弾き語り&トーク、吉田拓郎の魅力が凝縮したラジオ『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』

2022年をもって全ての音楽活動から引退を表明している吉田拓郎さん。6月29日には、自身最後のアルバムと銘打った「ah-面白かった」がリリースされました。このアルバムには小田和正さんを始め、KinKi Kids、奈緒さん、篠原ともえさんらが制作に携わっています。

本記事では、吉田さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)をご紹介します。

吉田拓郎出演 ニッポン放送『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』

2020年4月より、毎月第2金曜日に放送されている吉田拓郎さんの冠ラジオ番組。吉田さんと『オールナイトニッポン』の関わりは深く、これまでに『吉田拓郎のオールナイトニッポン』(1974年4月~1975年12月、1980年10月~1982年3月)、『吉田拓郎のオールナイトニッポンDX』(1997年10月~1998年3月)、『坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』(2009年11月~2013年9月)など、1970年代・1980年代・1990年代・2000年代・2010年代、2020年代と6つの年代で『オールナイトニッポン』のパーソナリティを担当してきました。

番組では吉田さんのフリートークはもちろん、リスナーから届いたメッセージや質問への回答、妻・森下愛子さんとのトークコーナーも。音楽の話題に及ぶと昔の楽曲に関する裏話のほか、生演奏や弾き語りも行うなど、吉田さんのファンだけでなく音楽好きにとってもたまらない有意義な番組です。

吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD
放送局:ニッポン放送
放送日時:2022年9月9日 金曜日 22時00分~24時00分
出演者:吉田拓郎
番組ホームページ

Twitterハッシュタグは「#吉田拓郎ANN」

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※放送情報は変更となる場合があります。

コロナ禍でスタートしたこともあり、2020年4月の初回から吉田さんの自宅で宅録を行う形で放送されていましたが、2022年7月の放送からニッポン放送のスタジオでの収録に復帰しました。番組は2022年12月分の放送をもってレギュラー放送を終了する予定で、吉田さんの「会いたい人と語り合いたい」という意向から、7月8日の放送にはKinKi Kids、8月12日の放送にはあいみょんさんがゲストとして登場し、ラジオでの対談が実現しました。

音楽史に残る功績を数多く残してきた吉田さんが、残り4回の放送でどのような言葉を残していくのか、最後の最後まで注目が集まる放送となりそうです。

9月9日は「吉田拓郎×菅田将暉」注目のラジオ初対談が実現!

8月12日(金)放送のエンディングで、9月9日(金)の放送に菅田将暉さんがゲスト登場することが発表されました。吉田さんは過去に菅田将暉さんの演技を絶賛しており、リスナーからもラジオでの共演を期待されていました。過去にテレビ番組での共演はあるものの、ラジオでの対談は今回が初めてとなります。

吉田さんは番組の中で、「菅田君とは、テレビ番組とかでちょこちょこと話すよりも自分のラジオ番組でじっくり話がしたいと僕の方からオファーをしました」と語り、俳優、そしてアーティストとして活動する菅田さんとの対談でどのような話が飛び出すのか期待が高まります。

過去の放送エピソード紹介

吉田拓郎が語った「最後の夢」(2021年3月12日放送)

番組では吉田さんが死生観について語ることもあり、「吉田拓郎が天国の夢の島に持って行きたい7曲」と題して、吉田さんが天国の夢の島に持っていきたい7曲をリスナーに当ててもらう特別企画を実施。応募総数約2万通の中から正解は約400通、正解者の中から抽選で吉田さん愛用のテレキャスターがプレゼントされました。

2021年3月12日(金)の放送では、吉田さんが"最後の夢"として、全部新曲によるラストアルバムの制作、レコーディング風景を全て映像化し、完成までの模様をドキュメント番組にすること映画化の構想を持っていることや、「最後の夢が叶ったら、吉田拓郎の音楽人生、全てからのリタイアが決まると考えている」と、自らの今後について打ち明ける場面も。

