【森久保祥太郎編】radikoで聴ける声優のラジオ番組『森久保祥太郎の今週わず』、『森久保祥太郎・浪川大輔 つまみは塩だけ』

森久保祥太郎さんは、最近では『東京リベンジャーズ』稀咲鉄太役、また『うたの☆プリンスさまっ♪』寿嶺二役や『NARUTO -ナルト-』奈良シカマル役、『薄桜鬼』沖田総司役、『MAJOR』茂野吾郎役などを演じていることで知られ、ラジオの担当番組も多いほか、自身で作詞・作曲をこなすシンガーソングライターとしても活躍し、多くの分野で活躍中です。

ラジコで聴ける現在の森久保さんのレギュラーラジオ番組をご紹介します。

bayfm78『森久保祥太郎の今週わず』

平日の夕方に放送されていた『The BAY☆LINE』(2015年4月〜2022年3月)、その前番組である『BAY LINE GO!GO!』(1991年4月〜2009年3月)から続く、bayfm78で長年DJを務めている森久保さんの新番組として今年4月にスタート。さまざまなテーマに対して、性別や世代を問わず、多様な意見や考え方を持ち寄り、一人でも多くのリスナーが気兼ねなく自分の意見を発表できる場を目指す番組です。

幅広い分野からゲストを招き、Web会議システムを使用した「ブレスト会議」が行われるのが特徴。会議には週替わりのテーマに当てはまるリスナーも参加可能です。

森久保祥太郎の今週わず
放送局:BAYFM78
放送日時:毎週金曜 21時00分~22時00分
出演者:森久保祥太郎/小坂真琴
番組ホームページ
公式X

番組公式ハッシュタグ 「#今週わず」

出演番組をラジコで聴く

※放送情報は変更となる場合があります。

OBCラジオ大阪『森久保祥太郎・浪川大輔 つまみは塩だけ』

森久保さんが、浪川大輔さんと共にパーソナリティを務めている番組。ラジオ大阪のアニラジ枠「V-STATION」15周年を記念し、2013年から放送されている人気番組です。これまでに何度も公開録音が開催され、声優仲間をゲストに招いてのロケ企画やイベントの模様を収録したDVD、過去の放送回のエピソードをまとめたCDも発売されています。

番組のコンセプトは至ってシンプル。タイトル通り「お酒を呑む時に つまみは塩だけであればいい!」ということで、コーナーを作らず、毎回リスナーから届いたテーマを元に、2人のトークだけで成立させるというもの。冒頭から下ネタが飛び出すこともあれば、時に真面目な話から日常の些細な出来事まで、さまざまな話題が飛び出します。

男らしく、構えず、カッコ付けずに、自由奔放に語り尽くす2人のフリートークが楽しめる30分間です。

森久保祥太郎・浪川大輔 つまみは塩だけ
放送局:OBCラジオ大阪
放送日時:毎週土曜 23時00分~23時30分
出演者:森久保祥太郎 / 浪川大輔
番組ホームページ
公式X

ハッシュタグ「#tsumashio」

出演番組をラジコで聴く

※放送情報は変更となる場合があります。

この記事を書いた人

radiko編集部

radiko編集部員が「ラジコを通じて、ラジオの良さをもっと知ってもらい、皆さんが面白い番組に出会うキッカケ」になるように、ラジオ各局の情報をまとめて発信中。radiko newsでは、新番組へのインタビュー、さまざまなテーマに沿ったまとめ記事など、独自の切り口でも番組をご紹介しています。ラジコ公式SNSの情報更新も行なっています。

radiko公式X

radiko公式Instagram

ラジコをスマートフォンで聴く

ラジコをパソコンで聴く

ラジコプレミアムに登録して
全国のラジオを時間制限なし
で聴く!

亡き親友との約束胸に「スタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい」

プロ野球をはじめ、先日のメジャーリーグ開幕戦、そしてサッカーのJリーグでもよく目立つのが、巨大なフラッグによる応援です。今回は、このスポーツ応援に欠かせないビッグフラッグを染め上げている男性のお話です。

影山洋さん

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

日本一小さな市・埼玉県蕨市に、一軒の工房があります。有限会社染太郎、スポーツの試合で現れる大きな旗を作る会社です。トップは、影山洋さん、昭和30年生まれの69歳です。

蕨出身の影山さんは、小さい頃は空き地で友達とサッカーボールを蹴ったり、お小遣いがたまると後楽園球場へ行って、王さん・長嶋さんの野球を見て育ちました。そして、百貨店で催事のお知らせをする巨大な垂れ幕を作る会社に勤めます。

