チェアマン内定の野々村会長「ミシャさんには10月に言いました」心の葛藤を明かす

次期チェアマンの素顔がいちばんよく判ります! ©STVラジオ

サッカーJ1・北海道コンサドーレ札幌の野々村芳和会長が出演するSTVラジオ『GO!GO!コンサドーレ』。そうです、次期Jリーグ・チェアマンに内定した野々村芳和氏本人が出演の番組です。内定発表後、今回は最初の放送です。まずは、ともあれ…

吉川:チェアマン内定、おめでとうございます。

野々村:いや、まあ、正式にそうなったら(就任したら)、また頑張りますけど、なったからどうって言うよりは、今まで何も言えなかったのが、少し伝えることが出来るようになったことが、いちばんホッとしてる感じです。 (中略)

吉川:オンライン会見では、ミシャさんたちがサプライズで花束をと言う、粋な計らいがありましたけど、この『GO!GO!コンサドーレ』も、野々さんがチェマンと言うことで…

野々村:いや、いいよ。もう。

吉川:番組からも、こちらでございます。

野々村:どうせ、アレでしょ。花束と言いながら、ツナマヨおにぎりとか持ってくるんじゃないの?

吉川:そんなワケないじゃないですか~。(…と、ここでディレクターが差し入れ)

野々村:持ってくるの…ホラ!おにぎりじゃねぇか!!

吉川:ということで…

野々村:(爆笑)

吉川:大正解!!

野々村:それも、なに? 1個だけ?

吉川:で、野々さん、いま食べないで下さい。

野々村:なんで?

吉川:持って帰って下さい。

野々村:なんで?

吉川:いまスタジオ、飲食禁止なんです。

野々村:(大爆笑)そうなんだ~。なにぃ~。

Jリーグのチェアマンとあろう方を、ここまでイジるのが『GO!GO!コンサドーレ』であります。でも、少しは真面目な話もしています。去年の9月頃からチェアマンとの具体的な動きがあったそうですが、それから1月31日までの間、誰にも言うことの出来ない”トップシークレット”を抱えながら、コンサドーレというクラブを率いるのは、野々村会長の中でも色んな葛藤があったようです。

野々村:もう10月前、9月の中旬くらいには、そんな話があって、この間の31日にならないと内定にはならないけど、色んな準備をしないといけないじゃないですか。自分の中の心の準備だけならいいけど、いろんなことがあるわけですよ、クラブ(の社長)をやってると特に。

野々村:俺がいちばん嫌だったというか、気になったのは、勝負事の世界で100%そこに注力してやっているのに、来年の別のことを考えなきゃいけないとか言うのが凄く嫌で。だから、会見でも言いましたけど、ミシャさんなんかには10月に入ってからだと思いますけど、来年の話をしたいとミシャさんに言われて、少し話をする時に「実はこうなんだ」ということをミシャさんには伝えて。

野々村:そうしないと、100%来年、死ぬ気でやるっていう人たちとの…なんていうか、そうじゃないところに行く人とで温度差があったら嫌だし。でも、その上で、100%オレも「どうした方がいいのか」ってことをミシャさんに伝えるという前提のためにもミシャさんには伝えて、いろんな話を今までしてきたみたいな感じ。

そんな、まだ誰にも言えない期間の”胸の内”も少し、明かしてくれました。

野々村:もし(Jリーグが自分を)必要とされるんであれば、今回は頑張ってみたいと思いますと考えていたから。その後に、いま任されているクラブをどういう風に持って行くかと言うことの方が、次にチェアマンとして何をやるかと言うことより悩んだというか。だから、そうなったら(自分がチェアマンになったら)コンサドーレの周りの人たちがきっと、いろんなことを想像するだろうなと思うと、そこに不安な要素があるなら、その不安な要素を消すためにはどういう準備をしていこうかな、みたいなことをずっと色々と考えていて。

野々村:だから、ミシャさんをもっと長くやってもらうようにとか、最近だったら例えば(小野)伸二が、引退した後もクラブにっていうことをコメントしてくれてるじゃないですか。そんなことを数ヶ月、考えてることの方が多かったですね。

