元ドラゴンズ山﨑武司氏が語った「高木守道監督との思い出」
TOKAI RADIO『Live Dragons!』(月18:00~19:00 火~金17:15~19:00 DJ平松伴康)水・木の『HOMERUN GARAGE』(ホームラン ガレージ)のコーナーでは、プロ野球通算403本のホームランを記録し、ドラゴンズなどで活躍したプロ野球解説者・山﨑武司氏が、野球人生での思い出ばなしなどを語っている。時には、趣味(クルマなど)の話も交えて、自身の大きな「GARAGE」に詰まった話を披露している。
「最終的にはすごくお世話になった監督だが、1回目の(ドラゴンズの)監督時代は、自分は非常につらい立場だった。今は70人枠に入っていればいい(1997年~)が、以前(1992年~1996年)は、40人の1軍枠に入らないと、1軍の試合に出られなかった。40人枠から外れると、1軍に行くチャンスがなくなるが、自分が2軍である程度の成績を残したのに、40人枠から外されたことがあった」
「そのとき、当時の福田2軍監督に『辞めさせてもらいます』と言いに行った。福田監督には『絶対に入れ替えはしてやるから、とにかく、圧倒的な成績を(2軍で)出せ』と言われた。納得して、2軍でいい成績を出して、入れ替えの時期が来た。替われるなと思っていたら、なんと、デッドボールで骨折して、1軍へ行けなかったという苦い思い出がある」
「高木さんは本当に野球が大好きで、野球のことに関しては、自分の意見は絶対に曲げないという人だった。ただし、高木さんにハマる人だといいが、ハマらないと難しかったかなというところはある」
「僕が楽天を退団したときに、高木さんが再びドラゴンズの監督になった。当時の編成担当に、ドラゴンズ入りを打診したら『それは無理だぞ。だが、一応(高木監督に)訊いてみる』と言われた。そのとき高木さんが『いいよ。帰ってくればいいじゃないか』と言ってくれて、ドラゴンズで最後の2年お世話になった。高木さんに、最後、救ってもらった感謝はある」
高木さんも、ファンのためにドラゴンズを何とかしたいという思いがあった。僕もドラゴンズで長くやっていたということで『まだ余力があって、ドラゴンズファンのために、盛り上げたいという気持ちがあるなら帰ってこい』ということだったと思う」
「レギュラー争いのライバル、ブランコと勝負させてもらった。自分がオープン戦で打って、開幕スタメンも勝ち取った。そういう意味では、実力主義でやらせてもらった」
「高木さんは憎めない人というか、素をそのまま、悪気なく言っちゃう人。一番びっくりしたのは、7月に監督のところへ『今シーズンで引退させてもらいます』と言いに行った。普通なら、27年目の大ベテラン選手の引退報告に対して『そうか、わかった』それに続くねぎらいの言葉があるかなと思ったら、そのとき、巨人との試合で負けた直後で、頭がカッカしていたこともあったのか『あ、そう』の一言でおわり」
「それを聞いて『おい!』みたいな感じになったが、でも、それも高木流なんだなと思って、全然、カチンとこなかった。最後まで、高木節だったなあと思った。高木さんはドラゴンズOBの大先輩。そういう先輩に追いつけ、追い越せ、肩を並べたいという思いでやっていた。到底、高木さんの成績には行けなかったが、成績として3つぐらい、上回ることができたので、自分では少しうれしいなという気持ちがある」と語った。
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