上杉謙信」とも呼べる存在だ。音楽界の2つの巨星の“因縁”を、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した、音楽プロデューサー・松尾潔さんが解説した。

81歳の誕生日を迎えた日本テレビの元音楽監督

松尾潔さん(以下、松尾):大野雄二さんといっても「どんな方でしたっけ?」という方もいると思いますが、あの『ルパン三世』の音楽監督です。

田畑竜介アナウンサー(以下、田畑):最新シリーズも作られていますし、いまだに愛されている『ルパン三世』ですよね。この音楽って、何か駆り立てられるものがありますね。

松尾:昭和40年代から平成にかけての世の中は“テレビの時代”でした。われわれの思い出、喜怒哀楽といった感情には、ずっとテレビが寄り添っていて、もっと言うと、その喜怒哀楽の感情を引き出すBGMというのがテレビにはありました。つまり数十年間にわたって、国民の感情を誘導していた音楽の担い手が、前回の放送(5月23日)で紹介した、たかしまあきひこさんであり、大野雄二さんだったということが言えると思います。

松尾:たかしまあきひこさんがTBS系のドリフの仕事が多かったように、大野雄二さんは日本テレビで音楽作家の契約をしていたので、『ルパン三世』のほかに『24時間テレビ』の「Love Saves The Earth」というテーマ曲も手がけていますね。大野さんについてここまで話してきましたけれども、きょう(5月30日)が誕生日なんですよ。1941年生まれで、81歳。今も現役でライブ活動をこなしています。

“昭和歌謡のキング”筒美京平が自虐気味に語る存在

松尾:昭和の歌謡曲のキングと言われた筒美京平さん。ヒット曲の数でいうと、もうぶっちぎりのナンバーワンという大作曲家です。その筒美さんの晩年に僕は、一緒に仕事をしている時期があり、よく思い出話を伺いながらお酒を飲む機会があったんです。あるとき「“もう一回生まれ変わったら、こういう音楽人生歩みたい”というような人いますか?」って筒美さんに聞いたら、即答で「大野雄二さん」って答えが返ってきました。大野さんと筒美さんはどういう関係かというと、筒美さんは奇しくも、一昨日(5月28日)が誕生日。1940年生まれなので大野さんのちょうど1歳年上です。筒美さんが青山学院大学でモダンジャズのピアニストを目指していたときに、大野さんは慶應義塾大学のLight Music Societyというところで天才ピアニストとして活躍していました。早い話、筒美さんからすると「年下の、慶応のジャズの天才のあいつ」みたいな感じなんです。筒美さんは上品な方でしたが、大野さんの話になると半分自虐気味みたいに「だって僕は大野さんみたいに、ピアノ弾けなかったもん」みたいな言い方をしていて。「あれぐらい弾けたら、僕だって作曲なんかやってなかったよ。ピアニストになりたかったんだ」と。大野さんも作曲家として有名になった方ですが、それ以上に自身のことを「ピアノ弾き」という自覚が強い方でした。

田畑:ソングライターというよりはプレーヤー?

松尾:そうなんです。だから今でもライブ活動にこだわっているのでしょう。筒美さんは、作曲活動に振り切っていたので、筒美さんの素顔を知る方は少なかったわけですが、大野さんは割といろんなライブハウスやホールで露出しています。福岡でご覧なった方もいらっしゃると思います。

松尾:大野さんはプレーヤーと作曲家のバランスがうらやましいなと感じます。それは作曲でもテレビだけでなく『犬神家の一族』をはじめとする映画音楽の世界でも、振れ幅が素晴らしいというか「1人でこんなに作っちゃったんだ」と、感心するくらい。『ルパン三世』というテレビアニメに、これだけ大人の味わいをもたらすことができた人って、大野さんおいて他にいなかったと思うんですよ。少なくともあの時代で、子供心に「これって、ジャズ?」みたいな。あの音楽だけで、大人の世界をちょっぴり覗き見しているような気持ちになっていました。