小野伸二選手の"生涯コンサドーレ"コメントも、野々村会長の「遺産」と言えそうです。ということは、いずれ"小野監督"、”小野社長”もあり得ると言うこと…?。そんな想像も、コンサドーレの周りの一員としては膨らませてしまいます。

STVラジオ『GO!GO!コンサドーレ』(毎週土曜 あさ7:30~8:00)
 

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GO!GO!コンサドーレ
放送局:STVラジオ
放送日時:毎週土曜 7時30分~8時00分
出演者:野々村芳和(北海道コンサドーレ札幌会長)、吉川のりお(STVアナウンサー)
番組ホームページ

北海道コンサドーレ札幌会長・野々村芳和さんと吉川のりおアナのアラフィフコンビがお送りする【痛快スポーツトークバラエティ】。サッカー番組のようでサッカー番組じゃない!?。誰でも今日からサポーターになれる、そんな番組です。

※該当回の聴取期間は終了しました。

「あんな歌5回も聞いたら悪夢になる」280万枚の大ヒット曲『帰って来たヨッパライ』秘話

4月26日の『大竹まことゴールデンラジオ』は大竹まことがお休み。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーとして一世を風靡し、現在は精神科医の、きたやまおさむさんをお招きし、著書『「むなしさ」の味わい方』について、青木理さん、金子勝さん、室井佑月さんの3人でお話を伺った。

青木「僕、きたやまさんのお名前はもちろん知ってるんですけど、金子さんは深夜放送のラジオで聞いたとか」

金子「『帰って来たヨッパライ』が、高校生の頃に深夜放送で流れてきて、もうびっくり仰天。こんなものがあんのかという感じで(笑)。これはフォークソングか?とか思いながら、すごい驚いた。そしたら『イムジン河』って歌が発禁になったんですよ。昔は、発禁なんてかっこいいんですよ。なんかこうビートルズとかあの世代が権力に抵抗してるみたいな。その後、サトウハチローさんが作詞した『悲しくてやりきれない』っていう歌がバーンと出て。『あの素晴らしい愛をもう一度』って知ってる人いる?」

室井「知ってる! (歌い出す)」

金子「あれが、きたやまおさむさんの作詞。(作曲した)加藤和彦、きたやまおさむっていうのは、日本のポールマッカートニー、ジョンレノンみたいな感じだった」

きたやま「(笑)いやいや、ちょっと買い被りすぎ」

室井「ええっ、金子先生より年上でいらっしゃるの?」

きたやま「年上ですね」

室井「うそー!」

青木「きたやまさんの経歴を拝見すると、医学部の大学在学中にザ・フォーク・クルセダーズに参加したので、もともとは医学の道を目指そうとしていたんですか?」

きたやま「まあ、もともとはね」

室井「医大生なんて忙しくないですか?」

きたやま「でも、名前を出すのは不遜なのかもしれないけれども、手塚治虫さんとか、西野バレエ団の西野皓三先生とか、北杜夫先生とか、みんな精神科医であったり、医者だったりしてるんですよね。だから、大学の管理がそんなに…あえて言うなら緩かった。学生運動で締め付けがひどくなるんだけど、僕たちはその前だったんよね」

室井「精神科の先生はものづくりに向いてますよね。病んでる人が多いですもんね」

きたやま「それは確かに。この「むなしさ」の本を書いたのは、やっぱり音楽活動からなんですね。例えば『帰って来たヨッパライ』は280万枚売れたというんです。でもそれってなんか、むなしいことだったんです」

室井「えーなんで?」

きたやま「やっぱり早回転で、口パクで合わせなきゃいけない。あんな歌、これやれって言われて5回も聞いたら、もう悪夢になってくるっていうかね。僕らはアマチュアだったから、あっちこっちで好きな歌を歌える状態だったのに、今度はこれ一曲をテレビ番組に出て歌わなきゃいけなくなった時に、もうみんながしらけていったのを覚えてるんですね。だから相当悩みましたよ。こんな口パクで、みんな喜んでくれるんだけれども、マスコミに関わってることそのものも「むなしく」なったんですよね。だから引退したんです。僕ら1年でやめてしまったんですよ。えらい長くご記憶に残っていますけど、でも「すごかった」って言われると、どんどん「むなしく」なってる。(笑)」

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