"ラストアルバム"の協力者には、ジャケット撮影に吉田さんのデビュー当初から現在まで撮影を担当するカメラマン・田村仁さん、アレンジには鳥山雄司さん、武部聡志さん、萩田光雄さん、馬飼野康二さんの名前を挙げたほか、アレンジの延長線上に堂本剛さん率いるバンドメンバーとKinKi Kidsを指名し、「友情の証として残したい」と語りました。

そして2022年6月29日(水)に吉田さんのラストアルバム「ah-面白かった」がリリース。鳥山さんが収録曲の多くで編曲を担当し、武部さんは「ショルダーバッグの秘密」で鳥山さんとの編曲、堂本剛さんは収録曲「ひとりgo to」の編曲とギター演奏、アルバムタイトルの題字は堂本光一さんが手掛けています。

世間話から「危険な関係」制作秘話まで! KinKi Kidsとの3ショットトーク(2022年7月8日放送)

ニッポン放送のスタジオでの収録復帰となったこの回、吉田さんのラストアルバム「ah-面白かった」の制作にも携わったKinKi Kids(堂本光一さん、堂本剛さん)がゲスト出演しました。音楽番組『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ系)での共演以来、長い付き合いの3人。吉田さんは今まで話さなかった"体の秘密"、剛さんは趣味の魚釣り、光一さんは車、そのほか3人の買い物事情など、和気あいあいとした雰囲気でトークが進みます。

多くのリスナーから寄せられた「KinKi Kidsが全て作詞・作曲した2人だけの合作アルバムを聴きたい」といった質問には、剛さんは「光一くん次第です」と回答。『LOVE LOVE あいしてる』をきっかけにギターや作詞に没頭していった剛さんは、舞台など幅広く活動する光一さんとの違いを挙げつつ、「光一くんのタイミングが合えば、そういうアルバムを出したい」とアルバム制作に意欲を示しました。

一方、「目的があれば。行き着くところがあれば」と語った光一さんは、「グループは提供していただいた曲でチャレンジしたり、勉強したりすることがあるのかなという想いも強くて」、「(自作に)こだわる必要性も無いのかな」と率直な気持ちを打ち明けました。

3人のトークでは、KinKi Kidsのオリジナルアルバム「K album」(2011年)に収録された「危険な関係」にまつわるエピソードも。この曲は吉田さんが作詞・作曲を手掛けており、長年の付き合いから2人の関係性が「もっとオリジナリティで生きている」と勘付いた吉田さんは、「KinKi Kidsの2人ではこの"危険な関係"のような関係にはならない」、「僕と光一がKinKi Kidsだったら、僕と剛がKinKi Kidsだったら」など、自らとKinKi Kidsの関係性を綴った曲であることを明かしました。

その後も、『LOVE LOVE あいしてる』で共演した篠原ともえさんの知られざる素顔や、番組で印象に残ったゲストとの思い出、吉田さんがKinKi Kidsに叶えてほしい夢の話など、2時間の枠では収まらないエピソードが満載となった放送でした。

吉田拓郎も絶賛! あいみょんとのラジオ対談(2022年8月12日放送)

吉田さんは過去の放送で、シンガーソングライター・あいみょんさんについて語る場面が多々あり、2021年2月12日の放送では、あいみょんさんの楽曲「愛を伝えたいだとか」について「僕はこの言葉浮かんでこない。感性が素晴らしい。見事」と称賛の言葉を送っています。この回の放送中には、あいみょんさん本人もTwitterで反応し、吉田さん宛にメッセージを残しました。

そして2022年8月12日(金)の放送で、2人のラジオ対談がついに実現。吉田さんは妻・森下愛子さんにあいみょんさんの音楽を勧めたところ、森下さんが朝昼晩ずっと聴くまでにハマり、何らかの作業中にも「初恋が泣いている」を歌っているため、頭の中から楽曲が離れないことを明かしました。森下さんが「電柱にぶら下がったままの初恋」の歌詞を、「電柱にぶら下がっている"ママ"の初恋」と勘違いしたエピソードも明かした上で、「話をすり替えられそうな歌が多い」という"あいみょん研究家"としての考察を披露する場面も。