歌謡曲のヒット作で筒美京平と因縁

松尾:大野さんは、筒美さんほど多くはないですが、歌モノのヒットも作っています。その中の一つが角川映画の名作として知られる『野性の証明』のテーマで、町田義人さんが歌う「戦士の休息」。『ザ・ベストテン』世代には懐かしいですね。

田畑:ニット帽とサングラスのイメージですよね。

松尾:そうです。ちなみにこの町田義人さんはズー・ニー・ヴーっていうグループサウンズにいて、その時代に歌っていたのは、筒美京平さんの曲。いろんな因縁があるんですね。そのズー・ニー・ヴー時代に筒美さんの歌を歌っても、さほどヒットにならなかったんですが、実は後にその曲の歌詞を変えて、尾崎紀世彦さんが歌ったのが「また逢う日まで」なんです。それでレコード大賞受賞。町田さんはズー・ニー・ヴー解散後、ソロの道を歩んで、大野さんと組んで、この「戦士の休息」ってヒット曲を出した。もうなんだか武田信玄と上杉謙信の話をしているみたいです。大野雄二、筒美京平。好敵手っていう感じですよね。

“お箸の国のジャズ”をお茶の間レベルで体現

松尾:大野さんに話を戻すと、角川映画の『犬神家の一族』や『野性の証明』と並んで語られるのが『人間の証明』のテーマですね。『野性の証明』『人間の証明』いずれも、森村誠一さん原作。『人間の証明』は詩人・西条八十の「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」という古い詩がモチーフになって話が展開していくんですが、その映画化にあたって主題歌で「Mama,Do you remember that straw hat?」と直訳して洋楽っぽく歌ったという。

松尾:何が言いたいかっていうと、大野さんはジャズで培った、昔で言うところのちょっとバタ臭いセンス。舶来センスを日本の人たちが聞いてちょうどいいようなフォーマットに落とし込むことがすごく上手で、まさに“お箸の国のジャズ”を、お茶の間レベルで体現された方っていう感じですね。

田畑:ハンバーグやステーキを箸で食べやすいようにしてくれている感じですかね。

松尾:サイコロステーキや明太子パスタ、日本ならではの洋食ってありますが、あれの作り手として名人の域にいらっしゃる方が大野雄二さん。きょう81歳ですよという話です。

田畑:こういう代表曲をしっかり作るソングライターとしてのセンスを発揮しながらも、プレーヤーとしても、大活躍してるっていう、そのバランス感覚に長けた方だったんですね。そして80代で現役っていうのが本当にかっこいいなと思いますね。

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田畑竜介 Grooooow Up
放送局:RKBラジオ
放送日時:毎週月曜~木曜 6時30分~9時00分
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※放送情報は変更となる場合があります。

自動車修理工場の女性社長が「自動販売機のハンバーガー」を開発

トラックなどのドライバーさんのなかには、昭和の頃は、よく幹線道路沿いにあった自動販売機のハンバーガーで、お腹を満たした経験がある方もいらっしゃることでしょう。じつは最近、令和版の「自動販売機のハンバーガー」がじわりじわりと増えているんです。今回は、この自動販売機のハンバーガーを手掛けている自動車修理工場の方のお話です。

ハンバーガー自販機と小林さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

東京・新宿から中央道の高速バス、または新幹線と飯田線の特急「伊那路」を乗り継いで、およそ4時間の長野県飯田市に「ガレージいじりや」という自動車修理工場があります。敷地内には、トヨタ・パプリカ、マツダ・シャンテをはじめ、昭和の車がズラリ。しかも、工場の前にある懐かしい自動販売機コーナーが目を引きます。

お店の代表・小林由季さんは、埼玉県出身の41歳。小さい頃、ちょうどミニ四駆が大人気だったこともあって、クルマに興味を持ちました。19歳でオートマチック車限定の運転免許を取ると、街を颯爽と駆け抜けていった、白い「マツダ・RX7」に心躍ります。