仕事に脂がのってきた30代のある日、影山さんは小さい頃のサッカー仲間で、当時の読売クラブに在籍していた奥田卓良選手から、こんな話を聞きました。

「今度、日本でもサッカーのプロリーグが始まるんだ。絶対応援してくれよ!」

「だったら、ヨーロッパみたいに、おっきな応援フラッグを作って、応援するよ!」

影山さんがそう答えて迎えた1993年5月15日のJリーグ開幕の日。国立競技場の熱狂の渦のなかに、奥田さんの姿はありませんでした。奥田さんは不慮の交通事故で、Jリーグを見ることなくこの世を去っていたのです。

『奥田との約束を守るためにも、日本のスタジアムを応援フラッグでいっぱいにしたい!』

そう思った影山さんは、会社勤めを辞め、自ら応援フラッグを作る会社を興します。地元・埼玉の浦和レッズの熱いサポーターたちとつながると、話が盛り上がって、今までにない幅50メートルのビッグフラッグを作るプロジェクトが始まりました。

影山さんが手掛けたビッグフラッグの数々

参考になったのはもちろん、影山さんが長年培ってきたデパートの垂れ幕のノウハウ。パソコンもあまり普及していない時代、設計図を元に1枚1枚刷毛で塗る手作業でした。ただ、ビッグフラッグを作っても、出来栄えを確かめられる広いスペースもなければ、対応してもらえる競技場もありませんでした。

ようやく人前で披露できる環境が整ったのは、2001年のJリーグ・レッズ対マリノス戦。埼玉スタジアム2002のこけら落としの試合でした。影山さんたちがドキドキ見守る中、ピッチに大きく真っ赤なフラッグが広げられると、スタンドからは「オーッ!」と地鳴りのような歓声が沸き上がりました。

翌日から、影山さんの会社の電話は、様々なチームからの問い合わせで鳴りやまなくなりました。

「私たちもレッズみたいな、熱い応援をしたいんです!」

数ある問い合わせの中に、情熱のこもったメッセージを届けてくれた人がいました。それは、プロ野球・千葉ロッテマリーンズの応援団の方々でした。影山さんは、競技の違いを乗り越えて、新しい応援スタイルが広まっていくことに、喜びを感じながら、さらに大きい幅75メートルものビッグフラッグを作り上げました。

このフラッグが、千葉・幕張のスタジアムの応援席に広げられると、今度はプロ野球チームの関係者からの問い合わせが相次ぎました。こうしてサッカーではレッズ、野球はマリーンズから始まったビッグフラッグによる応援は、今や多くのスポーツに広まって、当たり前の存在になりました。

蕨市の盛り上げにも活躍する影山洋さん

そしてこの春、影山さんは、東京ドームで行われたメジャーリーグのカブス対ドジャースの開幕戦でも、大役を任されることになりました。それは、初めての国旗。試合開始前のセレモニーで使われる、幅30メートルの日の丸と星条旗の製作でした。

国のシンボル・国旗に汚れを付けたり、穴を開けたりすることは決して許されません。3月10日に納品した後も、影山さんは毎日毎日東京ドームに通って、抜かりのないように、細心の準備をしました。そして、メジャーリーグ機構の厳しいチェックもクリアして、開幕当日を迎えます。

ベーブ・ルースから大谷翔平まで、日米の野球・90年の歴史の映像が流れて、無事に大きな日の丸と星条旗が現れると、影山さんも胸が熱くなりました。

『あの王さん・長嶋さんが躍動した後楽園球場を継いだ東京ドームで行われる、かつてない野球の試合で、自分の本業で関わることが出来ているんだ!』

そして、このメジャーリーグ開幕戦の興奮も冷めやらぬなか、今度はサッカーの日本代表が、8大会連続のFIFAワールドカップ出場を決めました。実は影山さんには、まだまだ大きな夢があります。

「いつか、サッカー日本代表がワールドカップの決勝戦を迎えた日の朝、富士山の近くで、おっきな富士山をバックにおっきな日の丸を掲げて、選手にエールを送りたいんです!」

亡き親友への思いを胸に生まれた、日本におけるビッグフラッグによるスポーツ応援。その応援文化のパイオニア・影山さんの夢は、きっと叶う日が来ると信じて、さらに大きく膨らみ続けます。

radikoのタイムフリーを聴く

Facebook

ページトップへ