あいみょんさんは、自身の楽曲「恋をしたから」の作詞について、夕方になると実家の周りからさばの煮つけの匂いが漂ってきたことをきっかけに、「夕方の匂いが苦しくて」という歌詞が生まれたを語ると、吉田さんも「最高だねえ。さばの煮つけなんかから歌生まれてこないよ」と、あいみょんさんの歌詞作りに感心しきりでした。

その後も、吉田さんがあいみょんさんへギターテクニックを指南する様子や、「酔っ払い、カメラ好き、昔の髪型、ガチャピン似、風呂嫌い」といった共通点で盛り上がり、エンディングではあいみょんさんや米津玄師さんといった若い人たちが、日本のエンタメ界を引っ張っていくことに期待するコメントも残しました。

この記事を書いた人

radiko編集部

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「中村雅俊はビックリするほど汚なかった」小椋佳がヒット曲誕生の裏側を暴露!「シクラメンのかほり」は自分のレコードに入れたくない曲だった!?

誰もが知る数々の名曲を世に送り出した小椋佳さんが9月9日の「くにまる食堂」にご来店。銀行に勤めながらシンガー・ソングライターや作詞家・作曲家として活動を続け1971年に歌手デビュー。大ヒット曲を生んだ裏側を伺った。

――1975年に「シクラメンのかほり」が大ヒット――

野村邦丸アナ「小椋佳さんが作った「シクラメンのかほり」は1975年に布施明さんが歌われて大ヒットしました。こんなに売れると思っていなかったですって?」

小椋佳「自分でもびっくりしましたね。そもそも当時はシングルにA面B面がありましたよね。布施明さんの所属事務所に新しい曲を2曲作ってくれって言われて「淋しい時」っていう歌を作ったんですよ。そのB面用に、前の年に作った中から自分のレコードには入れたくないと思っていた曲あって、それが「シクラメンのかほり」だったんです。それをまあこれでいいやと思って、お渡ししたんですよ。僕、そのとき銀行からの派遣でニューヨークに長期出張に行ってたんです。そしたら東京から電話がかかってきて「大変だよ、君の書いた歌がヒットしちゃってるよ」って言われて、「淋しい時」ってそんなヒットするような歌じゃないはずなのにと思ったら、B面の方の「シクラメンのかほり」がヒットしているっていう話でびっくりしました。(海外での)研修が終わって予定通りデンマーク経由で日本に帰ろうと人事部に電話したら「予定通り帰って来るな」って言うんです。シクラメンの歌は銀行員が作ったと週刊誌やなにかで評判になっていて「君が帰ってきて大騒ぎになると面倒くさいから予定通り帰ってくるな」ってね。じゃあいつ帰りましょうかって聞いたら「それは言うな」って。人事部が知っちゃうと言わなきゃいけない。「いつ帰ってくるか分かりません」って言いたいんですね。それで一週間ぐらいコペンハーゲンでぶらぶら遊んで、こそっと帰ってきました。」

――1975年には中村雅俊さんが歌った「俺たちの旅」が大ヒット――

邦丸「中村雅俊さんが小椋さんのファンで、曲を作ってほしいとオファーしたそうですね。」

小椋「レコード会社のディレクターさんから「一人若者を紹介するからこの人のための歌を作ってあげあげてくれ」って言われてね。「俳優さんです」って言うから素敵な青年と会えるのかなと思って、初めて雅俊さんに会ったときはびっくりしましたね。汚なかったんです。」

邦丸(笑)

小椋「頭はボサボサだしね、安いジーパンに下駄はいてましたね。こんな汚い人が俳優さんのはずないだろうとか思いました。でもあの人は不思議な人ですね。男って普通、年を取っていくとだんだん汚くなっていくじゃないですか。雅俊さんは年を取るごとに綺麗になってきましたね。」

邦丸「この曲はテレビの主題歌としてヒットしました。」

小椋「番組が良かったんですよね、あの時代の青年像にピッタリして。「俺たちの旅」というテレビ番組は10年後も20年後もやってました。」

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