『カッコいい!あのクルマに乗りたい!!』

そう思った小林さんは、知り合いの自動車関係者に相談すると、軽くあしらわれました。「RX7? アンタ、あのクルマ、マニュアルだし、ロータリーエンジンって知ってるの? 乗りたいなら、自分で自動車が整備出来ないと、まず無理だよ」

愛車のマツダ・シャンテと小林さん

マニュアルもロータリーエンジンも、全くチンプンカンプンだった小林さんですが、乗りたい思いが高まって、マニュアルで免許を取り直し、自動車整備士を目指します。男社会の自動車修理工場で、厳しい試練を乗り越えて、見事、整備士資格を取得。縁あって信州に移り住むと、趣味で借りたガレージで、ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤへの履き替えを請け負ったことをきっかけに、2010年、自ら自動車修理工場を立ち上げました。

やがて、工場のスタッフが昭和43年製・スバル360の修復を成し遂げたことから、小林さんも古い車に興味を持ち、旧車が続々持ち込まれて、車雑誌にも注目されます。あれよあれよと、旧車好きならまず知らない人はいない工場に成長。小林さんは雑誌連載企画で、旧車でレトロな自動販売機巡りをすることになりました。

ところが、ここで小林さんは大変なことが起きていたことに気付くんです。

『大きな道路沿いにたくさんあったハンバーガーやうどん・そばの自動販売機コーナーがどんどん無くなっている……』

24時間営業のコンビニエンスストアが増えた一方で、自動販売機は経年劣化、オーナーさんの高齢化も進んで、自動販売機コーナーは次々と姿を消していたんです。そんな折、小林さんはお祖父さまを亡くしたことで、小さい頃、自動販売機のハンバーガーをなかなか買ってもらえなかった記憶がよみがえりました。

『あの思い出の、自動販売機のハンバーガーを残したい。ならば、ハンバーガーを作っている食品メーカーを助けよう!』

自動販売機コーナー

そうひらめいた小林さんは、さっそく自動販売機用のハンバーガーを仕入れます。自動車工場の前に冷蔵機能付きの自動販売機と電子レンジを設置して販売を始めると、ちょうどコロナ禍と重なったことで、テイクアウトのニーズをつかんで大繁盛。各地のレトロ自動販売機で売れたハンバーガーのおよそ4倍を1台で売り上げました。

小林さんはもうイケイケドンドン、自動販売機を増やして各地で大人気となりますが、あまりの売れ行きにハンバーガーメーカーのほうが悲鳴を上げてしまいます。安定した納品が出来ないので、もう勘弁してくれませんか、と言われてしまったのです。代わる製造業者も無く、困り果てた小林さん、思い切りました。

『ハンバーガーを作ってくれる会社が無いなら、自分の会社で作ってしまおう!』

もちろん、小林さんは自動車整備士ではありますが、食品の知識は全くゼロ。体当たりで、様々な食品製造に関する許可や食品衛生を、片っ端から学んでいきます。食品部門の「いじりやフードサービス」も立ち上げ、ハンバーガーを作ってみましたが、パンはパサつき、肉の脂は溶け出し、レタスなどの生野菜は安全性の面で使えません。しかも、自動車修理工場と食品工場の二刀流で、睡眠時間3時間の日々が続きました。

ふんわりバンズのチーズバーガー

それでも試行錯誤を繰り返し、味やソースにもこだわったチーズバーガーに辿り着いて、安定した製造、出荷も出来るようになりました。今は、全国で39台の自動販売機が元気に稼働中。自動車修理工場生まれの自動販売機とハンバーガーは、各地域で話題になっています。

「気合と根性でやってきました」と笑う小林さんですが、やりたいことはいっぱいです。

「レストランもやってみたいですし、クルマのテーマパークがあっても面白いですよね。ハンバーガー片手にみんなに巡ってもらって。夢は大きく持てば、きっと叶います!」

「RX7に乗りたい」から始まった小林さんの夢、今はまだ、その途中です。

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